08/02/14
V.D.の過ごし方


 目の前には、チョコレートの山。
 隣には、恋人。
 今日はヴァレンタインディ。
 極東の島国においては、女性が男性にチョコレートを渡して告白する日。
 部屋にうずたかく積もる大量のチョコレートはすべて、女性に大変おもてになる悟空の恋人宛に送られてきたものだった。
 別に、三蔵がもてるのは今に始まったことではない。
 そして、どんな美女に言い寄られたところで三蔵が決してなびかないことを、悟空は知っている。
 だが――――やっぱり、面白くない。
 理屈じゃないのだ。
 ヴァレンタインディというのは特別だ。
 例えばこれが誕生日だったり、せめてクリスマスだったりしたら、そこまで気にならない。
 だって誕生日もクリスマスも、基本的に理由は「お祝い」で、贈り物は「プレゼント」だ。
 でもヴァレンタインディは違う。
 積み上がったチョコレートの数は、あからさまに恋心の数に変換される。
 非常に面白くない。
 けれど悟空はそんな気持ちはきれいに隠して、三蔵に向かって笑いかける。
 そうしなければいけない理由がある。
 それは。
 ――悟空を見る三蔵の、妙に満足げな、あの視線。
 ああ面白くない。
「……妬いてるのか?」
「全然!」
 しまった、思わず力が入って、否定が速すぎた。
 案の定三蔵は気付いたようで、背後から悟空を腕の中に囲いながら、小さく喉で笑う。
「なら何で不機嫌なんだ?」
 悟空が不機嫌だとすればそれは、三蔵のそういう態度のせいだ。
 言えば都合良く曲解されかねないので、言わないが。
「悟空?」
「別に俺、不機嫌じゃねーし」
 明るく言って、悟空は身体にまとわりつく三蔵の腕を振り解こうとする。
 けれど三蔵は、さらに強く悟空を抱き込むと、
「本当か?」
 口付ける、こめかみに、耳に、頬に。
 やたらと甘ったるいキス。
 いつもだったら「もっと」とねだりたいそれも、今は腹立たしいだけで。
「離せよ三蔵」
 決定的に機嫌を損ねた悟空は、もう構わず怒った声で告げ、三蔵を乱暴に振り払おうとして――

「――――あれ?」

 不意に腕の中で、すっとんきょうな声が上がった。
 悟空がチョコレートの山を見て、何かに驚いたようだ。
 何となく拍子抜けして三蔵が腕を緩めると、悟空はさっと抜け出してチョコレートの山に駆け寄っていった。
 そして、一つの箱を発掘する。
 三蔵という人間を反映して、贈られるチョコレートは高級なブランドものばかりだ。
 しかし悟空が手にしたものは、その中で異質な雰囲気を放っていた。
 いや、「異質」というよりも――三蔵はその物体から、禍々しいオーラを感じ取った。
 思わず悟空に近づいていって、箱を覗き込む。
 添えられたメッセージカードに書かれているのは……
「――『孫悟空様』?」
 読み上げる三蔵の声は、ひどく低かった。
 初めて見た、悟空宛のチョコレート。
 それだけでも三蔵の機嫌は降下したのに、追い打ちを掛けたのが悟空の反応だった。
「すげー、俺宛だ!」
 恋人の前だというのに、喜ぶとはどういうことか。
「……おい」
 悟空は三蔵の呼びかけも聞かず、いそいそと包装を解いて箱を開けている。
 中身は手作りの、少しいびつな形のトリュフ。
 三蔵がもらう高級チョコレートとは、また別の意味で気合いが入っている。
「気持ち悪ぃ。何入ってるかわかったもんじゃねえな」
 もう少し言い方が違っていたなら、気遣いとも取れたかもしれない。
 けれど嫉妬も加わった結果、三蔵の言葉は明らかに失言だった。
 悟空が憤るのも仕方ない。
「変な言いがかりつけんなよ! せっかくこの子が心を込めて俺のために作ってくれたものなのに!」
 当てこするつもりなど単純明快な悟空にあるはずもないが、「心を込めて」とか「俺のために」とか、いちいち三蔵の気に障る発言をしてくれる。
 しかも。
「――てめぇ、食べる気か?」
「悪いかよ?」
「悪いに決まってるだろうが! 俺の前でいい度胸だな」
 さすがにそこまで言うと悟空も、恋人に対して失礼な行為だと気付いたらしい。
 手に持ったトリュフを少し哀しそうに眺めたが、
「…………わかった」
 しかし次に飛び出した言葉は、三蔵が予想もしないものだった。
「じゃあ三蔵も、三蔵宛のチョコレート全部食べればいいからさ」
 どう考えればそんな結論に達するのか。
 三蔵が唖然とするあいだに、悟空は笑顔でトリュフを口の中に放り込んだ。
「んー、美味い!」
 目の前の恋人は、至極満足そうだ。
 …………。
 ぷち、と頭のどこかで聞こえた気がした。
 三蔵はおもむろに悟空の手を掴んで、にやりと意地悪く笑う。
 こういう時の勘だけはいい。
 悟空が笑顔を固まらせ、一歩後ずさるが、もちろん三蔵は許さない。
「お前がそういうつもりなら、全部食べてやる、あのチョコレート」
 使い道は色々あるしな、と悟空の指先に残っていたチョコレートを三蔵がねっとりと舐めると、その意味に気付いた悟空が赤くなって青くなった。
 悟空に逃げ場はない――取引に使ったトリュフはもう胃の中だ。
「――ちゃんと最後まで食べさせろよ?」

* * *

 翌朝、悟空が朝寝坊することになったのは――ベッドルームに充満するチョコレートの匂いを除けば――実のところよくある日常だったりするのだが。


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