ラトビアが歩いていると、廊下に座り込んでいる人影を見つけた。
絹のようにさらさらと顔にかかる黒髪―――日本が、腹を押さえてうずくまっている。
腹痛だろうか、それとも…誰かに刺されたのだろうか、駆け寄ろうとしたラトビアはその考えにいたって立ち竦んだ。
まだ敵がいたら?何の力も持たない小さな僕に何が出来るって言うんだろう、
それに日本のような大国と関わって何かトラブルになったら責任取れないし…、
僕一人じゃ何もできない、僕は自分では何一つ決めることはできない。
うずくまる日本、立ち竦むラトビア。
どうしよう、どうしよう…?
ふいに日本と同じぐらいの大国である隣国の顔が思い浮かんだ。
ロシアさんを呼んでこよう、そしたらロシアさんが僕のやるべきことを決めてくれる、ときびすを返そうとしてピタリと止まる。
日本とロシアはかなり仲が悪い。日本は、弱っている姿をロシアに見せるのを嫌がるはずだ。
どうしよう、どうしよう、どうしよう…!
憧れの日本さんがそこにいるのに、僕一人じゃ何もできない、大きな瞳にうるうると涙がたまる。
日本が微かに身じろいだだけでラトビアは大げさにビクついた。
怖い怖い怖い怖い…!!
ロシアも怖いが日本も怖い。日本とはほとんど話したことはないけれど。
大国が腕一つ振り上げただけで、ラトビアのような小国など吹っ飛んでしまうのだ。
大国にはできるだけ目をつけられたくない。
だけど…。
係わり合いになりたくなければそのまま通り過ぎてしまえばいいのだけれど。
リトアニアやポーランドと話している日本の穏やかな笑顔を思い出す。
日本は、他の先進国のように偉ぶったりしないし、どんな小さな国にも親切で物腰穏やかだった。
ラトビアだって本当はちゃんと話してみたかった。
(ぼぼぼぼくが話しかけても、追い払ったりしないよね…!?)
ふぇ…と今にも泣き出しそうな顔でラトビアはじりじりと日本との距離を詰めた。
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「日本さん…?どうかしたんですか…?」
消え入りそうな声に日本は青褪めた顔を上げた。
泣きそうな顔の美少年が覗き込んでいる。
「いえ…大したことでは…だいじょうぶです…」
反射的に笑顔を浮かべながら、我ながら説得力がないな、と日本は心の中で苦笑した。
けれど本当に、別に怪我とか病気ではないのだから、騒がれても困る。
「あのっ」
ぐー。
ラトビアが言葉を継ごうとしたところに盛大な腹の虫がかぶさった。
「え…?」
「すみません…」
驚いて憧れの東洋の大国を見つめると、顔を真っ赤にして日本がうつむいた。
えっと…、
「空腹で動けなくて…別に具合が悪いわけではないんです、本当に大丈夫ですから」
恥ずかしそうに日本が告白した。
原因が分かると、なあんだ、とラトビアはホッとした。
敵に襲われたわけでも、深刻な病気というわけでもなく、おなかがすいてただけかあ。
安堵するとともに日本に親しみを覚えた。
ロシアに勝った国で、アメリカに次ぐ経済大国で、完璧な国だと思っていたのに。
困っているところを見られても別段怒るでもなく恥ずかしそうに小さくなっている。
あっそうだ!とラトビアはふと思いついてポケットの中をごそごそと探った。
「これ!チョコレート、食べてください!」
遠慮する日本に強引に押し付けた。そんな大胆なことをしても怖くない。
日本はしばらく遠慮していたが、ぐうぅ…ともう一度腹の虫が存在を主張すると、本当におなかがすいていたのだろう、いただきます、と受け取った。
「ロシアさんにもらったチョコなんですけど」
何気なく言った一言にピタリと止まったが、まあチョコに罪はないですから…とモゴモゴ言いながら日本はチョコを口にした。
甘い…震えが来るほど甘い…!
普段なら甘すぎて鳥肌が立っただろうが、空腹の状態で贅沢は言っていられない。それに目の前の少年の好意は無にできないし。
口の中に残った強烈な甘みを唾液が流しきった頃には、糖分が脳みそに回り何とか動けるようになった。
美少年はラトビアと名乗った。
ロシアに侍っていた国の一つだそうで、そういえば見たことあるような気もする(一度尻に敷いていることは忘れている)
助けてもらったので是非お礼をしたい、何かしてもらったら何か返さなければ気がすまないのが日本だった。
何かお礼を、と言われても大したことをしたわけではないし、憧れの日本と近くで話せただけでラトビアは満足だった。
けれどあまりに食い下がられるので、ラトビアはちょっと調子に乗ることにした。日本さんならきっと怒らないだろう。
「そ、それじゃそのペンください!」
「これですか?」
スーツの胸ポケットに刺さっていた何の変哲もないボールペンをラトビアはねだった。
「ぼ、僕もいつか日本さんみたいにロシアさんに負けない強い国になりたいんです!お守りにしますから!」
目指されるほどの国ではないけれど、ラトビアがそれで満足ならば…と日本はボールペンを渡した。
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ロシアさんにもよろしくお伝えください、と日本は何度もお礼を言って去っていった。
憧れの大国の思いがけない可愛らしいともいえる面を見られてラトビアは上機嫌だった。
(日本さんと二人きりで近くで話せて、お礼まで言われて…)
少しも偉ぶったところがない、やっぱり素敵な国だ。
今なら空も飛べそうだ!
ふわふわと夢見心地で歩いていたラトビアは、視界にロシアを認めてビクゥ!と肩を揺らした。
いつもなら反射的に逃げるか、すくんで動けなくなるのだけれど。
ロシアさんがチョコをくれたおかげで日本さんと話すことができたのだ。
きゅっともらったボールペンを握り締めた。
「ロシアさん」
「うん、なぁに?」
ラトビアが自分から近寄ることは珍しい。
笑顔を浮かべたロシアにラトビアは浮き立った気分のままに幸福のおすそ分けをした。
「チョコレート、ありがとうございました!」