狼さん気をつけて






 気配を感じて、シャアは眼を開けた。
 厳重に警備された私邸でも、ゆっくり寝かせてももらえないらしい。ベッドから抜け出すと、シャアはそっと感覚を研ぎ澄ませた。
 何の音も聞こえない。

「…・……」

 足音を忍ばせて移動する。ベッドサイドの引出しから銃を取り出すと、安全装置を解除。ドアの脇に立つ。息を殺し、気配を殺し、シャアは闇に目を凝らした。
 やがてキシッと何者かの足音がした。ゆっくり階段を上ってくる。足音を殺そうとしているのだろうが、用心のためにわずかな重みでも音が出るようにしてあるのだ。こんな時に備えて。
 足音が近づく。
 ここまで来るということは門衛を倒し、屋敷の鍵を開け、さらに家中に張り巡らせてあるセキュリティシステムを突破したということだ。
 手強そうだが、負けるつもりはない。死ぬのなら宇宙で。あの男と戦ってと決めているのだ。こんなところであっけなく殺されるわけにはいかなかった。
 右手に銃を持ち、左手でドアノブに触れる。
 カチ…とかすかに音がして、ノブがそろりと回された。
 シャアは勢いをつけてドアを開けた。闖入者が前のめりにつんのめって踏鞴を踏む。

「動くな」

 後頭部に銃を突きつける。闖入者はマスクで顔を覆っていた。だがそれでも撃鉄を引く音は聞こえるだろう。
 闖入者は両手をあげる。こちらを振り返ろうとしたのを銃で小突いて止めた。

「何か言い残す事はあるか」

 死に際に辞世の句ならぬ懺悔くらいは聞いてやろうというつもりだった。
 くぐもった声が、言った。

「とりっくおあとりーと?」

 聞き覚えのある声だった。

「…………………………」

 どっと緊張が抜け、汗が吹き出して来た。まさかまさか―――……

「言いたいことはそれだけか」
「わーっ、ちょっと!わかってるんだろ、シャア!!」

 わたわたと両手を振り回してこちらを振り返ったのは狼男。シャアは慎重に撃鉄を元に戻し、部屋の明かりをつけた。警戒だけは解かずに、2,3歩下がる。

「…何をしに来たのだ、アムロ」
「そんな言い方しなくたっていいじゃないか。…このカッコ見て、わかんない?」
「…………」

 シャアは無言で寝室に隣接した部屋へ行くと、机の引出しから小さな箱を取り出した。中からさらに小さな、綺麗にラッピングされたものをいくつか取り上げた。

「ホラ」

 促されるままにアムロが手を出すと、バラバラとそれが降ってきた。

「チョコレートだ。それをやるからさっさと帰れ」
「冷たい………」
「人の睡眠を邪魔しておいて何を言うか。だいたい貴様、まさかこのためだけにスウィートウォーターに来たんじゃないだろうな」
「そのまさか、だよ。ちぇっ」

 せっかくのハロウィンだっていうのに。アムロはぶつくさ言いながら、ずうずうすしくもベッドに腰かけた。狼男のマスクを脱ぐ。早速とばかりにチョコレートの包みを解いて、口に放りこんだ。疲労回復用とはいえシャアの気に入りのショコラティエに作らせた特別製のそれを、味などお構いなしに噛み砕く。厭味のひとつも言いたくなる光景だ。

「美味いか。…毒入りだが」
「ぐっ!」

 さらりと言ったセリフに、アムロが喉を詰まらせて噎せ返った。げほげほとせきこむ姿はどこをとっても情けない。
 はーッと思い切り、腹の底からため息が出た。

「な、なんだよ。その思いっきり呆れた目つきは」
「呆れているのだ。私は」
「いいじゃないか。ハロウィンの時くらいこういうどっきりがあったって」
「仮装をするのは子供だけだ。菓子をもらえるのもな」
「…襲ってやろうと思ってたのに………」

 バカバカしい。本当に。
 警戒している自分が滑稽に思えて、シャアは脱力してしまった。
 がっくりしているシャアを横目に、アムロは暢気にチョコを頬張っている。
 こんな男に。

「どしたの?シャア」
「こんな男を相手に命がけの戦いを挑もうとしている自分が気の毒になってきたところだ」
「そんな、涙目で言わなくても」
「ネオジオンの意義も見失いそうだ」
「見失ってよ」

 わざとらしくよろめいたシャアに、アムロが手を差し伸べた。

「………。アムロ」
「そんなもの。見失ってくれないか?今ならまだ止められるだろう?」
「できない」

 即座に切って捨てる。考える間を作ってはいけない。迷う時間はとうに終わったのだ。

「シャア」
「何度訊いても答えは同じだ。私が私であるかぎり、戦いをやめるわけにはいかない」

 もう、遅い。断崖に向かって突き進むレミングのように、もはや誰にも止められない。
 もしもシャアが逃げ出したとしても、ダイクン家を擁立する勢力は許さずに見つけ出すだろう。彼らの夢が、シャアの現実なのだ。
 そっとアムロの手がシャアの手に重なった。握り締めていた銃が重い音をたてて床に転がる。

「…赤ずきんは狼の誘惑に乗るはずなんだけどなぁ」

 抱きしめられる温かい抱擁。
 ほんの数年前まではシャアより細かった彼の体は、いつのまにか同じくらいの体格になっていた。軍人らしく整った体。指だけがパイロットらしい繊細さだった。

「言動は子供っぽいくせに、体だけは大人になったな」
「父親みたいなこと言うなよー…」

 抱きしめる腕の力が増す。くすり、とシャアが笑った。

「食べられてあげようか?狼男くん」
「え……っ?」

 がばっと肩を掴んで、アムロはシャアの顔を覗きこんだ。

「そのつもりだったくせに、大げさに驚くな」

 少し首を傾けて、シャアが眼を閉じる。ごく、とアムロは喉を鳴らした。顔を近づけていく。美しいシャアの顔。金のけぶる睫毛。きめの細かい肌はいつ触ってもアムロの手に馴染んだ。
 唇を重ねると、まだ少し緊張していたシャアの体から力が抜けた。










「…アムロ。そろそろ夜が明ける」

 ぐったりと弛緩したシャアが、まだ体に乗りかかったままのアムロの頭を撫でている。アムロは額を首筋に押し付けて、犬のようにシャアに懐いていた。

「もう一回。だめ?」
「だめだ。朝になったら」
「たら?」
「警備員を呼ぶ」
「はあっ!?」

 すっとんきょうな声をあげてアムロが体を起こした。下肢を隠す程度にまとわりついていたブランケットがずりおちる。シャアも上半身を起こした。

「当然だろう。――だいたい、君はどうやってここまで入ってきたのだ?」
「どうって…門の警備員を薬で眠らせて。ここのシステムをダミーデータで誤魔化して…」
「ダミーで正解だったな。システムダウンさせてたら、今ごろ君は蜂の巣だ」
「げ……」
「君が眠らせた門衛がまだ眠っていたとしても、もうすぐ交替が来る。いくら私でも不法侵入者はかばいきれないな」
「待ってよ。さっきあなたは呼ぶって言ったんじゃなかった?」

 警備員を「呼ぶ」のと警備員が「来る」のではだいぶ違う。前者は止めようがあるが、後者は問答無用だ。

「当然、呼ぶ。…ここまで好き勝手されては、さすがの私も今日一日は動けない……。そうさせた張本人を、ただ逃がすと思うのか?」
「お…思わない………」

 もう限界、と泣いて訴えるシャアを、お構いなしに貪った覚えのあるアムロは、がっくりと肩を落とした。主導権を握れるのはベッドの上だけだなんて、男の沽券に関わる気がする。
 未練たらしくベッドから出て服を着始めたアムロに、自分はしっかりとブランケットに丸まったシャアが追い討ちをかけた。

「狼くん、せいぜい猟師には気をつけて帰ることだ」

 してやったり、とでも言いたそうな、会心の笑みで。











こてんぱんにやられている最中に書いてたせいで、
途中なんだかしめっぽい。
ハロウィンでアムシャア。CCAネタなのに甘くていいのかー。