06/12/24〜06/12/26
Xmasの過ごし方


12月24日 クリスマス・イヴ

 街を歩く人々はみんな幸せそうだ。
 駅前のカフェでガラス越しの景色を眺めながら、悟空は思う。
 天気予報では、今夜は雪になりそうだと言っていた。的中していたら、もう降り出していた頃だろうが、夜空は暗いだけで、雪が降ってきそうには見えない。
 けれど、さすがに冷え込んでいるのは、店の中にいてもわかった。
 外に比べたら、暖房のきいた店内はきっと天国だ。
 なのに、からだを寄せ合って寒さをしのいでいる外の恋人たちよりも、店の中でぬくぬくと暖まって熱いココアを飲んでいる自分の方がシアワセだとは、悟空は思えなかった。
 だって――
 悟空は、来ない待ち人をずっと待っている。
 ココアの前は、カフェ・モカ、その前はロイヤルミルクティー、さらに前がキャラメル・カプチーノ。
 店に流れるクリスマス・ソングを、もう何度聴いただろう。
 悟空は何も言わない携帯を手の中でもてあそぶ。
 電話は一度もなかった。メールも。
 悟空から連絡しようとは思わない。
 でも、そろそろ待ち合わせに決めた時間がから、一時間がたつ。
 ……そうしたら、家に帰ろうと思う。
 だれもかれもが幸せそうな顔をしているこの日に、馬鹿みたいに一人を待ち続けているのは、もう十分だと思い知ったから。
 イルミネーションがきらめく夜に、悟空だけがひとりぼっちで取り残されている。
 そんなのは、もう。

「――――何を、している?」

 声が、降ってきた。
 悟空は糸で引かれたように、顔を上げる。目を瞠る。
 そこには、三蔵がいた。
「なんで……」
 茫然とつぶやく。
 三蔵がここにいるはずはない――――待ち人は、来ない。
 来るはずがない。
 だって、その約束は、無くなってしまったのだから。
 悟空は最初から絶対に来ない待ち人を、待っていた。
「なんで三蔵、来んの?」
「なんでお前は、ここにいる」
 ――なぜか。
 それは、仕事でイヴの約束をキャンセルした三蔵への、ほんの小さな腹いせだ。
 勝手に待って、来ない三蔵を「ひどい男」にしたかった。
 ただ、それだけのためだ。
 けれど……悟空にとっては、もう少し深い理由があったのも確かだ。
 春に三蔵が就職してから、悟空と三蔵の関係は、大学生と院生から、大学生と社会人になった。
 それは、ほんのちょっと二人の距離を遠くした。
 一緒に住んでいるから、毎日会えるけれど。でも、そばにいてほしい時に、いつもそれが叶うわけじゃない。
 だから、悟空はたぶん、さびしかったのだ。
「三蔵、来るの遅いよ」
 理不尽な悟空の言葉に、三蔵はただ、ため息をついて。
「行けねぇって言っただろ」
「うん、でも、待ちたかったから。来なくても。……なのに三蔵、来るから」
 どうしよう。悟空は思う。
 どうしよう、こんなの。
「…………反則だ」
 嬉しくてどうしようもない。



12月25日 クリスマス

 三蔵とシーツのぬくもりに包まれて目覚める朝は心地よい。
 その朝は悟空が目を覚ました時、三蔵はまだ眠っていた。こちらを向いた端正な顔は、紫の瞳をまぶたの下にしっかりと隠している。
 が、寝顔を堪能する間も与えず、長いまつげが小さく動いた。
 悟空はとっさに、寝たふりをする。
 三蔵は目を覚ましたらしい。動く気配があって、悟空の額にキスが一つ落とされた。
 そして――――すっとシーツに忍び入る、冷たい空気。
「三蔵!」
 悟空は思わず目を開けて、ベッドから出て行こうとしていた三蔵を引き留めた。
「起こしたか」
 なだめるように頭を撫でられるが、悟空はその手を振り払う。
「行くなよ」
 ――今日は平日だ。だから三蔵には、仕事がある。
 けれど。
 悟空にも三蔵にも、二人を包むシーツにも昨夜の痕跡が色濃いのに、こんなベッドに一人で残されるのは堪らなかった。
 こんなワガママは三蔵を困らせるだけだ。自覚はある。
 しかし三蔵は意外にも、からかうような笑みを悟空に向けた。
「――あれでもまだ、足りなかったか?」
 昨夜は「クリスマスだから」という理由にならない理由で、三蔵は随分と悟空をいいようにした。
 だが、三蔵を離そうとしなかったのは、むしろ悟空の方だった。
 翌朝は仕事が待っている三蔵を、だからこそ、少しでも長く近くに感じていたくて、何度もねだった。
 あんなにも。
 それなのに、こうも感情はままならない。
「足りない」
 悟空は真剣な眼差しで言って、三蔵をベッドに引き込んだ。

 二度目の朝は、今度こそひとりぼっちのはずだった。
 しかし、目覚めた悟空が見つけたのは、自分を見つめる二つの紫の瞳。
「え――――、三蔵、仕事は……?」
 慌てて時計を探す。朝の10時。いつもなら、完全に遅刻。
 しかし三蔵はのんびりとしたもので。
「ああ……言ってなかったか? 今日は有休だ」
 聞いてない。悟空は目を見開く。
 そうと知っていたなら、昨夜も、今朝だって、あんなふうに求めたりはしなかったのに。
 自分の振る舞いを思い出した悟空は、いまさらのように恥ずかしくなる。
「――だ、だましたのかよ!」
 もう怒ることでしか羞恥を昇華できない悟空に対して、三蔵は冷静だ。
「いつ俺がお前を騙した。言いそびれただけだろうが」
 いや、三蔵は悟空の思い込みを知っていて、訂正しなかったにちがいない。
 しかしそれを証明する手だてはない。
 悟空はどうにも納得できずにいたが、機先を制するように、三蔵がベッドの下からキレイに包装された大きな箱を出してきて、ぽんと悟空に投げて寄越した。
「何これ……?」
「クリスマス、だろ」
 あ、と悟空は思う。
 と同時に、即座にその箱を三蔵へ押し返す。
「いい! いらない!」
「どういう意味だ」
 今度は三蔵の声のトーンが下がった。
 しかし悟空は、どうしてもそれを受け取るわけにはいかないのだ。
「――だって俺、プレゼントなんて用意してねーし!」
 約束をキャンセルされて。意地になっていたのだ。
 が、三蔵はそんなことかとあっさり言って。
「別にいいから、受け取れ。どうしてもいらねぇなら捨てるだけだ」
 ……そこまで言われては、悟空も受け取らないわけにはいかない。捨てるなんて論外だ。
 慎重に包装をはがしていき、箱を開く。
「うっわ……」
 箱の中身は、真っ白いコートだった。
 悟空は戸惑ったように三蔵を見上げる。
「なあ、これ、もしかしてすげー高いんじゃねぇ?」
 もしかして、なんて言い方は不適切だ。どこかのブランドのものなのか、とかは悟空にはまったくわからない。ただ、一目で高価だということは、わかる。
「さあな。忘れた」
 三蔵の返事はいいかげんだが、否定はしていない。
 思わぬ高価なプレゼントに、悟空はどうすればいいかわからず、うろたえる。すると三蔵は、どこかあきれたように言った
「なに遠慮してやがる。いまさらだろうが」
 そう言われてしまうと、悟空は言葉もない。
 確かに、三蔵の部屋に転がり込んでいる分際で、何をいまさら――である。三蔵は恩に着せたりはしないが。
 この場合、悟空の返事は一つしかなかった。
「……ありがと」
 が、三蔵はさらに追い打ちをかける。
「受け取ったからには着ていけよ」
 う、と悟空は言葉に詰まった。
 コートの素材は何なのか、ふわふわ、フカフカで、触るのもちょっとためらってしまいそうだ。ましてや、着るなんて。
 三蔵は何を考えてこんなものを選んだのだろうか。
 プレゼントは嬉しいが、このコートは、どう考えたって悟空に似合うとは思えない。値段も、見た目も、実用的にも。
「……な、三蔵は、何が欲しい? 俺、プレゼントするから」
 とりあえずコートのことは後で考えるとして、悟空は、今からでも三蔵にクリスマスプレゼントをすることにした。
 希望を尋ねてみると、三蔵は少し考え、アレと指さす。
「マフラー?」
 指された先には、悟空のマフラーがある。
「ああ」
「どんなやつ?」
「いや、アレだ」
「俺と同じの?」
 何だか三蔵らしくない、と悟空が驚いたのも束の間、三蔵は首を振って。
「お前のあのマフラーを寄越せ」
「…………何で?」
 悟空でなくても尋ねただろう。
「駄目なのか?」
 そう言われてしまうと、悟空としては。
「……別にいーけど」
 と答えるしかないが。
「でも、そんなんじゃプレゼントにならねーし、他には?」
「――昨夜イロイロもらったから、もういい」



12月26日 昼

「ソレ、あいつからのクリスマスプレゼント?」
「そーだけど」
「へぇ――――」
「わかってるよどーせ似合わねーって!」
 平淡な相づちに別の意味があったことは否定しないが、悟空の解釈はまちがっていた。
「似合わねーとは言ってねーだろ」
 悟浄はフォローでなくそう言う。
 悟空は気後れしているようだが、いかにも高級そうなそのコートは、そういう服を着慣れていない悟空や悟空のカジュアルな服にも、意外と似合っている。
 ラーメンにマヨネーズを入れる男にしては、センスがいい。むしろそのことに悟浄は驚いた。
「お、手触りもいいな。高いだけある」
「……これって、そんな高い?」
「ああ、高い高い。カラダで返せ、とか言われたか?」
 次の瞬間、向こうずねに遠慮のないローキックが入る。
「ってぇ! こらサル、謝ってけ!」
 悟空は振り返りもせず去っていった。
 その後ろ姿を見て、「でもなぁ」と悟浄は思う。
 悪くはない。
 が、あのセンス、あの高価さは、……明らかに連想させるものがあって。
「――パトロンでもいるみてぇ」
 つまり、それこそが三蔵のねらいなのだろう。
 ああも威嚇されては、確かに虫は寄ってこないにちがいない。
 それにしても、ずいぶんと目立つ所有の印だ。
 心の狭さと嫉妬深さがあらわれているな、と悟浄はあきれ、肩をすくめた。



12月26日 夜

「どうしたんですか、それ?」
 街ですれ違って、まず第一声。
 挨拶をとばして本題に入るなんて、八戒という人間にしてはめずらしいことだったが、それくらい驚いた。
「何が」
 三蔵は聞き返す。
 いまの時間から考えても、仕事帰りだろう。スーツの上に、黒いロングコート。
 そして、マフラー。
 それこそが、問題だった。
 八戒が思わず呼びとめたのは、つまり、そのマフラーだけが三蔵の服装から妙に浮いている、のである。
 目を引く、カラフルなボーダー柄。
 実を言うと、八戒はそれに見覚えがあった。
「悟空のマフラーでしょう?」
 別に悟空のマフラーを三蔵がしていたっていいのだけれど。……だけれど。
「……ああ。もらった」
 その、表情。声。
 ――それだけで、八戒は何だかイロイロとわかってしまった。
 ので、待つ人がいる家に帰る途中の三蔵を、すみやかに解放した。
 ……要するに、だ。
 わざわざ似合わないマフラーをしているのは、目印のようだ。
 たとえば、左手の薬指にはめる指輪のような。
 誰かのものであることの、目印。
「……にしても自己主張強すぎですけど」
 三蔵は見せびらかしたいようだ。


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