妙なパラレル
中日と日台…ですかね?
こんな感じのパラレル↓
―――主に泥水の中から救われてから、私の牙と身体は主ただ一人のために捧げられたものだった―――
「走!」
人影が吸い込まれた物陰を示し、主が白い袖を振る。
私は袖の陰から飛び出し、影を追って隙間に飛び込んでいく。
バシャバシャ、バシャバシャ、泥水が跳ねる音が獲物の位置を示してくれる。
私の黒い姿は夜の闇に紛れて都合がよい。うかつな獲物は、誰も追ってくるものがいないと安心して、どん詰まりに座り込んだ。
ハアハアと荒い息をついて、どうにか息を整えている。その手にはピストル。一気に飛び掛り反撃の隙を与えないように仕留めなければならない。
それから10分後。
物陰から一人で出てきた私を主は満足げに出迎えた。
「しとめたあるね?」
当然だ、それが主の命ならば。完遂するまで主の前に姿を見せることはない。
白い袖は汚れなき白。手足のように仕える配下がいるのだから、彼が手を汚す必要はない。
その白い袖を私のほうにさし伸ばしたので、私は驚いて身を引いた。
白い姿が汚れるのもかまわず、主は私の頭に手を置いた。
「よくやったあるね。菊はいい子ある」
ボールを取ってきた愛犬をほめるように私の頭を撫で。
主は私を引き連れて、何事もなかったかのようにその場から立ち去った。まるで夜の散歩の途中のように。
黒い姿は返り血も何もかもを黒く塗りこめて、目立たなくさせるという意味でも都合がよい。
無口で愛想のない私に主は最大限の信頼を寄せてくれる。
よく吠えるのは駄犬ある、お前は賢いあるな、と目を細められるとそれだけで私は胸が一杯になる。
主の行くところには恐ろしい噂が付きまとった。
彼と敵対するものには鉄槌が下される、彼の敵はまるで獣に引き裂かれたような無残な姿で発見されるのだと。
―――主の大きな白い袖の影で血に塗れて生きていくのだと思っていたのです―――
主が私のすべてでした。
あの日、真っ白な産着に包まれた赤ん坊を見せられるまでは。
「見るよろし! 我の宝物あるよ!」
初めて見る主の満面の笑み。切れ長の瞳は蕩けるように細められ、頬は緩みっぱなしです。
鼻を寄せると、赤ん坊からはあまやかな匂いがしました。ミルクの匂いでしょうか?しかしそれだけではないようです。
私は親を知りませんが、母親の胸に抱かれたことがある者なら誰でも嗅いだことのある匂いだったのでしょう。
赤ん坊は幸福を体現したように主の腕の中で眠っています。
それは私とは無縁の世界でしたが、ああ、確かにこの屋敷の一角には幸福な家族が存在していたのだなあと私は久しぶりに思い出しました。
しかしそれはあくまで私とは関係ないはずだったのです。
主はどこにでも私を連れて行きましたが、公の場に出るとき、私の存在は不都合なこともあります。
そんなときは私は屋敷で待機。主の身は心配ですが、その場にふさわしい部下が主を守ってくれます。
私の主はあなただけですが、あなたの配下は私だけではありません。
胸の奥にじりじりとした想いを抱えて、日がな一日、私は部屋の隅に丸くなって主を待ちます。
主がいなければご飯も水も喉を通りません。主の役に立つために、身体を維持しなければならないと分かってはいるのですが。
主がいなければ仕事もありませんから、部屋の隅で地蔵のように固まっているだけです。
私はするり、と赤ん坊が寝かされている部屋に入り込みました。
この屋敷の者は赤ん坊のご両親も含めて皆忙しいので、赤ん坊は一人きり、寝かされておりました。
ベビーベッドを覗き込むとあまやかなミルクの匂い。
目鼻立ちがはっきりしているところは主に似ています。
ぱちり。とふいに赤ん坊が目を開きました。
あー、だ、ぷー?
意味の取れない言葉をしゃべりながら、もぞもぞと白いシーツの海を蠢き、懸命に手を伸ばします。
ぺたぺたと触られて、主以外の人間に触られるなど嫌なはずなのに、不思議と嫌ではありません。
この気持ちは何だろう、身体の奥から湧き上がってくる、この気持ちは何だろう。
それからの私は、主に置いていかれるたび、赤ん坊の部屋に入り込むようになりました。
どこにいたって何をするわけでもないのですから、屋敷のどこで時間を潰していたってかまわないはずです。
しかしこの屋敷で一番に祝福され愛される存在である真っ白な赤ん坊に、この屋敷の汚濁を一身に集めたような真っ黒い私が近づくのをよく思わない者もいるでしょう、
だから誰にもばれないように気をつけていたのですが。
何の気まぐれか、ベビーベッドから下ろされて、床を這い回っていた赤ん坊に捕まってしまったのです。
部屋に入り込んだのは私ですが、赤ん坊の意味のない動きを部屋の隅から眺めているだけで、誓って私からは何もいたしておりません。
ああ、それなのに。
赤ん坊のほうからにじり寄ってこられては、私には何の手立てもありません。
(ぴゃああああああっ…そんなに強く握らないでくださいいいい…!)
敏感な部分を力強く揉むようににぎにぎされ、私は腰をぬかしてしまいました。
触られたくないところですから反射的に払いのけそうになりましたが、相手は主の宝物、傷つけるわけにはいきません。
これもあるじさまのため、ぷるぷると震えながら、私は赤ん坊の気まぐれな行動が終わるときを待っていました。
と、そのとき。
がたんと大きな音がして、私は扉のほうを振り返りました。
ヒッ…と息を呑んで。
何者を前にしても恐れる姿を見たことのない主が真っ青に青褪めて立っていました。
「危険ある!そいつに気安く触ったら…―――菊…?」
私の様子がおかしいことに気付いた主はあわてて駆け寄ってきました。
長い間敏感な部分を刺激されたせいで腰が抜けて、立っていられなくなりくたりと床に横たわった私の頭上に赤ん坊は意気揚々とよじ登りました。
(あ、耳はやめて…、)
ひーひーと声にならない悲鳴を上げる、赤ん坊に無抵抗な私の様子を見て、主はようやく安堵したようでした。
これこれ、やめるある、と赤ん坊を抱き上げられて、ようやく私も息をつけました。
「この娘はすっかり菊がお気に入りね」
ぐずって私のほうに手を伸ばす赤ん坊をあやして、主は訳知り顔でうんうんとうなずきました。
赤ん坊の部屋に入り込んだことを叱責されるのではと内心で恐れていたのですが、不問に付されるようです。
「菊、我に代わって我の宝物を守ってくれある」
それはご命令でしょうか。
私の主はただ一人、私は主の命をかなえるために生きているのです。
床に伏せったまま主の顔をじっと見つめます。
「菊も知ってのとおり、我には敵が多い、それなのにこの娘はいつもどうしても家で一人になってしまうある。
菊が守ってくれるなら百人力ある。警護に多くの人手を割かんですむし、我は安心して遠くまで稼ぎに行けるある。
やってくれるあるね?」
―――こうして私はお嬢様をお守りすることになりました―――
それ以来、お嬢様とはいつも一緒です。
最初はお嬢様が私の寝床にもぐりこんできたことで―――私は大変驚きましたが―――お嬢様は私の首にかじりついてベッドに戻そうとしても離れることはありませんでした。
主は「獣みたいな娘ある!」と眉をひそめておられましたが、私は知っています、お嬢様は寂しいだけなのです。
主も、ご両親も、お嬢様を愛しておられますが、どうしてもかまう時間は少なくなってしまいます。
一人の食事や寝床を厭って私を追い掛け回すお嬢様に、私はできるだけそばにいようと決心いたしました。
私をおうまさんにしてご機嫌なお嬢様、私のご飯をとろうとするお嬢様、弊害もないではありませんが、愛しくて仕方ありません。
たまに主が苦笑まじりに嘆かれることがあります。菊がおらんと仕事が捗らねーある、毛を毟られるなら我の手元に戻ってくるあるか、と。
するとお嬢様はムキになって「駄目よジジイ、菊さんはあたしのなんだから!」ときゅっと首に手を回されて私を抱き締められます。
主はもちろんご冗談をおっしゃってるに過ぎないのです。けれどそう主張されることが幸福なのです。
あるじさま、申し訳ありません。
私の主はただ一人、けれど、お嬢様のためならこの命、捨てても惜しくないと思えるのです。