■1895 生まれたとき、台湾は一人ぼっちで波の間をぷかぷか漂っていた。 その後おらんだとか、すぺいんとかいう国に拾われたらしいのだが、そのあたりの記憶はない。 気がついたときには中国のでっかい屋敷の中にいた。 中国はとても広大で強大だったから、辺縁のちっぽけな島のひとつに過ぎない台湾は話すこともできなかった。 中国を二分する革命があり、台湾もそれに巻き込まれたあとで、台湾省なんていう大層な名前をもらった。でもやっぱり、水と緑しかない台湾に、中国の興味を引くものなんて何にもなくて。 そんな調子で放っておかれたので、台湾は成長することなく、ただ中国の家に存在していた。 だから中国が日本と戦争を始めたと聞いても、どこか遠い国の出来事のように感じていた。中国に省みられない小さな台湾は、自分が重要な位置にあるとは思っていなかった。 玄関に近い末席(末部屋?)を与えられ、ゆらゆらと眠る日々。放っておかれるのはそれなりに快適だ。 しかし、ある日突然台湾の平穏は破られた。 ばたーん! 何者もそれを侵すことはできないと思っていた、中国の屋敷の重い扉が力づくで破られたのだ。中国の民のものではない、力強く規則正しい軍靴が中国の屋敷を踏み荒らす。 関係ないと思っていた台湾のところにもそれはやってきた。小さな台湾は、どうすることもできずに大人の男たちの軍靴に蹴っ飛ばされないよう必死で逃げ惑った。 (怖い…怖いよ、にーに助けて…!) いくら呼んでも大哥はこない。それでも台湾には中国しか頼るものがいなかった。 日本の軍人の中に一人、そんな様子に目を留めた者がいた。 「あれは…!」 台湾は見た目では、愛らしい小さな女の子に過ぎない。 小さな女の子が泣きながら逃げ惑っている。放っておいたら踏み潰されてしまうかもしれない。 ふわっ 台湾は突然しなやかな手に抱き上げられた。 「にーに!?」 やっと安心できる場所が見つかったと喜色を浮かべて振り返れば、 「いやあああ―――! にほんあるー殺されるあるにーにぃ―――!!」 台湾を抱き上げたのは、中国の敵である日本だった。 ジタバタと暴れる台湾にかまわず、軍服の青年は幼女を連れ去った。 台湾が耳元で声を限りに叫ぶ。頬をぺちぺち叩く。身をよじって逃れようとする。日本は抱きづらい身体を落とさないように、軍靴からかばうように、しっかりと腕の中に抱え込んだ。 暴れ疲れた台湾はいったん抵抗をやめた。中国は、日本は鬼だと言った。それを信じて怯えていたけれど、この青年の手は温かくて、こっそり盗み見た顔だってとても優しそうで、そんなふうには見えない。中国には、こんなふうに抱き上げられたことはなかった。 それでも下ろせ下ろせとジタバタ暴れると、青年はようやく台湾を下ろしてくれた。ホッとしたのもつかの間、 「今から台湾さんにはうちの子になってもらいます」 硬い声で告げられた。 「そんなのおかしいある!台湾は台湾ある!」 中国は、台湾は中華の子だというけれど、台湾はそれを認めていなかった。大哥にそんなことを言ったらぶたれるので言わないけど。 優しそうな青年には口を尖らせて反抗した。まだ心臓は怖くてバクバクしていたけど、本来の台湾はきかん気の強い娘だった。 青年の顔がこわばった。ス…と台湾の頭上に伸ばされる手。ぶたれる!と怯えて台湾は反射的に目をつぶった。 「ごめんなさい…」 しかし青年の手は優しく幼女の肩に下ろされた。 日本は膝をついて腰を下ろして、台湾と顔の位置を合わせて、しかしうつむいて目は合わせず、言い聞かせるように呟いた。 「ごめんなさい…でも、アジアから列強を追い出すためには、あなたや、アジアの皆さんが必要なんです…」 近くで見た顔は悲しそうで、眉をひそめて今にも泣きそうな表情を作っている。自分よりはるかに年上の男だけれど、力づくでさらわれたのだけど、つらそうだな、と思うとたまらなかった。 鬼みたいに無理やり従わせたくせに…、 「ごめんなさい…」 もはや抵抗をやめて棒のように突っ立っている台湾の小さな身体にすがり付いて、日本は何度も何度も謝るだけだった。 |