ピアス
椿大介は、監督が大好きだ。
それ以前に尊敬し、感謝している。達海が監督に就任してからというもの、ほぼスタメンでフル出場しているのだ。こんなことをしてくれるのは、達海以外にはいなかった。もっと近づきたい、と思うのは自然なことだったし、たくさんの話をして監督を理解し、そしていつか彼の隣に立てる男になりたかった。
だからというわけではないが、椿の村越への視線は、ちょっぴり複雑だ。
なんといってもキャプテン。監督の信頼は篤い。何かしらあれば村越は達海に話すし、10年前にチームメイトだったという気安さもあるだろう(と椿は思っている)。単純に羨ましい。椿は達海と話がしたいと常に思っているがそうそう話題があるわけではなく、話題もないのに会話ができるような性格でもなかった。
「…村越さんは、…いつも監督と、どんな話をしているんですか?」
椿は思い切って尋ねた。これが赤碕あたりだったらズバッと訊けただろうがそこは椿である。話の要点が見えない。それでも椿はたったこれだけの質問をする決意に2日も要したのだ。
「どんなって……」
村越は困惑した。椿の意図するところがさっぱりわからなかった。椿は村越の前でいつものようにオドオドと、ヘタレっぷりにもほどがあるんじゃないかという態度である。
「…まあ、だいたいチームのことだな」
マシントレーニングの手を休め、汗を拭った村越の答えに、椿は焦った。そんなわかりきった正解が聞きたかったのではない。だがあんな聞き方ではそんな答えを返すしかないだろう。もうちょっと違う、プライベートなことが聞きたいのだ。
「監督と、なにかあったのか?」
キャプテンはいつものように頼りがいのある、低くやわらかい声で椿に訊いてくれた。
「い、いえ…。何も。何もなさすぎてちょっと不安というか、不満というか…」
「………?」
相変わらず要領を得ない話し方に、村越は首をかしげる。このところ椿の調子は良く、チームの好調を支える原動力になりつつあった。達海が何も言わないのは椿の働きに満足とまではいかなくともそれでいいと思っているからだろう。そう伝えると、なぜか椿は肩を落とした。
「……監督って…」
呟き、言いたいことを頭でまとめている椿の次の発言を待つ。椿は顔をあげず、相変わらずオドオドしたままなぜかそこで頬を染めた。
「かわいい、ですよね」
「…………」
今度こそ、村越は絶句した。椿が何を言いたいのかさっぱりわからない。
「…椿?」
いくぶんドスのきいた声になってしまったのは仕方がないだろう。村越の呼び方に怒られたと勘違いしたのか椿はびっくうと体全体をふるわせ、大慌てで頭を下げた。
「すっ、すんません!すんませんっした!」
言うが早いか、大慌てに慌てて彼はトレーニングルームを飛び出していった。
後に残されたのはわけのわからない疑問に包まれた村越がひとり。ドタバタと遠ざかる足音に、コラ椿、廊下を走るなと監督の声がドアの向こうから聞こえた。うわあっと椿の悲鳴があがった。
何だったんだ。頭を悩ませるキャプテンのもとに、こちらも?マークを顔につけた監督がやってきた。
「あ、村越」
「どうも…」
トコトコとやってきた達海は片手にアイスを持っている。今日のガリガリ君はコーラ味だ。
「椿のやつ、どーしたの?人の顔見てオバケに遭遇したみてーな悲鳴あげやがった」
言葉は悪いが怒っているわけではない。あれが椿なのだと達海も認識している。
「俺にもわかりません。ただ…」
チラ、と達海を見上げれば、アイスをしゃくりと一口齧ってうなずいた。気づいたことはすべて報告。しかしあれは何だったのか、村越も理解しているわけではない。
「椿は、あんたを褒めていた。かわいい、と」
「それって褒めてんの?」
俺35だよ。続けざまにアイスを頬張り、達海はちょっと眉を顰めた。不機嫌になったのではなくアイスの冷たさが頭に凍みたのだ。
「…外見は10年前と変わってないのは確かですね」
「ふーん」
しゃりしゃりとアイスを噛み砕き最後の一口を飲み込んだ達海は、冷たさで麻痺した舌を動かした。
「一応、釘を刺しとくか。あ、念のため、おまえもね?」
「何をだ」
達海は意外なほど真剣な瞳をきらめかせていた。だから村越は反論するタイミングを逃した。
「俺に惚れるなってこと」
言い切った達海が放ったアイスの棒が、まっすぐにゴミ箱にゴールした。