14/04/06
GO WEST ... cf.0


「――カット!」
 キレのいい声とともに張り詰めた空気が一変し、ざわめきが聞こえ出す。
 悟空はぶるりと大きく全身を震わせた。高地でのノースリーブの衣装はさすがに体を冷やす。
「お疲れさまでーす」
 スタッフが暖かそうなニットのパーカーを手に、悟空の元に駆けてきた。
 が、悟空がそれを受け取る前に、横から出てきた手がパーカーをかっさらい、悟空の肩に着せ掛ける。
「あ、ありがと三蔵」
 親切な共演者に礼を言い、パーカーの袖に冷たくなった腕を急いで通すと、三蔵は丁寧に釦まで留めてくれた。一番上まできっちりと留め終えた手は、そのままの流れで自然に悟空の頬に触れる。
「……冷たいな」
 低く言って、三蔵は形のよい眉をひそめる。
 間近で見下ろしてくる美貌とその仕草に、演技していない時でもドラマの中みたいな人だなぁと思いながら、頬を撫でる指が心地よいのも事実で悟空は喉を鳴らす猫みたいに目を細める。
「三蔵の手も冷たい。早く上、着た方がいいよ」
 ちょうどスタッフが持ってきた三蔵のダウンジャケットを今度は悟空が受け取り、三蔵に着せようとした。が、三蔵はあっさりとそれを奪い、自分のジャケットまで悟空に羽織らせてしまった。
「これも着ておけ」
「いいよ。三蔵だって寒いだろ?」
「寒くない」
 そう答える三蔵はけっして強がっているふうには見えないのだが。
「手、こんなに冷たいのに?」
 悟空は三蔵の手を握る。掌を部分的に覆う長手袋から出た指は、悟空同様に冷えきっている。
「じゃあお前が暖めてくれ」
 小さく笑みを浮かべた唇でそう言われてしまって、悟空は三蔵の手を離せなくなった。

 そんな二人を遠目にしながら、悟浄は今回の短編映画を企画した首謀者である八戒に向かってつぶやいた。
「どーやって落としたんだ、アレ」
 あれ、と悟浄が顎で指すのは三蔵。
 今日、突然現場に現れた超大物の姿に、スタッフはこぞって色めきたった。
 八戒の趣味が九割のお遊びに近い企画だが、集まったメンバーに素人はほとんどなく、八戒の豊富な人脈のおかげで若手の精鋭揃いだ。それでもさすがに、三蔵クラスとなると別格だった。
 彼は、当世きってのトップスターだ。間違っても、ノーギャラで無名の監督の自主制作映画に出演するような人間ではない。立場的にも、時間の余裕的にも、あるいは色々と噂のある性格的にも。
 八戒のことだ、きっと悪どい手を使ったにちがいない、と悟浄だけでなく仲間内の誰もが思ったし、身に覚えのある者もいたかもしれない。
 だから、八戒の返答は予想外のものだった。
「僕じゃないですよ。悟空がナンパしてきたんです」
「はあ?」
「悟空の相手役なので、好きな人を選んでくださいって言ったら、彼を連れてきたんです」
 驚きましたよ、と笑いながら言う八戒はとても驚いているようには見えないが、八戒にしてもこれは想定外のことだったようだ。
「……たまにとんでもねーことするな、あいつは」
 悟浄は悟空とそこそこ付き合いが長いが、三蔵みたいな有名人と知り合いだという話は聞いたことがない。つまり、初対面で大スターにこんな大胆なオファーをして、奇跡的に承諾をもらった……としか考えられない。
 この映画のスタッフやスポンサーを見回して、その並々ならないメンバーを涼しい顔で集めた八戒も謎が多い奴だとあきれたものだが、あんな大物をひょいと連れてきたという悟空も謎だ。むしろ、陰でいろんなことをやっていそうな八戒よりも、単純で裏表のない悟空の方が、今回の件については謎めいていると言えるかもしれない。
 ……というかほんとに、いったいどうやったんだ。
「おい、悟空!」
 気になったらどうしても尋ねたくなり、悟浄が手招きすると、悟空は三蔵を置いて駆けてきた。
 待ちながら悟浄は、ふと三蔵と目が合った気がして、おや、と思う。
「俺、いま睨まれた?」
 初対面だ。大スター様の不興を買うことなどしていないはずだが。
「睨まれてますねぇ」
 隣の八戒は、緊張感のない声で同意する。
「あなたが邪魔したからじゃないですか?」
 邪魔? 何のだ?
 八戒に問い返す前に、悟空がやって来た。
「悟浄、何?」
「あいつを引っ張ってきたの、お前なんだってな?」
 三蔵の視線を気にしつつ、悟浄は尋ねた。
「あいつって、三蔵のこと?」
 演技中でもないのに、あまりに自然にその名前が悟空の口から出てきて、悟浄は少しぎょっとした。
「お前、名前で呼んでんの?」
「うん。三蔵がそう呼べって」
 何かおかしい? と、悟空は本気で不思議に思っている様子だ。
 いや、おかしいだろ、と悟浄は心の中で激しく突っ込んだ。
 相手は悟空より何歳も年上で、それ以上に、今はたまたま同じ現場にいるが本来なら手が届かない雲の上の存在だ。普通は、たとえ本人が許しても呼び捨てになんかできない。
 三蔵の噂を思い出す。人間嫌い、気難しい、手厳しい……等々、人を寄せ付けない性格を指す言葉が並ぶ。あれは、この業界によくある根も葉もないデマなのか――それとも、悟空が例外なのか。
 悟浄が黙ってしまったので、話は終わったと思ったのか、悟空は八戒に向き直った。
「今日の撮影ってもう終わりだろ? 俺たちもう帰っていい?」
「『俺たち』って?」
「俺と三蔵」
 悟空は当たり前のように自分と三蔵をセットにした。八戒は笑顔でそれをスルーして。
「いいですよ。悟浄、すみませんが二人を送ってくれますか?」
「あ、ああ」
 心の中の突っ込みが多い悟浄は、やや疲れ気味にうなずく。
「悟空の家は悟浄も知ってますよね。彼はどちらまで?」
 まわりは皆、撤収作業をしていて、こちらの会話が聞こえる距離に人はいないが、念のため八戒は声を落とす。
「あ、一緒でいいから」
「……一緒、とは?」
 若干の間を置いて尋ね返す八戒は笑顔だ。悟浄の目からすると怖いくらいの。だが悟空は何も感じないようで、笑顔で返す。
「三蔵も俺の家でいいから」
 小声のせいで聞き間違えただろうか、と思う間もなく、悟空が駄目押しした。
「三蔵、家までファンが押しかけて困ってるらしくて、俺んち泊めてあげることになったから」
 内緒だからな、と悟空は声を潜めたまま念を押した。

 多分、勘違いだ。
 どれも、一つひとつは大したことはない。ただ、それらがいくつも積み重なったから、気になってしまっただけで。
 だから、勘違いだ。
「……なあ、大スター様にそういう趣味があるって噂聞いたことあるか?」
 向こうに駆け戻った悟空が三蔵と会話する距離の近さをぼんやりと見つめながら、悟浄はためらった末、その疑問を口にする。
「幸いなことに、ありません」
 きっぱりとした八戒の答えを得て、悟浄は心底ほっとした。地獄耳の八戒が知らないのなら、それは、ないということなのだ。
 そうかそうか、と一人うなずきながら、運転手を務めるべく車の方へ歩き出した悟浄は、だから、その後に続いた八戒のつぶやきを聞き逃した。
「――これからのことは、わかりませんけど」


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