The Fairest Of The Fair






 夕飯時を告げるチャイムが鳴った。
 食欲は無かったが、ガルマが行かなければ行かないで周りがうるさい。どんな顔をしてシャアと向き合えばいいのか。悩みつつテーブルに着くと、あっというまにガルマの周りの椅子が埋まった。ただし、隣りは開いていた。いつもガルマの隣りにはシャアが座る。彼の指定席のようなものだ。だが、今日は違っていた。
 シャアはガルマとは離れた席で食事をとっていた。一人ではない。
 隊長―――実習の時に隊長を務めていた男と一緒だった。交際を申し込んできたという、彼。
 会話の内容までは聞こえてこないが、なにやら言い合っている。男がガルマのほうを向いた。そして、シャアも。ガルマと目が合うと、先程のことが尾を引いているのだろう、少し困った顔をした。そしてまた男に向き直り、何事か話す。
 やがて食事を終えて、シャアが立ち上がった。男が当然のように続く。並んで歩きながら、ガルマのいるテーブルに近づいてきた。何もおかしいことではない。出入り口がこちら側にあるだけだ。早く通り過ぎろ、と思うし、声をかけてくれ、とも思う。矛盾している。他の男と親しげにしているシャアなんて見たくなかった。ガルマは意識して二人を見ないように、ただ黙々と食事をした。いつもと様子の違う二人に、周囲がガルマとシャアを見比べている。

「ガルマ」

 声をかけてくれと願ってはいたが、本当に声をかけられて、ガルマの心臓が跳ねた。

「なに?」

 務めて冷静を装う。シャアの態度もいつもと変わりない。

「あとで君の部屋に行ってもいいか?」
「もちろん」

 了解を得ると、シャアはにこやかに微笑み、じゃあ後でと言って、食堂を出て行った。不自然なく対応できたことにほっと息を吐くと、なぜか周りもほっとした空気になった。一人が言った。

「アズナブルと喧嘩でもなさったのかと思いました」

 なるほど、周りにはそんな風に見られていたのか。ガルマは曖昧に笑ってそんなんじゃないよと言った。喧嘩などはしていない。ただひたすらに気まずいだけだ。









 ほどなくして部屋へ戻ると、ドアに凭れ掛かってシャアがガルマを待っていた。なにやら難しい顔をして、左手で右腕の肘を支え、右手の指で唇を隠して、考えこんでいる。

「シャア、待たせたか?」
「ん……。いや、そうでもない」

 部屋を開けてライトを点けるとシャアを招き入れた。ドアを閉める。少し考えてから、鍵をかけた。

「シャアと喧嘩でもしたのかと訊かれてしまったよ」
「なんだ、ガルマもか?」

 座ってくれと促がすと、シャアは部屋の中央に位置するソファに腰かけて、足を組んだ。
 ガルマの部屋は寮の最上階にある。特室というだけあって、さすがに広い。フロア全体というわけにはいかないが。
 調度品もシャアは寮の備え付けをそのまま使っているが、ガルマは家で使用していたものを運び込ませた。ガルマ曰く、「姉上がこういうことにはうるさい」らしい。男が一人で、しかも学生寮という部屋で暮らすには如何なものかというくらい贅沢なシロモノだ。大抵の者は吃驚し、次に緊張してしまい、ソファに座る事もできない。おかげでガルマは何度も座るように促がさなければならないのだ。
 シャアはというと、初めて部屋に来た時こそ吃驚して―――というよりアレは呆れていたのだろうが―――いたが、それがどんなに豪華なものであっても見飽きたという態度であった。あたりまえのようにいつも同じソファにすわり、足を組む。

「ガルマもって、どういうことだ?」
「さっき、隊長に…元隊長か、に言われたんだが」

 シャアは言葉を区切り、悪戯っぽく笑った。あの男が何を言ったのか。ガルマは微かに緊張した。

「どうも僕は、君に泣かされたことになっているらしい」
「な……っ?」

 絶句したガルマに、シャアは肩を震わせた。とうとう堪えきれずに声をあげて笑い出す。

「彼はなかなか目ざといな。しかし、見ているだけだとそんなふうに見えたんだ」

 どうしてあの場面を、あの男が見ていたのだ。よりによって、あの男が。

「君のこと、あきらめてないんじゃないのか?」
「どうもそのようだ」

 ガルマは皮肉をこめて言ったのだが、シャアはうなずいて、笑いを収めた。それから困惑を隠し切れないように、ガルマに尋ねた。

「……なあ、ガルマ。僕は頼りないように見えるのか?」
「……………何が?」

 唐突な質問に、意味がわからない。シャアも首を捻りつつ、

「どういうことなのか、僕にもよくわからないんだが…なぜか皆、守りたいと言うんだ。あんまり嬉しくないのだが……」

 ソファの背凭れに沈み込んで、嘆息した。シャアの言葉にひっかかるものを感じて、ガルマはつい身を乗り出した。声を潜めて、

「………皆って、誰の事だ?」
「……今までに交際を申し込んできた、皆だ。一様に守りたいとか言う」

 五人くらい、とシャアは言う。シャアに告白してきた男がそんなにいたのかとガルマは驚いた。まったく知らなかった。

「そんな話…君から聞いたことないが……」
「言えるわけ無いだろう、男に告白されて困っている、なんて。言ったところでこればかりはどうにもならないし」
「水臭いんだな、シャア」
「拗ねる事ないだろう」

 確かに極めて個人的な問題なのだから、相談されてもガルマにもどうしようもない。せいぜい一緒に困ってやるくらいだ。しかし、何も言われないでいるのと、何もできなくても相談されるのとは、あきらかに違う。頼ってくれてもいいのではないかと思うのは間違いではないだろう。
 しかしシャアはそんなガルマの思いなど理解せず、どうなんだと再度訊いてきた。

「頼りないとは思わないけれど、まぁ、言い分はわかるな」

 ちょっとばかり意地悪な気分になってガルマが答えると、シャアは心外そうに目を瞬かせた。

「……なぜ?」
「時々、君はとても子供っぽい。いきなり泣き出すし」
「ガルマ……」

 シャアは気まずそうに顔を背けた。目元が薄く染まっている。
 そういうところが子供っぽいんだよ、とガルマは思った。普段は酷く冷静で完璧、一分の隙も無いくせに、ふとした拍子に無防備になる。そんな時のシャアは儚げで、確かに庇護欲を沸き起こさせるだろう。そして思うのだ、そういうことは自分の前でだけにしてほしい、と。
 ただし、弱い部分に付け入ろうとすれば、手痛いしっぺ返しを喰らうことになる。余計な事はしなくていいと。
 今のシャアがまさにそうだな。ガルマはそっときり出した。決して得意げになってはいけない。優しさを彼が拒めないようにしなくては。

「…なぜ泣いたのか、訊いてもいいか?」
「訊かないでくれるとありがたい。答えようがないしな………」
「僕にも?」
「あの気分は説明のしようがない。……君には悪かったよ」

 向き直ったシャアはいつもの表情に戻ってしまっている。これ以上は訊いても答えてくれないだろう。

「まあ、いいけど。…もうひとつ、訊きたいことがあるんだ」
「何を?」

 ガルマは立ち上がるとキッチンへと移動した。自分を落ち着かせるために紅茶を煎れる。

「元隊長にも言われたのか?頼りないから守ってあげる、と」
「そこまではっきり言われたわけではないがね」

 慣れた手つきでガルマが紅茶をカップに注ぎ終えるのを待って、シャアは言葉を続けた。

「君だから言うが、さっき彼にキスされたときはどういうつもりなのかと思ったよ」
「――――――……」

 シャアは手を伸ばし、カップの取っ手に指を絡めた。口をつける。
 呆然とシャアを見つめ続けるガルマに、肩をすくめた。

「水臭いと言われるのは嫌だから」
「キス……したのか」
「ちゃんと聞いていたか?ガルマ。されたんだ」
「そ、それで、君はどうしたんだ!?」
「殴った」

 肩を捕まれ、唇を奪われた瞬間、頭が沸騰した。有無を言わさず殴りつけてしまっていた。当たりどころが悪かったのか、一撃で倒れてしまった男をそのまま放って、ここまで来たのだとシャアは言った。

「無体をしてきたのはあちらだし、まあ下級生にやられたとは言えないだろう」
「君ね………」

 ガルマは額を指で押さえた。呆れたらいいのか笑ったらいいのかわからない。毒気を抜かれてしまった。

「まあ、これで彼もあきらめるだろうし、このことは忘れてくれ。ところで、本題なんだが」
「……まだ何かあるのか」
「レポート。一緒にやらないか?一人だとどうも進まなくて」

 君も毎日書き直していると言っていたから。本気で嫌そうな顔をしてシャアが言った。
 もちろん、ガルマに否やは無い。

「シャアとやれば、評価Aプラスがもらえそうだ」














 時が経つのを忘れる、とはこういうことをいうのだろう。シャアと真剣に話し合いをすると、話し合いどころか討論会になってしまう。どちらも譲らない。時折お互いに本気で怒ったりもしたものの、レポートは進んだ。
 ようやくペンを置いた時にはもうとっくに日付が変わっていた。もうすぐ夜が白み始める。

「もうこんな時間だ」
「さすがに疲れたな」

 うんとソファの上で両手を上げて、シャアが伸びをする。遊びつかれた猫のような仕草だ。

「少し眠ったほうがいいな。シャア?だめだよ、そんなところで寝ては」

 シャアはぱふ、とソファに顔を埋め、手足を丸めて横になった。

「今なら一秒で眠れる。…ここで横になっていいか?」
「いいか、もなにも横になってるじゃないか。ソファで寝たら、余計に疲れるだろう…ベッドを貸すよ」

 先程までの討論で、頭は興奮しているが体はヤケに重たかった。だからシャアの気持ちもわかるのだが、今日も授業があるのだ。こんなところで眠らせるわけにはいかない。手をとって促がすと、シャアはおとなしく立ち上がった。本当に疲れているのだろう。

「ところで、君はどこで休むつもりだ?」
「僕もベッドで寝るよ。…二人で寝ても、壊れたりしないだろう」

 ガルマのベッドを見て、シャアはふむとうなずいた。確かに男が二人で寝ても平気だろう大きさだった。

「ふふ、色っぽくないね、男二人で」

 ブランケットにもぐりこんで、くすくすと笑う。

「シャア、君は疲れてるんだ。お休み」
「うん」

 ずいぶんと幼い返事をして、シャアは目を閉じた。一晩中起きていた疲れがどっとでたのか、あっという間に寝息を立て始める。シャアの寝つきの良さに、ガルマは安堵した。動揺を悟られなくてすむ。
 ガルマはシャアの傍らに座ると、金の髪を梳いた。いつかの夢のように顔の輪郭をそっとなぞる。それから薔薇色の唇に指を走らせた。
 ここに触れた男がいる。想像するだけで胸が焦げ付きそうだ。許せなかった。
 眠っているシャアの顔のすぐ脇に両手をつくと、ギシ、とベッドが揺れた。自分の呼吸で目を覚ましてしまわないように、ガルマは息を止める。
 唇を重ねて、すぐに離れた。
 シャアが目を開けないことに安堵と淋しさが同時に込み上げる。

「……シャア…?」

 囁いても、シャアは身じろぎもしない。安心しきった様子で眠っている。
 もう一度、ガルマはキスをした。今度は自分の気のすむまで。

「………ン………」

 息苦しくなったのか、シャアが顔を背けた。濡れて光る唇にまた指で触れてみる。密やかな征服感。唇に当てた指で、今度はくびすじを擽ってみる。微かにシャアは反応した。顎を引き、それから逃れるように身じろぐ。指は襟元にひっかかると、釦を外して前を寛げはじめた。

「シャア……」

 ガルマは息を吸い込み、ばっと指を離した。ここまでされてなぜ目覚めないのかと、かえって苛立つ。なんて理不尽なのだろう。目覚めないで欲しいと、確かに願っているというのに。
 どうか目覚めずに、朝になっても笑って隣りにいさせてくれ。こんな醜い欲望を君に抱いていることに、気づかないでいてくれ。
 どうか目覚めて、そして受け入れて欲しい。これが本当の自分なのだ。一度だけでいい。朝が来たら、死んでも構わないから。

「シャア…シャア……」

 ガルマの瞳から零れ落ちたものがシャアの頬を伝っていく。その様はまるでシャアが泣いているかのようだ。

「…君が、好きだ」

 なぜ泣いているのだろうとガルマは不思議だった。自分でもわからない。ただ痛かった。こんな痛みは知らない。知らずにいれば楽だったのに。



 それは初めて味わう、甘い痛みだった。







Next




Back




Novel-2




 

ガルマ様、焦げてます。香ばしい匂いが漂いまくりな10話でした。
寝ている相手に言うあたりが、ガルマのガルマたる所以でしょう(笑)。
ちなみにシャアは本当に寝ています。
修羅場明けの布団に逆らえる人がいるとは思えません。