2015/11/29





 最近の悟空は、小さな衝動を抱いている。
 それは例えば、隣を歩いている三蔵の手を掴みたいとか、部屋で新聞を読んでいる三蔵の背中に抱きつきたいとか、そういう衝動だ。
 つきつめると、三蔵に触れたいという欲求。
 いまよりもう少し悟空がこどもだった時は、迷子になると困るからという理由で三蔵に手を繋いでもらったり、抱きついて甘えることを許されていた。
 あの頃に戻りたいわけじゃない。三蔵に寄りかかるだけの、頼りない存在には戻らなくていい。
 だけど、触れる手の体温や、肩に顔をうずめた時に感じられる匂いとかの記憶が残っていて、ときおり無性に恋しくなる。
 嬉しいことがあるたびに無邪気に三蔵に抱きついていったあの頃が、羨ましくもある。
 いまは感情を理性が止めてしまう。
 ただ触れたいという理由だけでは触れられない。
 不自由だ。


「――――そこの猿、さっきから鬱陶しいんだよ」
 バサリ、と音をたて新聞を持ち直しながら、こちらを見もせずに三蔵が言った。
「え?」
「言いたいことがあるなら口で言え。言うつもりがないなら態度に出すな」
 同じ部屋にいながらまったく悟空に無関心なそぶりをしていたくせに、そんなことを言うのだから、三蔵は……なんだかずるい。
 でもこれは、悟空のために三蔵がきっかけを作ってくれたのだ。
 もともと、腹の中に感情をためておくのが得意ではない。悟空はすっかり吐き出してしまうことにした。
「三蔵は、だれかに触りたいって思うことある?」
「――――ない、こともない」
「えっ?」
 悟空は思わず裏返った声を上げてしまう。
 三蔵は他人に触られるのが嫌いだ。何年もいっしょに過ごしているとわかる。悟空がそれを許されていたのは、三蔵が保護者としての責任を果たしていただけだと、いまなら想像がつく。
 だから質問の答えは、「ない」だとばかり思っていたのに。否定の否定は肯定だ。
 ……三蔵が、触りたい存在。
 そのだれかを意識した途端、心臓が嫌な感じにドキドキしてきた。
 わけもなく触れたくなる、悟空にとっての三蔵のような存在が、三蔵にもいる。
 そんなことを、悟空はこれまで一度だって想像したことがなかったのだ。
「で?」
 三蔵が話の続きを促す。
 だが悟空は動揺してしまい、次に尋ねようと思っていたことも何もかもが頭から吹き飛んでしまった。
 ふと気づくと、三蔵がじっと悟空を見ている。
 それでまた動揺した。
 三蔵が覗かせた『悟空の知らない部分』が、その視線にも浮かんでいる気がして。
「――やっぱりなんでもない!」
 悟空は部屋を飛び出した。三蔵の視線から逃げるように。


「……逃げたか」
 走り去る悟空の背中を見送って、三蔵はつまらなそうに呟く。
 悟空がそうだから、三蔵は触れないのだ。
 そもそも悟空の言う「触る」は、三蔵の「触る」とは意味が違う。
 悟空のは単純に接触を指しているだけだ。
 三蔵の場合、「触りたい」は「欲しい」と同義だ。きっと理解されないだろうから、言うつもりはないが。……いまのところは。
 いつ、それが覆るのか三蔵自身にもわからない。けれどいつか訪れる。そう遠くないうちに。
 その時には、いまみたいに逃がしてやることはできないだろうから。
「――早く追いついてこい」
 つぶやいて、三蔵は目を閉じた。その日を夢見るように。




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