Nail-er
「三蔵の爪、切りたい」
悟空の発言は唐突だった。
三蔵はたっぷり十秒ほど考えてから、答える。
「…………痛かったのか?」
悟空もまた、その正確な意味を理解するまでにたっぷり十秒ほどかかった。
「な…っ! 真顔で変なことゆーなよっ!」
特別変なことではないと思うが。
いや、三蔵にもわかっている。悟空の言う「変なこと」とは、情事を連想させるのあれこれを指すのだ。もうそれほど初々しい関係ではないと思うのだが、あいかわらず悟空はその手のことに関して初々しい反応を見せてくれる。
「じゃあどうしてだ」
理由を問うと、悟空は答えに詰まったように、困った顔をしてきゅっと口をつぐむ。
それでも三蔵がめずらしく辛抱強く返事を待っていると、やがて悟空はゆるゆると首を横に振った。
「……ならいい」
何が「なら」なのか。三蔵にはさっぱりわからない。
だからといって、追及してやるほど優しくはない三蔵は、自分への代替案を出す。
「だったら俺に切らせろ」
「え?」
そう切り替えされるとは思わなかったらしい。驚く悟空にかまわず、三蔵は悟空を引き寄せ、膝に乗せた。
今日は宿に入った時間が早く、窓の外はまだ明るい。何となく中途半端な時間帯で、こんな時間に二人きりで寛いで過ごすのは久し振りのことだった。
三蔵の膝の上で、悟空はめずらしく大人しくしていた。
特に話すこともなく、三蔵は爪切りで悟空の爪を順番に切っていく。ぱちん、ぱちんとその音だけが部屋に響いている。
片手の爪をすべて切り終え、三蔵が何気なく息を吹きかけると、胸に預けられた悟空の背中がぴくりと震えた。
「…………遊んでる?」
その声は、怒っているような、戸惑っているような。
肩越しに顔を覗き込むと、わずかに頬を染めてうつむく姿。
驚くのは三蔵だ。
「何が」
「息! かけるなよ!」
たったそれだけで赤くなるとは。いつももっとスゴイことをしているというのに。
「――いま、変なこと考えただろ」
しかも、そういうところだけ、鋭い。
「別に『変なこと』じゃねぇだろ」
「やっぱり考えたんだ」
三蔵は墓穴を掘ったらしい。
いや、三蔵からしてみれば、墓穴を掘ったのは悟空だ。三蔵に認めさせて、その結果、どうなるかわかっているのだろうか。悟空は今、三蔵の腕の中にいるのに。
「――――考えた」
わざと低いささやき声を作って、三蔵は悟空の耳に吹きかけた。
もくろみは覿面で、悟空の身体がびくっと跳ねる。
三蔵は次の行動に移るのも早く、悟空が逃げ出すことを思いつく前に、抱きしめて拘束した。そして、背後から耳朶を囓る。
「っ、三蔵!」
抗議は聞かない。挑発したのは悟空だ。たとえ本人にそんなつもりがなくとも。
「考えた、と言っただろう。つべこべ言わずに付き合え」
「勝手なこと言うな…っ!」
「お前が悪い」
「何でだよ! 俺はただ……」
「――ただ?」
三蔵は悟空の身体をたどる動きを止めて、言いかけた顔を覗き込む。
すると悟空は、はたと口をつぐんだ。
「どんなつもりだったんだ、悟空?」
口を開かせることは、別に難しいことではない。ただ一人にだけ聞かせるとびきりの甘い声で、三蔵は悟空を籠絡する。
「……三蔵にいっぱい触って、三蔵から触ってもらいたかっただけ。いちゃいちゃしたかったんだよ!」
悟空は耳まで赤くして、あくまで三蔵とは視線を合わせずに、告白した。
三蔵はその言葉をよく吟味した上で、返す。
「つまり、俺のしたいことがお前のしたいことじゃねぇか」
「ちがう! 俺のはそういうんじゃなくて!」
もっとソフトなコミュニケーションのことを悟空は指しているらしい。
「そうか」
三蔵は頷いた。そして、悟空の身体に再び手を滑らせた。
「――でも俺は、こっちの方が好きだ」