ザ・コックピット
「キスしていい?」
否定されることなどありえないというように顔をよせ、うっとりとアムロは囁いた。
言われたほうのシャアはというと、突然のアムロの要求に、呆れた顔をした。
コックピットという密室で、二人でいる。
スクリーンに映し出される背景は、アムロとシャアのやりとりなど知らない人々が、忙しく立ち働いていた。聞こえなくてよかったとシャアは心底安堵した。この年下の恋人は、まったく唐突に、唐突なことを言う。
「………まさかと思うがアムロ、最初からそれが目的で手伝いを申し出たのではあるまいな?」
整備する箇所を記したチェックボードをアムロの顔にベシッと押し付け、シャアはキスを阻止した。
アムロは不満気に、チェックボードを手で押しやり、
「まさか。百式の整備をしたら、Zをいじらせてもらうつもりだったんだ。モビルスーツをいじくるのは興味本位というか、趣味というか……」
「褒めていいのかな、それは」
アムロの言い訳に、シャアは褒めるべきか諌めるべきか迷った。アムロは優秀なパイロットであり、メカニックである。それ以前に、メカ好きだ。命をあずけて戦うモビルスーツの整備を、趣味の範囲で扱わせたくないと思うのは、当然だろう。
「いいじゃないか…。キスくらい。もう一週間以上もシャアに触ってないよ。そういえば」
「このところ連日で敵に遭遇していたからな…。そういえば」
そういえばこのところ、お互いに触っていない。意識すると、急に恋しくなってきてしまい、困った。恋人として触ることと、仕事相手として触ることは、全然違う。
だが。
「だめだ、アムロ」
シャアの理性は流されなかった。再び擦り寄ってきたアムロを手で制し、赤くなった顔を誤魔化すように、もう片方の手で覆う。
「キスだけだから。…シャア」
「だめだ……」
アムロはシャアの手をとり、手袋を外した。あらわれたすべらかな指を自分の指とからませて、そっと口付ける。その先を強請るときの、アムロのクセだった。
「キスだけですますつもりないだろう、君はっ」
ぱっと手を取り返し、シャアは慌ててコックピットを開けた。これ以上二人きりでいるのは危険だと、頭の中で警鐘が鳴っていた。
シャアが百式から降りると、アムロが慌ててついてきた。
「……なんでわかるんだよ、シャア」
「君は正直者だからな。顔にかいてある」
フン、と冷たいシャアの腕を捕まえて、アムロが訴えた。
「シャアは平気なワケ?」
とっさに掴まれた手を振り払い、シャアはあたりに誰もいないことを確認すると小声で言った。
「…な、わけないだろう。…だが場所を考えろ」
「いいじゃないか、コックピットなら誰に見られる心配があるわけでないし」
「君にはデリカシーというものがないのか?あんな………」
そこまで言って、シャアはふいっと顔を背けた。
「……見られてるみたいで、イヤ?」
ピンときたアムロが言うと、シャアは顔を背けたまま、かすかにうなずいた。シャアが顔を向けようとしないということは、おそらく見せられないくらい赤くなっているからだろう。年上で、理屈屋のくせに、こういうことにはシャイなのだ。
「………今夜、」
「ん?」
「もし、襲撃がなければ……君の部屋に行く」
コックピットという場所でなければ、シャアもアムロの求めに応じていただろう。たったキス一つでその気になれるほど、飢えていた。アムロという存在に。
アムロは顔を輝かせ、もし敵が来てもあっという間に撃墜してやると、闘志を燃やした。
アムロの執念が通じてか、アウドムラは敵に出くわすこともなく、久しぶりに自由に空を飛んだ。
「ねえ、なんで、コックピットはイヤなの?」
「あたりまえだろう。あんな狭いところで」
「狭いほうが、その気にならない?」
「だいたいコックピットでは無理だとは思わないのかっ?」
「やり方によると思うけど……」
とぼけた答えを返したアムロの顔に、シャアが投げつけたシャツが張り付いた。着替えてそのままほったらかしにしてあったので、汗臭い。いかにも汚いものだというように指先でシャツをつまみあげたアムロに、さらにシャツが飛んできた。次に、ストライプのトランクス。
「うわ、シャア、こんなもんまで投げるなよっ」
「下着くらい洗濯にだしたらどうなんだ!」
さすがに抗議したアムロに、怒鳴り声が降ってきた。
「めんどくさいんだよ」
言い返したアムロだったが、シャアの目が本気で怒っているのを見て、慌ててシャツと下着をぐるぐると一纏めにして、洗濯物カゴに投げ入れた。
約束どおり、夜にアムロの部屋を訪ねたシャアだったが、部屋のあまりの散らかりようを見て、部屋に入ることもせずに開口一番言ったのだ。掃除をしろ、と。アムロは一応掃除したとは言ったのだが、信用されなかった。
シャアの部屋に比べて、アムロの部屋はよくもまあこんなにと呆れるほど、様々な物で溢れていた。しかもその大半は必要の無い物だった。ゴミは捨てる、という一般常識は知っていても、どうやらアムロは忘れてしまっているらしい。いつ使用したのかわからないカップに、いつ飲んだのかわからない飲みかけのコーヒーが入っているという有り様は、シャアでなくても怒りたくなるだろう。昼間の甘いムードはどこへやら、シャアは猛然と掃除を始めてしまった。
「だから、コックピットのほうが……」
「ぜっったい、だめだ!!」
こんなことならコックピットでキスくらいしておけばよかったとアムロが泣き言を言いかける。シャアは皆まで言わせずに即効で否定した。
「……ねえ、なんでそんなにコックピットは嫌なわけ?」
リックディアスでも、Zガンダムでもなく、百式だったのである。シャアの愛機。少しくらい狭くても、慣れ親しんだ百式のコックピットでなぜ、ダメなのか。シャアの嫌がりようは極端だった。
「コックピットで……したりして、思い出したらどうするんだっ」
アムロが問い詰めると、愛機だからこそ嫌なのだとシャアは答えた。
「戦っている最中に、なにかの拍子で思い出したらどうしてくれるっ。君は、私が撃墜されてもいいと言うのかっ!?」
なかば開き直ったなったシャアの訴えに、アムロはしばらくぽかんと口を開けていたが、
「シャア!」
次にはシャアに抱きついていた。
「何をする…っ。アムロ……!」
「あなたって、時々本当に、可愛いよねっ」
そのままガツンとベッドに押し倒す。
「………がつん?」
ありえない音にアムロが顔をあげると、アムロに組み敷かれたシャアが言葉も無く頭を手で抑え、何かに耐えていた。じろり、と睨まれて、アムロはあわてて
ベッドの中を探る。
出てきたのは、ハロの部品だった。耳のところのぱたぱたする、あれである。
その他にも、プラグやコード、フロッピーディスクなど。どういうわけかベッドの中に転がっている。
「……君は一体この部屋のどこで寝てるんだ?」
「寝られるところで丸くなって」
ぽりぽりと頭をかきつつ答えたアムロに、シャアは切れた。力の限りに蹴りつけて、未練がましく上に覆い被さっていたアムロをどかす。
「もう金輪際、君の部屋には来ない!!」
宣言してそのまま出て行こうとするシャアをアムロは必死で引き止めて、これからは掃除しますと約束した。
「アムロ大尉が掃除してる!」
珍しいものでも見つけたように掃除をするアムロをカミーユが指さした。アムロは手を休めることなく、カミーユを睨みつけただけで、何も言い返さなかった。
その後も、ハヤトがやってきてどうしたんだ嵐になるぞとからかい、腐海がこれ以上ひろがらなくてすみますとクルーが胸を撫で下ろす姿がアウドムラで見受けられた。
その後、アムロの部屋は何度掃除しても何故か翌日には元どおりに散らかってしまうので、しだいにシャアも呆れて何も言わなくなった。
ただ、ベッドだけはいつでも寝られるようにしてあるということだった。
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大四畳半とか男おいどんのイメージです。アムロの部屋って。