2014/03/09


突発ファンタジー話


 空に浮かぶ円く大きな月が、一瞬だけ翳った。
 悟空ははっと城の窓から身を乗り出して、目を凝らす。
 夜空を横切るのは、長い翼を持つ、巨大な鳥のような生き物だった。それはゆっくりと城に舞い降りて、悟空が顔を出しているのとは離れた別の窓に消える。
「――三蔵!」
 歓喜に満ちた声を上げて、悟空は身を翻した。

 悟空がようやくその部屋に駆け付けた時、鳥の姿はもうなかった。
 代わりにそこには、黒豹に似た優美な姿の獣がいた。
「三蔵、おかえり」
 悟空は満面の笑みで城の主人を出迎え、自分より大きなその体に抱き付いた。
 三蔵はいかにも面倒くさそうな仕草で、尻尾で悟空を追い払おうとしたが、何かに気付いた悟空は三蔵の毛皮に顔を埋める。
「血の匂い……?」
 そうして三蔵の体をまさぐろうとした悟空は、獣の頭に押され、背中から床に倒れ込んだ。
 三蔵は更に前足で悟空を押さえ込み、仕返しのように、鼻先で悟空の体をまさぐっていく。
「三蔵…っ、ちょっと、くすぐったいって…!」
 悟空は笑い、身をよじって三蔵を押し返すが、三蔵はやめようとはしない。
 それどころか、大きな舌で悟空の顔や首を舐め回していく。
「ダメだって三蔵…っ!」
 ぐい、と思いきり悟空が獣の尻尾を引っ張ると、ようやく三蔵は悟空を舐めるのだけはやめた。が、依然として図体の大きい体は悟空の上にのしかかっている。
 悟空は下敷きになったまま三蔵を見上げ、口をとがらせた。
「三蔵、今、ごまかそうとしただろ」
 この獣はしゃべることさえもできるのに、まるで『人間の言葉はわかりません』とでもいうような態度で、悟空の言葉をしらっと聞き流す。
 それが悟空の逆鱗に触れた。
「怪我したってわかってるんだからな! ほら、早く人間に戻れよ!」
 悟空が本気で怒ったことがわかったのか、今度は三蔵も挑発的な態度をとることなく、おとなしく獣の変化を解いた。
 獣の姿があった場所に、金髪の麗しい男性の姿が現れる――三蔵の、本当の姿だ。
 美貌がもったいないほどの仏頂面をして、あいかわらず悟空を下敷きにしたままなのは、悟空の言葉に好きで従ったわけではないことを示しているのだろう。
 だが悟空は、そんなことに気を回す余裕もなかった。悟空の目には、血を流す三蔵の肩しか映っていなかった。
「――やっぱり!」
 悟空は三蔵の下から這い出して、傷の具合を確かめるため、三蔵の肩に顔を近づける。
 と、三蔵は悟空の視線を遮るように、姿勢を変えて肩を悟空から遠ざける。
「別にたいしたことねぇ」
「そんなわけないだろ!」
 本当にたいしたことがないなら、三蔵は最初から怪我を隠そうとはしなかったはずなのだ。
 今だって、悟空に傷をなるべく見せまいとする様子が、その重さを物語っている。
 なのに三蔵は、なおも余裕ぶった態度でうそぶいた。
「舐めておけば治る」
 悟空は腹が立った。
 だから無言で三蔵の腕を掴んで、傷口に顔を寄せる。そして――――舐めた。
 三蔵の肩が震えた気配があった。だが一瞬だけのことで、すぐに意志の力で抑え込まれたのがわかる。
 それで悟空の頭も冷えた。三蔵に負担をかけないないように、直接傷に触れない場所にそっと舌を這わせるだけにして、唇を離す。
 そして、三蔵に尋ねた。
「舐めたけど、治った?」
「…………治ってねぇな」
 ようやく三蔵が素直に認めたので、悟空の中の怒りも消える。と同時に、それまで怒りの陰に隠れていた感情が溢れ出した。
「三蔵のバカ。心配かけるな」
 うつむいた悟空の頭上から、三蔵の憮然とした言い訳が降ってきた。
「……お前がそういう顔するから、言いたくなかったんだ」





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