いい夫婦の日にちなんで露日が夫婦です。
露様がものすごく弱ってます。
世界は真っ黒である。まぶたを下げて、上げてもやはり世界は真っ黒である。無色で無音の世界を漂っていると自分という存在はどこにもないのではないかという考えにとらわれる。我思う故に我在り、とある哲学者は言った。であるならばここに自分は存在しているのだろう。しかし、視覚も聴覚もそれを確かめる役には立たない。存在の不確かさに耐えられなくなって混乱を起こしかけた脳は、うっかり噛んでしまった舌によって思考を取り戻す。痛い、ということは確かに自分はここにいるのだろう。ではここはどこなのだろう。少しずつ思考を構築していく。目を閉じて―――とはいっても目は閉じていても開いていても真っ黒であったから同じことだったが―――他の感覚に集中してみる。聴覚…何も聞こえないけれど耳に何かが詰まっているような感覚がある。味覚…はないが先ほど噛んだ舌先がじんじんと痺れている。嗅覚…鼻に息を吸い込むと凍るように冷たい空気が入ってきて粘膜が痛くなる、ので極力ゆっくりと吸い込むように努める。触覚はどうだろう。手や足の先に神経をめぐらせてみる。両手足は着衣の上から何かで縛られてまとめられているようだ。口も粘着テープのようなものでふさがれているようで先ほどから息苦しい。身体全体を揺すって動かすことを試みたが、何故か筋肉に力が入らない。早々に動くことは諦め、状況の把握に努める。自分が存在していることは確かめたが、では僕は誰だ?―――ロシアだ。国という存在だ。ロシアがどうしてこんな状況に陥っているのか。どこかへ行こうとしていたんだ。どこへ?日本へだ。何か大切な用事があったはずなんだ。一体何のために…?集中しようとすると拡散してしまい、うまく思考がまとまらない。柄にもなく焦っているのだろうか、落ち着いて、冷静に…、鼻から吐いた呼気が冷えた頬を暖めるが、明晰なはずの頭脳はうまく働かない。理由はいったん置いておいて、自分の行動を辿ってみる。急いでたんだ、急いでいたからいつもは使わない人通りの少ないルートを使って…、途中で襲われた…?誰に、と集中して考えようとするとやはり思考が拡散してしまい答えが出てこない。とにかく現在は拘束されているということか。そして鈍い思考といい、先ほどからちっとも言うことを聞かない筋肉といい…、思い当たってロシアは呪いの言葉を吐きたくなる。何か薬物でも打たれたのかもしれない…これは…とんでもなくピンチなんじゃないだろうか。こういうときは人間の形は不便にしかならないな…、苛立ち紛れに舌打ちをしたかったが口は封じられている。唯一思い通りになる舌を噛む。痛覚が脳を刺激することでやっと少し落ち着くことができる。はやく…にほんにいかなくちゃ…、あれ?なんで、だっけ…朦朧としてよく思い出せない。大切な用事があったはずなのに… と堂々巡りの思考で己を保っているロシアは表の騒ぎを知る由もなかった。 「ウチの警察力を舐めんなオラァ―――!!」 ドカーンッ! いっそすがすがしいほどの容赦ない鉄球攻撃で敵のアジトに大穴が開いた。そこからひらりと黒っぽい人影が飛び込んだ。内部にいた覆面を首に巻いた人間達は驚きの声を上げながら自動小銃を手に取り、あるいは逃げ惑う。 ばたばたと人が倒れていく。狭い室内でキラリキラリと白刃が光る。 騒ぎを聞きつけて他の部屋からも応援手が駆け込んできて、ようやく態勢を整えた敵が黒い男を囲むように陣形を作った。 「国(われわれ)に手を出すということがどういうことか、教えて差し上げますよ…骨の髄まで、たっぷりとね…」 ニィ…と黒い男―――日本は凄惨な笑みを浮かべた。 修羅の顔で笑う日本が切り拓いた道をフランスは目立たぬように走り抜けた。まだ室内に敵はいるがここは日本に任せてフランスは己が為すべきことを為すために抜け出した。別に敵が怖くて逃げるわけじゃないよ!?と心の中で言い訳しながら。日本がいれば敵など怖くない。しかしむしろ、日本と同じ部屋にいるのが怖くてたまらない。 ―――どこだ、どこだ!? 早く見つけなければ!日本がとんでもないことをする前に。 焦るフランスの耳に日本が奏でる破壊音が響いてくる。 攻撃力の低さを考慮して、フランスと日本は二人で組むことになったのだが…。 (誰よ日本が弱いなんて言ったの!あれを俺一人で抑えるなんて無理だよ!?) フランスはもう泣きそうだった。 どれほどの時間が経ったのだろう、ふいに身体を持ち上げられて、ロシアの意識は浮上した。 頭の下に硬い枕のようなものがあてがわれて、顔の辺りで何かがごそごそと蠢いている。 目と耳と口をふさいでいたものが取り去られて、パッと視界が明るくなって、あまりの眩しさにロシアはぎゅっと目をつぶった。 頭の上から安堵のため息が聞こえた。 「無事ですか!?」 遠くから鋭い声が聞こえて、ぼんやりと目を開ける。目の前にいたのは求めていた男ではなくヒゲ面の旧友だった。 「―――目標は確保、至急応援を頼む。…え?俺一人じゃ止めらんねーって!ムリムリ絶対無理!」 ロシアの無事を確認するとフランスは重い身体を支えきれなかったらしく、拘束を解いてそばに寝かせた。そして通信機でどこかに連絡を入れた。 まさに阿修羅のごとき八面六臂の戦いぶりで日本は敵のアジトを制圧した。 フランスはロシアをかばいながら警戒していた力を抜いて、にんまりと笑って見せた。 「ロシアったらちゃんと愛されてるのな、お兄さん安心したよ。お前が消息を断ってすぐ日本が各国を集めてな、今日自分の意志で姿を消すはずがないから何かあったんだって説得してな、世界中がお前を探し回ってたって訳よ」 初動が早かったおかげで解決も早かったのだろう、ロシアもこうして無事だし、とにかくよかった。安心感がフランスの口を緩ませる。 「しかもお前の足取りは知らなかったはずなのに、アメリカとかイギリスが中東側だろって言ってんのに、絶対に日本国境付近にいるはずだって言い切ってな、愛の力かねェ…「フランスさん」 じゃき、と鞘に納められた刀を首筋に押し当てられてフランスは言葉を飲み込んだ。どうやら余計なことを言ったらしい、空気が読めるフランスは貝のように口を閉ざした。何しろいまだ戦いの気配をまとった日本は容赦なく恐ろしい。 「あ…にほ、んくん…」 ロシアの動かない舌がたどたどしく日本の名をつむいだ。 日本はこわばった顔でロシアを覗き込んだ。 「おこってるの…?」 「大事なことを忘れてますよ」 眉根をきつく寄せて、表情を歪めて。 「結婚記念日にはどんなに忙しくても一緒に過ごそうって、約束したじゃないですか…!」 ええー!?それ!?とフランスは思わず心の中で突っ込んだ。 そうそうそれだ、遅刻しそうになって、あわててたんだ!とロシアはようやく疑問の答えを見つけた。 「ごめんね」 「仕方がないから、許してあげます」 力が抜けたように膝からかくんと落ちて日本はロシアのそばに膝をついた。それから、力の入らない大きな身体いっぱいに腕を回して抱き締めた。 それにしてもロシアは敵が多いということを改めて認識した日本である。 「いつもロシアさんに来ていただいてますけど、やはり私から伺ったほうがいいのでは…」 「それはダメ。危ないもん、ろくに武器も携帯しない君をウロウロさせられないよ」 「ですが実際にこういうことが起こってしまうと…」 「僕はね、玄関のドアを開けたら君がおかえりなさいって迎えてくれるのが嬉しいんだよ」 ロシアの自覚なき殺し文句に日本は真っ赤になって黙るしかなかった。 何だか甘い空気が漂い始めたおふたりさんを生温かく見守っていたフランスだったが、そういえばもう一つ突っ込まなければならないことがあった。 「日本は軍事力を持たないんじゃなかったの…?」 おそるおそる突っ込むフランスに日本は薄く微笑んだ。 「いいですかフランスさん、テロは犯罪です。犯罪に対抗するのは警察です。したがって私が今行使しているのは警察力です。理解していただけましたか?」 「日本目が据わっててコワイよっ」 フランスは涙目で心の白旗を揚げたのだった。 |