違い
―――仲間を見捨てない。
揺ぎ無い自信のこもった言葉の通り、舷一郎は帰ってきた。なんとあの距離を泳いで。
よく方向を間違えもせず、波に流されたりしなかったものだ。雲井や片桐らが驚き感心する前で、張と羽はどうだといわんばかりの笑みを浮かべた。
「舷!平安好!(無事で良かった)」
安堵のせいだろう、張の口から出たのは未だに使い慣れない日本語ではなく、彼の母国語だった。
勢いのまま抱きつこうとした張を、寸前で舷一郎は止めた。
「だめだよ張、濡れるよ」
ニット帽を外して絞ると、言葉を肯定するように海水があふれ出た。TシャツもGパンも重たそうに濡れ、肌に張り付いている。訓練など受けていないだろうこの青年が重たい服を着たままここに帰ってこれたのは、おそらく彼らが言うような絆のおかげだろう。
がばっと両手を広げていた張は、不満そうな仕方がなさそうな表情をした。体が大きくて顔も厳ついぶん、こういうところは可愛い。
「じゃあ、顔だけ」
気をつけるからと強請る張は、無事を喜ぶことを表現したくてたまらない。元々根が正直で喜怒哀楽を直ぐ体で現すタイプなのだ。舷一郎もそういう張をとても好もしく思っているので、うなずいた。
大きな手が伸びて引き寄せられる。コツンと額同士がぶつかった。
「ほんとに、良かった」
「心配かけて悪かった。でも、俺の帰ってくるところはここだろ」
「うん」
まるで猫が挨拶をするように額をあわせ、頬をすりよせる。本当ならぎゅうぎゅうに抱きしめてしまいたいという張の思いは、その光景を見ている誰にも伝わった。
「舷一郎、せめて頭を拭いておけ」
微笑ましいような気恥ずかしいような2人の雰囲気を破ったのは、羽だった。
羽はハンカチを出すと、舷一郎の頭を拭きだした。ようやく舷一郎と張の頭が離れる。
ハンカチを受け取って礼を言おうとした舷一郎よりも早く、羽が言った。
「風呂に入って着替えたほうがいい…と言いたいところだが、話を聞きたがってる連中が先だな」
羽の促す視線に我に返った雲井と、舷一郎のやりとりが始まった。
*****
「なあ、舷一郎」
ひととおり今後の行動を決めた後、どことなく気まずそうに雲井が尋ねた。
「お前たちって、いつも、ああなのか?」
「ああって、何がです?」
「だから…ああやって、抱き合ったりとか、普通なのか?」
「そうですけど……?」
なぜそんなことを訊かれるのかわからない。舷一郎と張は、不思議そうに顔を見合わせた。
ふと見れば、雲井だけではなく片桐たちも、どことなく照れくさそうにしている。
よくわからないがなぜか気まずい雰囲気を破ったのは、またもや羽だった。
「あのな、舷一郎。日本人はそうやって抱き合って喜んだりとか、あまりしないんだ」
「そうなのか?」
舷一郎は記憶を無くして15年間も台湾で暮らしていたから、そういう風習があたりまえになっている。
一方の羽はといえば、台湾に帰化した頃にはとっくに少年期に入っていたから、ダイレクトに体で表現する風習に慣れていなかった。今も慣れないが、ただ見てももう驚かないし、不自然だとも思わない。
羽の説明に、舷一郎は首をかしげた。
「単に風習の違いだ。見慣れていないから、びっくりしたんだろう」
「それもあるが、お前たちってどういう関係なんだ?仲間というが、ずいぶん絆が強い」
「兄弟だよ」
雲井の質問に答えたのは張だった。
あまりにもあたりまえに言われたので、すんなりと納得した後、雲井たちはつい舷一郎と張を見比べてしまった。ずいぶん似ていない兄弟だ。
「血が繋がっているわけじゃない。友人や仲間よりも強い絆で結ばれていることを、兄弟というんだ」
何を考えて舷一郎と張を見比べているのかわかった羽が、理解はしにくいだろうなと苦笑しながら説明する。日本のヤクザだって、親子杯などはもはや時代おくれの儀式だ。
「よくわからんな。なにがどう違うんだ?」
雲井が再び訊いた。雲井は自分なりに仲間と強い絆で結ばれていると思っている。
同盟に背いた行為をしてしまった自分を片桐が認めてくれたように、自分も彼を認め、信頼している。
だが―――たとえば今回の舷一郎のように、仲間や自分が危険になるとわかっていても、帰ってくるかとなると、わからない。どれだけ心配しているかわかっていても、自分が戻らないことで彼らが危険に晒されるとわかっていても、とても泳いで帰るなどとは考えないだろう。常識的ではない。
その違いはなんなのか。なにかが彼らに負けているようで、少し悔しい。
「そうですね……。仲間や友人っていうのは信頼ですよね。兄弟っていうのは家族だから……信頼するというよりも、愛してるっていうのが正しいですね」
「愛!?」
眼をむいて驚く雲井たちに、舷一郎と張と羽はうなずいた。舷一郎と張はどこか得意げに、羽は少し照れくさそうに。
「愛……」
まだ衝撃の抜けない日本人は、はたしてどうしたものやらと呆然と呟く。真っ向から愛してるなどと言われるとは思ってもみなかった。笑うべきだろうかと迷い、真面目に答えたのだろう舷一郎に、それでは失礼だと思うと笑えない。
「よく言えるな、愛してるなんて……」
ぽつりと雲井が日本人代表として正直な感想をもらした。わずかに顔が赤い。
「恥ずかしいとか、ないのか」
なんせその愛している相手は、ヤクザそのものの大男と、工作員顔負けの物騒な元刑事だ。
「え、どうしてです?愛してるひとに愛してるって言うのは当然じゃないですか」
正論だ。舷一郎の言うことは正しい。しかしこの気恥ずかしさはどうにかしてもらいたい。くすぐったくてしかたがない。
しかし同時に、舷一郎に迷いなく愛されている張と羽が―――なぜだか無性に、羨ましかった。