Samsara
それは幸福な想像だった。
アウドムラの食堂は、その話題で盛り上がっていた。
「あたしはやっぱり男がいいわ。どうせなら強いほうがいいもの」
「別に、人間じゃなくてもいいんだろう?」
百式の整備をやっていたシャア―――今はクワトロ・バジーナと名乗る彼が食堂へやって来たのをみつけ、ベルトーチカの正面に座っていたカミーユが手招いた。空いていた隣りの椅子の背もたれを叩き、隣りに誘う。
コーヒーを手にしたクワトロが、誘われるままカミーユの隣りに腰かけた。和やかな雰囲気に、いつもなら無口な彼が何事か訊く。
「楽しそうだな。何の話だ?」
「生まれ変わりってやつです。クワトロ大尉は、生まれ変わったら何になりたいですか?」
それは幸福な想像だった。もう一度人生をやり直す、想像。しかもそれは確実に『こうありたい自分』だ。
生きている以上、死というものは必ず訪れる。まだ若いのだからという言い訳は、戦争という状況下においては通用しない。かえってその若さが人を殺す事もある。死と常に隣りあわせでいる恐怖。それを紛らわせるための、幸福な願望。
「大尉のことだから、生まれかわりって何の事だか知らない、なんて事は?」
ベルトーチカが少しからかい気味に訊いてきた。クワトロがそんな夢見がちなタイプではないと言いたげだ。クワトロはいつもの大きなサングラスをかけているので表情は読めないが、口の端をあげて、指を顎にかけて、考える仕草をした。
「輪廻転生、というやつだろう?確か、仏教用語だったと思ったが…。詳しくは知らないが、魂は死と再生を繰り返す、とかいう意味ではなかったか?」
「詳しいことは、あたしも知らないけれど、想像するのは楽しいわ」
「ベルトーチカさんは、男になりたいって言うんです」
カミーユが口をはさんだ。このままベルトーチカに発言させておくと、クワトロと嫌味の応酬になりかねない。
「カミーユ、君は?」
「僕ですか?うーん、やっぱり男がいいですね。今度は女と間違えられないくらい、男っぽい男がいいです」
「カミーユは気にしすぎよ。男でも女でも、綺麗なほうがいいじゃない」
「ベルトーチカさんは女性ですから、そんなふうに言えるんです」
拗ねたように鼻を鳴らして、カミーユはクワトロに向き直った。
それで、大尉は、と再び尋ねられ、クワトロはしばらく考えてから答えた。
「私は…そうだな、今度は女性がいい」
「えーっ!」
クワトロの答えに、思いっきり意外そうな声をあげたのは、ベルトーチカのほうだった。カミーユも驚いたのだが、ベルトーチカがあんまり大げさに驚いたので出鼻をくじかれてしまった。それでも好奇心に満ちた表情で、クワトロの次の言葉を待つ。
「こういう言い方はベルトーチカさんにはセクシャルハラスメントだと言われてしまいそうだが…。妊娠・出産という営みは、男には絶対にできないことだからね」
「あら、セクハラなんて言ったりはしませんわ、事実ですもの。クワトロ大尉は子供がお好きなんですか?」
「子供が好きかどうかは子供をもったことがないのでわからないが、自分以外の命が自分の胎内に宿るというのは、神秘的だと思うのだよ」
どこか羨ましそうに、クワトロが言った。
「クワトロ大尉が女の人だったら、美人でしょうね……」
今だってこんなに美人なのに、とまでは言わなかったが、カミーユはクワトロの女版というものを想像して、少し頬を染めた。さっきから会話に聞き耳を立てていたアウドムラのクルーたちも、どうやら同じ想像をしたらしい。一斉にうなずいた。
「そうかな。じゃあ、次に女として生まれてきたら、カミーユ、君の子供を産んであげようか?」
「ほ、本当ですか!?」
ぱあっとカミーユの顔が輝く。そして、子供が生まれる前、ようするに製作過程を想像して、さらに赤くなった。
クワトロはそんなカミーユの、少年らしい初心な反応にくすくすと笑った。ニュータイプといえどもこんなところは普通の子供だ。
「ああ、いいよ。私と君の子なら、きっと綺麗な子が生まれる」
「誰と、誰の子供だって?」
なにやら親密そうに微笑みあっているクワトロとカミーユに、食堂にやってきたアムロが面白くなさそうに割って入った。ベルトーチカの隣り、クワトロの正面の席に座る。
「アムロさん」
つんと尖ったアムロのプレッシャーを受け止めて、カミーユが答えた。
「僕と、クワトロ大尉の子供です」
カミーユの答えに、アムロはやや顔を引きつらせた。
「シャ……じゃなくてクワトロ大尉。あなた…子供が産めるのか?」
「カミーユと私で、何故私が産む側なのか理由を訊いてみたいものだが、私が産めるわけがないだろう。男なんだから」
「じゃあ、なんでそんな話が出てくるんだよ」
どこか刺を含んだアムロとは反対に、カミーユは嬉しそうに勝ち誇る。
「今度。生まれ変わったらの話です。アムロさん」
「ふーん…。この次もカミーユはクワトロ大尉とめぐり合うつもりなんだ」
「当然です。今度は邪魔が入らないといいんですけどね」
暗に、アムロが自分とクワトロの邪魔をしているんだぞとカミーユは言った。
「クワトロ大尉は、予約済みなんですから」
そのカミーユの言葉はその日のうちにアウドムラ中に行き渡り、密かにクワトロのファンだったクルーたちにカミーユは大変やっかまれ、さんざんからかわれたのだが、この件に関してはカミーユの機嫌は悪くなることはなかったという。
オマケ
「アムロ、済まないが百式の整備を手伝ってくれないか?」
百式のコックピットから顔をあげたクワトロが、リックディアスの整備という名目で、機械いじりでもしてストレスの発散をしようとやってきたアムロに声をかけた。
さきほどの食堂でのやりとりで、アムロはすっかり臍を曲げている。いくら年月を重ねても、精神の鍛錬も肉体の訓練もやってこなかった自分はちっとも成長していない。無駄に過ごしていた日々にアムロがコンプレックスを抱いている事も、アムロの機嫌が悪いことにクワトロが気づきもしないことも、また気に障った。
「カミーユに手伝ってもらったらいいだろ」
「アムロ…。アムロ君」
この男が『君』をつけて名前を呼ぶと、なぜこうも嘘くさいと感じてしまうのだろう。クワトロにそんなつもりは無いのはわかっているが、こんなふうに呼ばれると子ども扱いでもされているような気になってしまう。
クワトロは今度は体ごとあげて、アムロを待った。こちらに来ないはずがない、そういいたげだ。
「……なんだよ」
「何を怒っているのだ、君は」
「なんで俺が怒ってるなんてわかるんだよ」
「わかるさ。君のことなら」
しかたなく昇降機であがって行ったアムロに、クワトロが言った。特に深い意味はないのだろうが、そんな言い方をされるとつい期待してしまう。
「俺のことならわかるって言うんなら、なんで俺が怒っているのかもわかるんだろ」
「…さっきのことか?」
「やっぱりわかってるんじゃないか」
「あれは、ただのおとぎ話だろう…。そんなに気にしたのか」
「おとぎ話?あれじゃまるでプロポーズじゃないか」
アムロの拗ねた物言いに、クワトロはプッと吹きだした。肩を揺らして笑い出す。
「シャア!」
「そ、それで、君は怒っているのか?」
プイッとアムロはそっぽを向いた。そうだ。それで、怒っているのだ。カミーユにとられてしまったような気がして。
クワトロはサングラスを外して、アムロを見た。蒼い瞳が、まだ笑いを含んでいる。
「君とは…あんなおとぎ話ではなく、こうして触れ合えるほうがいいと思っているのだが」
「……シャア」
狭いコックピット内で密着した体に、かぁっと熱があがった。たまらなくなってアムロはクワトロの腕を掴み、なかば強引に唇を奪う。
「…君はいつも突然だな」
「あなたが悪い…あんな風に誘うから」
直に感じる、彼の体。体温と、香り、鼓動の音までもわかる。
「そうだな…あなたのいうとおり、こうして触れ合えるほうが、ずっといいや」
確実に手にする事ができるのだから。
アムロは心の中で呟いて、再び唇を重ねた。カミーユに見せびらかしてやりたい、なんて言えばクワトロは怒るのだろうけど。
おわり
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