■1941 ドイツは困っていた。 じとー。 目の前では大きなソファに行儀よく座った日本が、恨みがましい目でドイツを見上げている。 「…ロシアさんと不可侵条約を結ばれたんですね」 「あー…そんな顔をするな。しかたないだろう、これも仕事だ」 あれほど言ったのに…と憮然とした表情を浮かべている。日本は普段、礼儀正しく素直な好青年なのだが、ロシアが絡んだ途端に普段の冷静さをかなぐり捨てて怒り出す。先日もキレた日本をなだめるのにドイツはかなりの苦労をさせられた。隣の国というのはどこでも仲が悪いものだし、それがあのロシアならば尚のこと、ドイツだってどちらかというと近づきたくない相手だ。上司の命令でなければ条約を結ぶなんてありえなかっただろう。 しかしドイツはこれからもっと言いづらいことを言わねばならなかった。いつもいつも、嫌な役目は俺に押し付けてくるのだからやっていられない。(…まったく日本贔屓だというのなら、自分で話せばよいものを…!)日本のファンだという上司の顔を思い浮かべて心の中で罵った。 あー、コホンと一つ咳払いをして場の空気を換えようと試みた。 「ウチの上司からの提案なのだが」 しかめていた眉をふっと寛げて大きな黒い目がドイツを見返してくる。絶対怒る。絶対怒るに決まってるのだこんな提案。ものすごく言いたくなかったがドイツは覚悟を決めなければならなかった。 「独露で条約を結んだことだし、日本もロシアと不可侵条約を結んで、ロシアを枢軸国側に引き込んでしまわないか?」 日本の顔がみるみる強張った。 「ロシアもアメリカが気に食わないようだから、同盟を持ちかければきっと…」 「冗談じゃありません!!!」 …キレた! くわっと般若の表情を浮かべて日本はドイツに食って掛かった。 「私にロシアさんと同盟しろと!?そんなことするぐらいなら腹掻っ捌いて死にます!」 「しかしだな…」 「ドイツさんとロシアさんの不可侵条約だって、認めたわけではないのですよ?」 そりゃあ私ごときにドイツさんに指図する権利はありませんけど!ソファにぼすんと座って両手を膝の上で握り締める。…まずい、今度は自虐に走り始めた。ドイツは弁が立つほうではないが、そうも言っていられない。浮気の言い訳をする夫のように千の言葉を弄しても、頑固な日本は耳を貸そうとしない。わたわたと言葉を並べるドイツの前で日本は涙ぐみ始めた。どんどん悪いほうへ思考が行っているのだろう。あの二国はどうして仲が悪いのだろう、とか原因を探れば解決するような事柄ではない。これはもう運命的に決まっていることなのだ。混ぜたら爆発する薬品のような間柄の二国を同盟させようなんて無茶もいいところだ。 これをどうやって説得しろと? 涙ぐむ日本を前に、ドイツは心底上司を恨んだ。 ■ ■ ■ しかし日本もドイツの提案を入れないわけにはいかなかった。 敵味方のパワーバランスと位置を考えればロシアの存在は無視できないものだった。ならば敵に回すより味方にしておいたほうがまだマシ、そうでなくても少なくとも攻め入られないようにしておいたほうがいい。ロシアが約束を守れない国だということを日本はよーっく知っていたが、薄っぺらい約束ひとつでも一応結んでおいたほうがいいだろうと、散々逡巡したあげく、ロシアと中立条約を結ぶことにした。それは上司の指示でもあった。結局のところ、ドイツと同様真面目な日本も個人的感情より職務を優先してしまう傾向にあった。 ■ ■ ■ (あーもうやだやだ、何で私がロシアさんと仲良くしなけりゃならないんでしょうか) まったく気が進まないながらもやるとなれば日本は手を抜かない。ロシアが大好きだというひまわり(季節が違うので手に入れるのは大変だった)を主体にした花束を手にロシアの家のドアを叩いた。すぐに中から応えがあり、少し開いたドアの隙間からロシア本人が顔を覗かせた。 「…日本君、何の用?」 ロシアがいつもの笑顔を浮かべるまでに不自然な間が開いた。それが心に引っかかりながらも、日本は大きな花束を差し出した。 「私ともお友達になってくれませんか?」 「…えっ?」 え? きょとんと驚きの表情を作ったロシアに違和感を覚える。(なんか…いつもと違いますね…)友達になってくれと言われてちょっと嬉しそうにも見える。そんな馬鹿な。相手はロシアなんだから、そんな素直な反応を見せるはずがないのだ。たとえ嬉しかったとしても(ありえませんが)それを相手に悟らせて後の交渉を不利にするような警戒心のない国ではない。 一瞬嬉しそうな(…錯覚でしょうか?)顔をしたロシアだったが、すぐに表情を改めた。部屋の隅に膝を抱え体育座り。僕はすねてます。という態度を全身で表しながら、ぷくーっと頬を膨らませた。どうでもいいが大の男がそんな仕草をしても全然可愛くない。 「…そんなこと言って、君もどうせ裏切るんでしょ」 何なんだこの子供じみた態度は。呆れつつ疑われるのは本意ではない。日本はいつでも清廉潔白だ。 「日本は決して約束を違えません」 その言葉を聞いて、疑わしげな表情を作っていたロシアの表情がだんだん緩んでいく。 「…本当に?僕でいいの?僕と友達になってくれるの?」 「ええ」 するとロシアはパア…ッと傍目に見ても分かるほど顔を輝かせた。 「にほんくん、好き…!」 ぎゅううううう。 「ぎゃああああ!」 色気もへったくれもない悲鳴を上げる日本にかまわずロシアは力いっぱい日本を抱き締めた。 ヒグマのような怪力で子供のようにロシアに懐かれながら、日本は眉尻を下げて困っていた。 (何でこんな嬉しそうな顔をするんでしょうか…) ロシアさんと私は宿命的に敵対する間柄のはずなのに。 (調子が狂ってしまいます…) 自分ばかりが敵意を抱いているようで、日本は申し訳ない気持ちに陥った。 やがて。 仕方なさそうにロシアの広い背中に日本の手が回された。 |