拍手ログ:白猫バッシュ
吾輩は猫である。名前はまだない。とにかく腹が減ってたまらぬ。気付いたときに母猫はいなくなっていた。ゆえに吾輩は一人で生きてゆかねばならぬ。厳しいが、何としても生き抜いてみせる。それ以外の選択肢はないのだからな。しかし腹が減った。さらに悪いことに、先ほどからそぼ降る雨が身体からどんどん体力を奪ってゆく。このままでは動けなくなる。どこかに雨露をしのげる場所はないものか。おぼつかぬ足取りですきだらけの垣根の隙間に身体をねじ込み、舗装された地面から土の地面に入る。ようよう木陰にたどり着いたところで意識を失った。 目が覚めたとき、吾輩は天国にいるのかと思った。母猫の腹毛よりは落ちるがふわふわと温かく湿気を含んだ感触に包まれている。身体を動かすと「おや、気がついたんですね」と声が降って来て、地面に下ろされてしまった。地面は、灰色の硬い石でも茶色の土でもなく、草色のもので適度な硬さがツメをとらえて歩きやすい。と、目の前にある匂いに気付いた。気付くと同時に吾輩はそれに鼻を突っ込んでいた。 あとから思い返すと浅ましい真似であったと恥じ入るが、それの誘惑には抗えなかったのである。 ああ、ミルク…!温かくあまやかな至福の味…! 吾輩は浅ましいけだもののように白い液体を貪り、胃の腑に収めた。喉の上までミルクというほど飲んで、腹が満たされると、そのままひっくり返ってしまったのである。 というわけで白猫バッシュにゃんです〔1/5〕 |
吾輩は、お前に言っておかねばならぬことが在る。 しっぽをぱたんぱたんと床に打ちつけて主張してやると、よく気のつく菊は作業の手を止めて床に膝をつけて吾輩に話しかけた。「おや、ご機嫌ななめなんですね」 困ったように笑って、手の中の煮干を吾輩に差し出す。銀色の誘惑などに吾輩は負けぬ。ツンと澄ました吾輩の目前でぴょこぴょこと揺れる煮干。…む。吾輩を舐めておるのか?飛びかかり、見事仕留めてみせた。バリバリと噛み砕く吾輩をよそに菊は作業に戻ってしまった。違うのである!吾輩はお前に飼われておるわけではないぞ!? この家は隙だらけで無用心すぎるのである。そこで吾輩は決めたのである。この屋敷を守るのが吾輩の責務だと。 吾輩は誇り高き獣であるから、人間に隷属するなど言語道断、然るに、一宿一飯の恩は返さねばならぬ。恩知らずのけだものではないからな。聞いておるのか、そこのバカ犬! 先住者であるバカ犬ことアルフレッドはあふぁ…と舐めくさったあくびをしてみせた。 アルフレッド君はしつけがなってないゴールデンレトリーバー〔2/5〕 |
隙だらけの菊を侮ってこの家には侵入者が多い。しかし吾輩がいるからには簡単に不審者の侵入を許しはしないのである。 吾輩は下駄箱から高い箪笥のてっぺんに飛び移って、敵の侵入に備える。カラカラカラ…無用心きわまることに施錠していない引き戸を引いて、菊ではない人間が侵入してきた。 「それ以上一歩でも踏み込めば、ただではおかぬのである!速やかに退去せよ!」 侵入者は吾輩の警告を無視してあがりかまちに腰を下ろし、何と靴紐をほどき始めた。このまま侵入してくるつもりか、厚顔にもほどがある!吾輩は菊とは違う、警告を無視した侵入者に容赦するほど甘くはないのである。 3、2、1…Go! 「ギャァアー!?な、何だコイツ…」 奇襲作戦は成功、侵入者は無残な悲鳴を上げた。 「どうされました!?」 奥からばたばたと菊がかけてくる。遅い!吾輩がいなかったら、この屋敷は賊に蹂躙されておったところであるぞ? 賊を捕らえてふんぞり返る吾輩を菊は両手で包んだ。こら、離せ菊!な、何ということだ、賊を家に上げるでない! 「血が出てます、すぐに消毒しなければ…うちの猫がとんだ粗相を…まことに申し訳ありません…!」 「い、いや、仔猫のすることだからかまわない…本田は悪くないぞ!」 吾輩が自由の身であれば、そのにやけた面に2、3発猫パンチをお見舞いしてやったところであるが。捕まえられたままジタバタともがく吾輩を菊はめっ☆と睨みつけたのである。 アーサーさんが訪ねてきました〔3/5〕 |
菊は侵入者を一人にして台所へ行ってしまった。侵入者ことアーサーはそわそわと落ち着かず菊が去った台所方面をちらちらと気にしている。侵入者を監視する吾輩をよそに、消毒薬の匂いがするこめかみに手をやってでれ〜っとにやけた。菊に手ずから治療をしてもらったからといって調子に乗るでないぞ!?シャッシャッと威嚇してやると、吾輩のほうを向いた。「そう怒るなよ」 ええい馴れ馴れしく触るでない! 「げ。アーサー」 「アルフレッド!」 カツカツと廊下を歩く音がして、居間に顔を出したアルフレッドは顔をしかめた。一方のアーサーは喜色満面、でかい割に俊敏なアルフレッドが避ける間もなくアルフレッドの身体を抱き締めた。…む、こやつ人間にしては、意外とやるのである。 頬ずりされているアルフレッドは押し寄せる愛情表現に心底嫌そう。ぐるるぅ…とうなり始めた。舐めんばかりの愛情表現が暑苦しい。…少々、バカ犬に同情するのである。 「アーサーさん、また噛まれますよ?」 茶菓子を持ってきた菊がたしなめたので、アーサーはしぶしぶアルフレッドを解放した。アルフレッドはすばやくアーサーの手の届かない部屋の隅に避難した。アーサーは未練たらしく犬用玩具やジャーキーで気を引こうとするが、アルフレッドは見向きもしない。しかし部屋を出て行こうとはしないアルフレッドは、少しはアーサーのことが気になるのであろうか。聞いてみるとアルフレッドはしゃあしゃあと答えてみせた。 「僕はリーダーだからね!菊が危険な目に遭わないように守ってやらなくちゃ!」 この家のリーダーがこやつであるかどうかはともかく。アーサーが危険分子であることは吾輩も認めるのである。 「だってさ、僕が目当てだって言うなら、どうして毎回薔薇の花束を持ってくるんだい?」 僕は薔薇なんて好きじゃないよ!と憤慨するアルフレッドをよそに、居間の中央の卓でアーサーが花束を渡している。重たいであろうに(気持ちも重量も)菊は優しいから、礼を述べてを受け取った。ええい、受け取ってやるな!そんな笑顔など見せて、無用心にもほどがあるぞ! アーサーさんは甘やかしすぎてアル君に逃げられました〔4/5〕 |
庭の中央に陣取る巨体を前に吾輩は固まってしまった。 のたくっているそれを今まで見たこともない吾輩は、どう出てよいか分からぬ。しかし敵であるということは、本能的に察知した。 それがシュ、シュと嫌な音を出した。 「どいてくれないかな?僕は食事したいだけなんだよ」 こやつが狙う食事とは、菊が茶箪笥の中に大事にしまっているおやつの“うみがめのたまごもなか”なのである。大人しくくれてやるわけにはいかぬ。この屋敷を守るのが吾輩の仕事なのである。菊に知られぬうちに、始末せねばなるまい。 「君、ちっちゃいねえ…!やせっぽちで肉もろくになさそうだ」 吾輩が精一杯背中の毛を膨らませても目の前の巨体には遠く及ばない。こんなときこそヒーローを自認するバカ犬の出番なのに、肝心なときに姿が見えぬ。 「僕グルメなんだ、大人しくどいてくれたら、君のこと食べたりしないよ」 「やかましい、貴様こそ即刻退去せよ!たとえ指一本になろうともこの屋敷を死守するのが吾輩の責務である!」 この身に携えた武器は磨きぬいたツメのみ。巨体を覆う鱗を貫き通せるかは不明だ。しかしこの身が朽ちようとも引くつもりはない。目の前の瞳が厭らしい光を帯びた。大きな口から鋭い2本の歯が覗く。巨体が鎌首を持ち上げた。 シャーッ 「バッシュ!」 悲鳴が上がった。 「菊…」 「何をやっているのですあなたは!そんな小さな身体でかなうわけないでしょう!?相手を考えて戦いを挑んでください!」 敵と吾輩の間に入った菊がすばやく吾輩を抱き上げた。守るつもりが守られて、大変不本意なのである。 「イワンさん…うちの敷地内での殺生はご法度と申し上げたはずですよ…」 足元を睨みつけて菊が地を這うような声を出した。巨体は肩をすくめて(肩なんてものはないが、気分としては)ちろりと舌を出した。 「菊君に免じてここは引いてあげるよ、おちびちゃん、命拾いしたね」 ふ…ふざけるなァッ!!!ぶわっと毛を逆立てた吾輩にひるむことなく、長虫は悠々と庭を横切っていった。 「吾輩はお前を守ってやるつもりだったのである!余計な手出しは無用であった!」 布団にもぐりこむ菊の枕元で吾輩は懸命に主張した。雇い主にこんな態度をとるつもりはないのに、仕事が果たせなかった情けなさで駄々っ子のようになってしまう。菊はしばらく黙って聞いていたが、吾輩をむんずと掴んだ。 「バッシュさん…そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ…?」 違うのである!悔しくてぶわっと毛が逆立つ。菊は人間としては察しのいいほうであるが、意志の疎通はままならない。反論しようとしたが、急に湿り気を帯びた温かい場所に入れられて怒りを忘れた。ふわふわと、母猫の腹毛のような心地である。 初めてこの屋敷に来たときの、あれは菊の懐であったかと得心した。 「バッシュばっかり菊と一緒に寝てずるいぞ!」 わんわんわんわん! あまやかな空気は、すぐに布団の中に乱入してきたバカ犬によってぶち壊されてしまったけれど。 青大将イワンさんとアル君は宿命のライバル。よく庭で戦ってます〔5/5〕 |