1945.8 二つの爆弾を身体に受けて、朦朧となる自分を叱咤しながら、日本は走っていた。油断すると意識を手放しそうになる。ここで倒れるわけにはいかない。日本はくっと奥歯を噛みしめた。 脇腹から、太ももから、全身から赤いものがぽたり、ぽたりと地面にしみを作り、日本が辿った道筋を教えている。だがもう構いやしなかった。逃げるために走っているのではないのだから。降伏する前に、始末をつけておかねばならないことがある。そのために、手負いの日本は海を越え、別宅にしていた国へとやってきた。 勝手知ったる他所の家の、裏口から屋敷に入る。まだ日本にはそうする権利があった。裏口を使ったのは別に人目に触れるのを恐れたわけではなく、表門は重すぎて、弱った日本には開けられそうもなかったからだ(この国のものは何もかもが権威的で華美に過ぎると思う) 日本の目的はすぐに見つかった。こんな状況だというのに、鼻歌を歌いながら戦時訓練をしていた。どうにも緊張感が足りていない―――が、この際どうでもいい。 「…かんこくさん…」 「日本っ!?」 油断していた韓国はびくっと肩を震わせて、ばつが悪そうに振り向いた。戦況は最悪だから、彼の顔も薄汚れている。 「…喜びなさい。私はここを去らねばなりません」 彼はずっとそれを待ち望んでいたはずだった。ああ、けれど淡い期待をしてしまう、彼が私を惜しんでくれるのではないかと。そんなこと有り得ないと分かっているのに。 韓国は、案の定、躍り上がって喜びを表現した。 「日本、負けたんだぜ? 負けたんだぜ!? やっほーぃ!」 韓国は率直な国だから思っていることをそのまま身体中で表現する。35年も連れ添ったというのに気遣いの一つもない。たとえ意に染まぬことでも己の感情を抑制して夫を立てる、日本式を望んでも無駄だと分かっていても、正直つらい。 しかし日本に落ち込んでいる暇はなかった。じきにここにもあの彼が来る。その前に、やっておかねばならないことがあった。 「かんこくさん…かんこくさん…」 腹に一撃を受けたせいか大きな声が出ない。日本の弱々しい声は韓国の喜びの叫びにかき消されてしまう。韓国は自分の喜びに夢中で他のことを考えることができていない。もう私がこの人を導き守ってあげることはできないのに、この先やっていけるのだろうかとまるで母親のように心配になる。負けてしまった以上、私に残された方法で韓国さんを守らなければ。 「…話を聞きなさい!!」 あらん限りの気を声に込めて怒鳴った。そういえばこの40年ほど私は韓国さんに対していつも命令形だった。怒鳴ったり殴ったりしていい夫ではなかった。韓国は萎縮しない性質なのでいくらか救われたが(最低な夫ですね、私は) 舞い上がっていた韓国は、きょとんとした顔でこちらを見て、初めて日本の状態に気付いたように眉根を寄せた。 「日本、ひどい怪我してるんだぜ…? 死ぬのか…?」 確かに。これが遺言になるかもしれない。韓国の前では平気な風を装っていたが(日本男児たるもの、妻の前で弱ったところを見せるのは矜持が許しません)、足元には血だまりができていて、すでに尋常でない量の出血をしている。 珍しく自分から近寄ってきた韓国によろめきかかり、服をつかんでやっと身体を支えた。ギリギリまで耳に口を寄せて、早口でささやいた。 「…いいですか韓国さん、私は負けました。もう家事をしたり、あなたに代わって家計簿をつけたり、足りない分の赤字を補填したり、勉強を教えることはできません。これからはあなたが主権を持って、自分でやっていくのです。ここにもアメリカくんたちが来るでしょうが、こ―――」 まだよく分かっていないらしい韓国に国旗を渡そうとした、そのとき 「勝手なことをしてもらっては困るな」 「…アメリカくん…」 陽気な若者はズカズカと歩み寄ると、韓国さんの国旗を取り上げ、真っ二つに引き裂いた。 「韓国は、僕とロシアが共同で預かるんだから」 日本は目を見開いた。怒り騒ぐ韓国を完全に無視し、アメリカは日本だけを交渉相手にして、残酷に宣告した。それはまずい、とてもまずい。日本は気力を振り絞って抗弁を試みた。 「な…韓国さんは敗戦した当事国ではないのですよ? 私のことは煮るなり焼くなり好きにすればよろしいが―――」 「君に意見する権利はないよ。大体これは君のせいでもあるんだ、君の一部になったせいで韓国は主権を取り上げられるんだから」 ずいぶん懐かれているようだからねえ…とアメリカはスゥと目を細めた。韓国の民も日本の民と一緒になって戦っていたから、そのことを言っているのだろう。懐いてなんかいないぜ!と抗議する韓国は黙殺された。 敗戦は、日本が大切にしていたものを粉々に壊した。そればかりか、日本が大切に思っていた、日本のものでないものまで、真っ二つに引き裂いた。 絶望が足元を暗くする。 こんなはずではなかったのに…、 初恋の君を幸せにしてやりたかっただけなのに これは少し前の話――― 久しぶりにこちらから訪ねた韓国は荒んでいた。中国は保護者を自認しながら何をやっていたのかと腹が立った。かつての韓国は、幼い日本から見て、大輪の花のように美しくそして強かった(実際、日本は喧嘩して一度も勝ったことがなかった)のに見る影もなかった。その頃韓国のすぐ上にはロシアが迫っていたが、中国は手をこまねいて見ているだけだった。もう任せておけないと、中国、ロシアには殴り合いの喧嘩で認めさせ無理やり一緒になって35年。 どうにかしてやりたかった。荒廃した国土をもとの美しい風景に戻したかった。まともな暮らしをさせたくて、木を植えて、いっぱいお金を投下して。いささか管理能力に欠ける(控えめな表現)韓国に代わって家計簿をつけ、家事をこなし、経営をして。はっきり言って持ち出しのほうが多かったけれど、何かを返してもらえるなんて期待したことはなかった。ただ、愛して欲しかった。 ずいぶん抵抗もされたけど、嫌がりもせず一緒に戦ってくれたから、少しは私の想いが通じたのかと嬉しかった(けれど私は、浅はかだったのですね) いい夫ではなかったから、離縁を喜ばれるのは仕方がない。それでも日本は韓国の幸せを願っていたのに、日本が韓国にもたらしたのは最悪の結果だった。 …にほん?にほん!? (ごめんなさい、かんこくさん、ごめんなさい) 日本のためにこれからも苦難を強いられるであろうつれあいの声を聞きながら、日本は意識を手放した。 |