拍手ログ:露日de雪女






 昔々あるところに働き者で気立てのよい日本という名の若者がいました。近所に住む兄弟達とたまにもめたりしながら、おおむね穏やかに暮らしていました。

 あるとき日本は、兄と共に山向こうの町まで行商に出かけました。首尾よく商売を済ませ、山を越えて帰る頃には日が暮れていました。山の上は吹雪になっており、このままでは遭難してしまうということで、二人は山小屋で一夜を過ごすことにしました。
 寒い小屋の中で互いに上着を譲り合いそのことで少しもめたあと、二人はいつの間にか眠っていました。

 (…寒い、です…)
 真夜中、日本がふと目を覚ますと、真っ白い男が兄の上にのしかかっているではありませんか。大男が乗っているのですからさぞ重たかろうに、兄は目を覚ます気配もなく、微動だにしません。
 日本はあわてて叫ぼうとしましたが、不思議なことに、喉が凍りついたように動きません。喉だけでなく、指の先から頭のてっぺんまで、身体が一切言うことを聞かないのです。
 その間にも、白い男は兄の顔の上にゆっくりと屈みこんでいきます。男の吐く白い息が、端正な横顔にかかるほどになっても、兄は目を覚まそうとしません。
 (こっこのままでは中国さんの貞操が…!)

 「中国さんの上からどきなさーいッ!!!」
 凄まじい形相で起き上がった日本を見て、白い男はへえ…と感心したように呟きました。
 「すごいねえ君、僕のかなしばりを解くなんて」
 何とか起き上がったものの、身体は鉛のように重く、日本は男をにらみつけるのが精一杯です。そんな状況を知ってか知らずか、男はのんびりと言いました。
 「本当は現場を見られたら殺さなくちゃいけないんだけど。君はまだ子どもで、かわいそうだから見逃してあげる。だけどね、このことは誰にも言っちゃいけないよ」
 勝手に襲っておいて、ずいぶん勝手な言い草ですが、男は自分が善いことをしたかのような口ぶりです。
 「中国さんに何を…、許しませんよ…!」
 動かない身体で武器を取ろうとする日本に男は優しく微笑みかけました。
 「僕、おいしいものは一番最後にとっとく主義なんだ」
 男は兄の上から離れると、ゆらりと外に出て行きました。
 「待ちなさいっ…許さないと言っているのです…!」
 日本は動かない身体を叱咤して男を追いかけようとしましたが、入り口のところで膝をついたまま立ち上がることはできませんでした。男は吹雪の中に溶け込むように消えていきました。
 日本はぎりっと悔しそうに歯噛みしました。
 「私は子どもじゃありません、とっくに二十歳過ぎてますよ…!」





 村で平和に暮らしていた日本の家によそものが転がり込んできたのは、それからしばらく経って記憶も薄れてきた頃のことでした。

 白い肌に淡い金髪を持ち柔和な笑顔を浮かべる大男は、美しい歌をたくさん知っていて、はじめのうち村の娘達を中心にもてはやされていましたが、じきに冷たくあしらわれて泣く娘が続出しました。
 ここにたどり着くまでに何があったのか、誰のことも信用しないその態度から村人に持て余されていた男を、日本は放っておくことができませんでした。皆にはやめておけと忠告されたのですが、結局日本がその男を引き受けることになりました。

 一つ屋根の下で暮らし始めると、なるほど、男の態度はたいそう信用ならないものでした。目を盗んで部屋の隅でこそこそと何かやっていたり、思わせぶりな言動ばかり。お人よしな日本はいちいち振り回されていましたが、しばらくすると気が済んだのか、男の言動も落ち着いてきました。
 双方が相手の存在に慣れ、生活がスムーズに回るようになると、日本は男の様々な面を発見するようになりました。例えば、こんなに大きいのですから何も怖がる必要はなさそうなものなのに、男は異常に怖がりでした。夜中の家鳴りにも神経を尖らせ、日本の布団に潜り込んでしがみついてくるのです。そうして触れられているうちに、男の体温が異常に低いことにも気がつきました。男は子どもは苦手なようでしたが、可愛いもの好きで、動物の子どもや野辺に咲く可憐な花を愛し、それらのことを上手に歌にして歌いました。日本は男の歌が好きになりました。

 そうして男の存在がすっかり日常生活に溶け込んだ頃、日本は記憶の隅に引っかかりを覚えるようになりました。
 何か大事なことを忘れているような気がする…、
 昔、冬の山小屋で何か…、






 ある日突然思い出したとき、日本は愕然としました。
 日本が秘密をばらそうとしたときには、いつでも口封じできるように、何も言わずにそばに潜伏していたのでしょう。気味の悪いやり方です。
 告げれば、男は日本を殺そうとするでしょう。しかしそれよりも、今を幸せそうに生きている男の姿を思い浮かべると、日常生活を壊すことが、とんでもなく悪いことのように思えるのです。
 家に転がり込んできたばかりの頃の人間不信にあふれた態度は今も基本的には変わっていませんが、日本と二人きり、夜の囲炉裏ばたで縄を綯っているときなど、ズキンと心が衝かれるほど、無防備に笑うのです。
 家事にも協力してくれるし、周囲に言われるほど悪い人ではないのでしょう(たぶん)

 お前は懐に入ってくる者に弱い、それが命取りね!と言われているのに。

 日本はため息をつきました。
 (言わぬが花。という美しい日本語もあることですしね…)



 そんなわけで、二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。