15/03/09〜15/04/05
All I need is



 長い旅を終えて寺院に戻ってきた夜、三蔵が言った。
「俺が『三蔵』をやめてただの男になると言ったら、お前はどうする?」
 不意打ちの質問だった。
 ――訊かれるのは、別のことだと思っていた。
 旅に出る前の悟空は、三蔵の養い子として何の疑問もなく寺院で暮らしていたが、もう独り立ちすべき年齢だ。三蔵のように寺院に所属するつもりがないなら、どこかで家を借りて働くなどの道を考えなければならない。
 三蔵はそれを問うのだと思っていた。
 なので、思いもよらない質問をいきなり目の前に突きつけられ、悟空は頭が真っ白になる。
 ……三蔵が『三蔵』じゃなくなったら?
「三蔵のこと、なんて呼べばいい?」
 反射的に悟空の口をついて出たのは、そんな疑問だった。
 言ってから、自分でも答えを間違えたと思った。三蔵はそんなことを尋ねたわけではない。案の定、三蔵はあきれた顔をしている。
「あ、そうじゃなくて……いや、俺にはそれも結構大問題なんだけど……」
 悟空はしどろもどろに言い訳しながら、なんとか頭を回転させる。
 三蔵が『三蔵』をやめるというのは、寺院を出るという意味だろうか。もしそうならば。
 ――ふと、一筋の光みたいなものが悟空の心に差し込んできた。
 旅の途中のいつからか、帰ったら自分は寺院を出ることになるだろうと、悟空は漠然と考えていた。寺院で妖怪は厄介者だし、悟空ができることもない。その選択が、三蔵との別離――と言うと大げさかもしれないが、今までのような距離で三蔵と接することができなくなることを意味するのも、わかっていた。三蔵が、『三蔵』のままなら。
 だけど、もし三蔵が寺院を出るというなら、……悟空はあきらめなくてもいいのだろうか。
 ようやく三蔵の質問が悟空に浸透し、しかも、重要な意味を持ちはじめる。
 三蔵が悟空に選択肢を与えてくれるというなら。
「――――これまでみたいに、三蔵と一緒にいていい?」
 無意識に声に懇願の響きが混ざった。あきらめていたことが覆るかもしれない予感に、悟空は自分でも思いがけず期待をふくらませていた。
 悟空のまなざしを受けて、三蔵は初めて表情をやわらげた。
「お前の好きにすればいい」


 翌日、戻ったばかりでまだ慌ただしい寺院から三蔵に連れ出され、二人で街に行った。
 そこで「二人で住む家を探す」と三蔵から聞かされて、ようやく悟空は昨夜の話が仮定ではなく、三蔵が本当に『三蔵』をやめるつもりだと知った。そして、寺院を出ても自分はこれまでどおり三蔵と一緒にいていいのだ、ということも。
 寺院に戻ったのはつい昨日のことなのに、その時想像していたのとは全く違う未来が目の前にあることが、悟空はまだ半分くらい信じられない気分だ。あまりにも突然で、何もかもめまぐるしい。
 二人で暮らすというのも、なかなか実感がわかない。旅に出る前の悟浄と八戒の生活を思い出して、あんな感じだろうかとぼんやり想像してみるくらいだ。
 そういえば今日の三蔵はいつもの三蔵法師の装束ではなく、普通の服装だ。それがめずらしくて、道すがら悟空は何度も三蔵をこっそり盗み見てしまった。これからはこれがいつものことになるのだと思うと、不思議な感じがする。
 そんなふうに未だ状況に戸惑う悟空をおいて、三蔵は何軒かあたってすぐに家を決めてしまった。
 あまり広くないが、それについては三蔵から「贅沢できると思うなよ」と釘をさされる。寺院暮らしの時は気に留めていなかった、家賃や食費といった出費をこれからは自分たちでまかなわなければならないのだ。正直なところ、悟空はそういうお金の計算が想像すらできなかったので、三蔵の言うことにそのまま頷いた。
 そもそも、三蔵も悟空も身の回りの物が多くはないので、それほど広い家は必要ない。ただ。
「部屋、二つだけ?」
 食事とかをするような広めの部屋が一つと、寝室が一つだ。
「別にかまわねぇだろう?」
 三蔵はあっさりとしたものだ。あまりにあっさりしすぎていて、悟空は自分が何か勘違いしているのだろうかと思う。でも念のため、尋ねた。
「俺、どこで寝ればいーの?」
「ここでいいだろ」
 三蔵は寝室を指す。
「なら三蔵は?」
「ここだ」
 再び三蔵は寝室を指す。つまり、寝室は二人で共用ということだろう。
 旅の最中、三蔵は特に一人部屋を好んだからこの答えは少し意外だったが、お金の問題だろうと悟空は納得した。
「わかった」
 悟空が頷くと、三蔵はなぜかあきれたような表情になる。
 かといって何も言うわけではないので、悟空は居心地が悪い気分になった。
「……何?」
 悟空の疑問に、三蔵は少し間をおいて答えてくれた。
「……お前、本当にわかってるか? 一緒に住むなら覚悟しておけよ」
 だが、悟空には三蔵が何を言いたいのかさっぱりわからなかった。


 答えらしきものを提示してくれたのは悟浄だった。
 家を決めた後、三蔵は悟浄と八戒のところへ行くと言い出した。そして、自分は『三蔵』をやめる手続きをしてくるから、悟空は新居に必要な物を二人に手伝わせて選んでこい、と言い残して行ってしまった。三蔵の方は少し時間がかかるかもしれないから、悟空は先に新居に住んで待っていろ、とも。
 急いでいたのか面倒だったのか、三蔵は悟浄と八戒にはろくに説明もしなかったので、三蔵が『三蔵』をやめることや悟空と二人で暮らすことは、悟空が二人に説明した。
 二人は三蔵が『三蔵』をやめると聞いても特に驚きもせず、あっさりと受け入れたが、その上で八戒は少し難しい顔をした。
「……『三蔵』って簡単にやめられるんでしょうか」
 悟空は三蔵の言葉をそのまま受け取って深く考えていなかったので、八戒に言われて初めてそういうことに思い当たった。三蔵が「時間がかかるかも」と言っていたのは、そういう意味だったのかもしれない。
 もやもやとした不安を悟空は感じはじめたが、それを打ち破ったのは悟浄だ。
「アイツのことだから、心配するだけムダだって」
 いかにも彼らしい楽観的な意見を述べた。
 だが、言われてみればそうだ。いかなる相手だろうと、三蔵が簡単に屈するわけがない。
「……ですよね」
「……確かに」
 八戒と悟空は思わず頷きあった。
「では、三蔵が帰ってくるまでに、はりきって二人の新居をしつらえておきましょうか」
 たのもしく八戒が宣言して、買い物に出かける前に、まず何が必要かをリストアップすることになった。
「あ、これ」
 悟空はそこで思い出し、三蔵に渡されていたメモを八戒に差し出す。
「……うーん、一から全部そろえるって感じですねぇ」
「ったく人使いが荒いな」
「これだとだいぶお金がかかってしまいますから、誰かにもらえるものがないか聞いてみましょう。悟浄も頼みますよ。顔が広いところを見せてください」
「おー。ま、久しぶりに色々顔出すついでに聞いてやるよ」
 二人はメモの書かれた買い物リストを上から順に読みながら話していたが、ふいに沈黙した。
 いきなり会話が止まったので悟空が不思議に思っていると、二人は同時に顔を上げ、妙な目つきで悟空を見た。
「……何?」
 この居心地が悪い気分は少し前にも味わったことを、悟空は思い出した。まだ今日のことだ。あの時の相手は三蔵だった。
 悟浄と八戒はちらりと互いに視線を交わして、また二人して悟空を見る。
「そういえば、新居はどんな家なんだ?」
 まず悟浄が言った。
「どうって普通の……。ちょっと狭いけど。大きい部屋が一つと、寝室が一つ」
「二人一緒の寝室ですか?」
 続けて八戒が問う。
「うん」
 悟空が頷くと、二人は再び視線を交わし、八戒が無言でテーブルの上のメモを悟空の方にすべらせた。そして、悟浄が指でトントンとある一行を指し示す。
 そこには『ベッド』と書かれていた。別に不審でもなんでもない。
「これが?」
「括弧の中です」
 八戒に言われてよく見ると、その横に『(1)』と付いていた。何の数字なのかは、他の項目に照らしてみれば自ずと明らかだ。
 ――ベッドの数。一つ。
 どういう反応をすればいいのか悟空にはわからなかった。表情が固まってしまった悟空を、悟浄がさらに問いつめる。
「……お前、三蔵に何か言われなかったか?」
 その時に悟空が思い出したのが、意味のわからなかった、三蔵のあの言葉だった。それをそのまま伝えてみると、悟浄はあきれた顔をした。
「――つまり、手ぇ出すって宣言されたんじゃね?」
「え?」
 今度こそ悟空は動揺せずにはいられなかった。
 自分たちはそういう関係ではない。それに今までずっと何年も一緒にいたのに、三蔵は一度だってそんなそぶりを見せたことはなかった。
 すがるように悟空は八戒を見るが、苦笑するだけで助け船を出してくれる様子はない。
 代わりに悟浄がとどめを刺した。
「で、どーすんだ? お前、やっぱり三蔵と一緒に住むのか?」
 悟空は答えられなかった。


   *   *   *


 再び悟空が三蔵と顔を合わせたのは、それから十日後のことだった。
「おかえり」
 もう眠ろうかと思った時に戻ってきた三蔵を、悟空は少し緊張しながら出迎えた。
 ――結局、悟空は新居の準備をして三蔵を待つことにしたのだった。
 覚悟を決めた、というわけではない。むしろ悟空はそのことは極力考えないようにしており、寝室にもベッドを運び込む際に一度入っただけで、ずっと居間のソファーで寝起きしていたくらいだ。
 だが悟空の心境などまるで的はずれであるかのように、三蔵は至っていつもどおりの態度だった。手にした荷物を床に置き、悟空が座るソファーの隣に腰を沈めると、早速煙草を取り出して火を点ける。
「買い物は済んだか?」
「だいたい終わった。八戒が、めちゃくちゃ値切ってくれた」
 すごかった、と報告する悟空に、三蔵はしれっと言う。
「そのために手伝わせたんだ」
 感謝とか礼の言葉が出ることを三蔵に期待していたわけではなかったが、利用したことを悪びれもしない様子に、これは八戒には聞かせられないと、悟空は三蔵の発言を自分の心の中だけにしまっておくことにする。
「八戒も悟浄も、いらない家具もらえないか知り合いに聞いてくれたりしてすげー協力してくれたんだから、三蔵もちょっとは感謝しろよ」
「俺の分もお前がしておけ」
「何だよそれー」
 そんなやりとりをしているあいだに、悟空もすっかり緊張を忘れ、いつもどおりの態度になる。そこでようやく、気になっていたことを思い出した。
「そういや三蔵は? ――もう『三蔵』じゃなくなったの?」
「ああ」
 拍子抜けするくらいあっさりと三蔵は答えた。
「――もう、ただの男だ」
 寺院に戻った夜と同じ言葉を、三蔵が意図的に使ったのかどうかはわからない。だが、悟空はてきめんにその言葉に反応し、忘れていた緊張を思い出してしまう。
 動揺して会話の続けられなくなった悟空を、三蔵がじっと見た。これまでの軽口の雰囲気はすっかり消し去り、無言で。
 悟空はどうしていいかわからなくなり、懸命に言葉をひねり出した。
「……じゃあ、三蔵のこともう『三蔵』って呼んじゃダメなのか?」
 すると三蔵も雰囲気をゆるませ、普通に答える。
「別にそのままでいい。テメェの猿頭じゃそれ以外の呼び方は覚えられねぇだろ」
「そ、そんなことねーよ! 八戒の時は、ちゃんと覚えたじゃん」
 ついむきになって悟空が言い返すと、三蔵も反撃してくる。
「なら、新しい名前を絶対に間違えねぇと誓えるか?」
 あまりに真剣な顔をして三蔵が言うので、悟空は少しひるんだ。
「絶対って……絶対?」
「寝言でも駄目だ」
「そんなの無理にきまってるだろ!」
「だったらおとなしく今までどおりに呼んでおけ」
 すなおに頷くのは癪だったので、悟空はふくれ面で抗議の意を示しつつ、話をまとめた。
「つまり、これまでと何も変わんねぇってことでいいんだよな?」
「――いや、」
 だが三蔵は悟空の言葉に否定を返す。しかも、そう言った三蔵の口調がまた軽口を離れ、悟空へと向けられる視線が強くなったように感じられたので、思わず悟空は立ち上がった。
「三蔵! メシ! まだじゃねーの?」
 あからさまに悟空が話をそらしたことに気付かなかったはずはないのに、三蔵はそれには触れず、質問にのみ答える。
「いや、外で食ってきた」
 空振りして一瞬言葉に詰まった悟空だが、めげずに次をひねり出す。
「……じゃ、風呂は?」
「お前は?」
「俺はもう入ったから! さっき入ったばっかだから、まだお湯あったかいと思うし、風呂入れよ三蔵」
 ここぞとばかりに悟空がまくしたてると、三蔵はあっさりとそれに乗った。
「そうだな」
 荷物を持って、バスルームに消える三蔵の背中を見送って、ようやく悟空は深く息を吐き出した。
 ……焦った。
 少し冷静になって思い返してみると、こんなに焦る必要はなかったように思うのだが、さっきはどうにも平静ではいられなかった。
 悟空はソファーの背もたれに頭を預け、天井を見上げる。
 目を閉じると、静けさの向こうから三蔵がシャワーを使う音が小さく聞こえてきて、急に、二人きりなんだと思った。そういえば、寺院でも旅の途中も、常に近くには誰かがいる環境だったから、こんなふうに三蔵の存在しか感じないというのはほとんど経験のないことだ。
「……どうしよ」
 再び焦ってきた悟空は、鼓動を抑えるように心臓の上に拳を押し付けた。
 まだ三蔵と過ごす最初の夜なのに、こんなことで、これからやっていけるのだろうか。やっぱり自分は早まったのではないだろうか。
 悟空が悶々と考えるうちに、三蔵がバスルームから出てきた。
 もうそんなに時間がたってしまったのか、と悟空は驚く。ぐるぐると悩んでいるだけで、結局、何の解決も浮かばなかった。そもそも悟空は、自分が何を悩んでいるのかすら、正確に把握してはいないのだ。それで答えが見つかるはずがない。
 三蔵はソファーの上でほとんど固まった状態の悟空には気を留めず、冷蔵庫から出してきた缶ビールを一本、飲み干した。
 そして、普段通りに悟空に声をかけた。
「そろそろ寝るか」
 その瞬間に、今日一番悟空の心臓が跳ねたことに、三蔵は気付いただろうか。
 思わず身体がびくっと震えたことには気付いたかもしれない。だが、三蔵は何も言わなかった。
 ただ、沈黙で悟空の返事を促していた。
「…………あ、あの、俺、昼間寝過ぎたからあんまり眠くなくて、だから三蔵、先に寝ればいーよ」
 咄嗟に考えた言い訳にしては上出来だった。三蔵の方を見ては言えなかったが。
 でもその言い訳も、三蔵が自分も一緒に起きていると言ったら意味がない。
 そして三蔵は。
「――だったら先に寝てるぞ」
 悟空に背を向けて、寝室の扉の向こうに姿を消した。
 ……拍子抜け、した。
 悟空は全身から力が抜けるのを感じた。そのことで、これまで自分の身体に余計な力が入っていたことに気付く。
 でも、もういい。もう大丈夫だ。――少なくとも今夜は。明日のことは明日考えよう。
 大事なのは、今日、悟空は危機を乗り越えたことだ。何の危機かはわからないが。
 それからたっぷり一時間を置いて、さすがに三蔵も眠っただろうという頃、悟空は寝室に入った。
 部屋の中は真っ暗だった。だが悟空は、念のために小声で問いを投げかける。
「三蔵…………寝てる?」
 返事はない。
 悟空はほっと息を吐いて、静かに扉を閉めた。
 寝室に置いた時計が発する小さな灯りだけを頼りにベッドまでたどり着くと、少し躊躇った後、布団の端を持ち上げてそっと中に身体をすべり込ませた。
 そしてもう一度、ほっと息を吐き出す。
 ――次の瞬間、身体に絡みついた腕に、悟空は悲鳴じみた声を上げた。
「遅い」
 ほとんど悟空の髪に顔を埋めるような近さで、三蔵が言った。後ろから抱きしめられている、といっても、大げさではない。
「た……狸寝入りなんて、せこい」
 動揺しながらも、悟空は三蔵に抗議する。だが三蔵はあっさり切り返す。
「ひとのこと言えるか」
 確かに、悟空のやり方もせこいと言われれば反論しようがない。
 悟空は黙るしかなく、三蔵も黙っていた。
 そうすると身体が密着するこの状態に意識が向かないわけがなく、三蔵の体温や匂いや息遣いなんてものまで気になって頭の中が混乱する一方で、身体は硬直してぴくりとも動かせない。少しでも動いたら、何かが起きる予感がする。まるでぴんと張った細い線の上に立っているような。
 その線を、三蔵が弾いた。
「……で、覚悟はできたか?」
 静かな声で、でも、聞こえなかったふりはできない響きだった。
『覚悟』。
 改めて悟空はその意味を考える。最初に三蔵に言われたあの夜のことを思い出し、悟浄の言葉を、八戒の態度を思い出す。
 ずっと三蔵と一緒にいたいと言ったのは悟空だ。それを翻すつもりはない。だから悟空はこの家で三蔵を待っていたのだし、それが悟空なりの答えのつもりだった。
 それ以上のことは今の悟空には考えられない。
 だって、肝心なことを三蔵は言わないのだから。
「覚悟って、何の覚悟をすればいーんだよ!」
 開き直った悟空は、身体ごと三蔵に向き直り、喧嘩腰で三蔵に食ってかかった。
 だが三蔵の返事はつれない。
「それくらい自分で考えろ」
「考えてもわかんねーから聞いてるんだろ」
「だったらあきらめろ」
 何を、と悟空が問い返す前に三蔵が続けた。
「あきらめて俺のものになれ」
 あっさりと三蔵は言った。ここ数日の悟空の困惑や苦悩を、まるで羽のように軽く吹き飛ばすかのごとく。
「……それって」
 悟空の声がわずかに震える。
「三蔵も、俺と一緒にいたいって思ってくれてるってこと?」
 これまでは悟空が伸ばした手を、三蔵はただ振り払わないでいてくれたのが、今はちゃんと握り返してもらえたような感覚だった。
「それもあるが」
 悟空にとっては重大な事実を、三蔵は前置きのように扱って。
「今から何されても文句言うなってことだ」
 一方的な宣告に、悟空がまさに『文句』を言おうとした時、三蔵が悟空の後頭部を掴んで引き寄せて、悟空の口を塞いだ。
 短いキスではなかった。そのキスの間に、悟空は頭の中でひとしきり三蔵に文句を並べ立て、でもやがて、何も考えられなくなった。
 いつのまにか三蔵は悟空の上にいて、悟空を見下ろしていた。
「悟空」
 そう、名前を呼ばれただけで、悟空は心臓をぎゅっと掴まれた気がした。
 だけどそんなのは、今さらだった。出逢った時から、三蔵は悟空の一番核となる部分をその手に握ってしまっているのだから。
 それならば、こうなることは、最初から決まっていたようなものだ。悟空は考えもしなかったが。
 そもそも考えなかった理由は、三蔵が他人との接触を嫌悪していたのが明らかだったからで、それを、悟空だけ例外として扱ってくれるというなら。
 ……それは、悟空にとってものすごく、嬉しいことなのではないか?
 そう思ったら、触れ合う部分の一つひとつが焼けつくように熱くなった。
 今は触れていないけれど、さっきまで重なっていた唇が、一番熱い。
 もっと三蔵に近付ける。近付くことを許される。
 それを拒む理由なんて、悟空には一つもなかった。だから、答えだって一つしかないのだ。
「……あきらめた」
 悟空がとうとう宣言すると、三蔵は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「賢明だな」
 それ以外の返事を悟空がするはずがないと信じきったような態度は、あながち間違いではないのだろうけれど、悟空にしたら少しおもしろくない。でも、再び重ねられた唇のせいで、それも溶けてしまった。
 そして二人の間に残ったのは、甘い甘い、口付けだけ。



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