2012年
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12/01 ワタリウム美術館館長の和多利志津子さん死去
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和多利志津子さん(わたり・しづこ=ワタリウム美術館館長)1日、死去。80歳。 自ら営んだ画廊「ギャルリー・ワタリ」を前身に、平成2年に私設美術館「ワタリウム美術館」を開館。アンディ・ウォーホルやナム・ジュン・パイクら、多くの海外現代アーティストを日本に紹介した。 産経新聞より。
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国内の著名な建築家の図面や建築模型などを収集する国立の資料館が来年1月、東京都内にオープンすることが分かった。文化庁が管轄し、来年度以降は展覧会の実施も検討している。名称は「国立近現代建築資料館」になる予定。 日本の建築家の資料は、海外の美術館、大学などから引き合いがあり、流出が始まっている。関係者の間では「このままでは浮世絵が海外に散逸したのと同じ状況になる」(文化庁幹部)との危機感もあった。 資料館は、文京区湯島の国の合同庁舎を利用する。整備費用は4億5千万円程度となる見込み。 朝日新聞より。
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CNET Japanより。
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AFPBB Newsより。
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国連本部ビルなどの設計で知られる世界的なブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤー氏が5日、死去した。104歳だった。 1907年、リオデジャネイロ生まれ。49年に着工した米ニューヨークの国連本部設計に携わったほか、57年からは当時のクビチェク大統領の下で構想が進められていたブラジルの新首都ブラジリアの建設に関与。首都機能をつかさどる主要建築物を手掛けた。88年に米プリツカー賞、2004年には高松宮殿下記念世界文化賞の建築部門を受賞した。 時事通信より。
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AFPBB Newsより。
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約110年ぶりの解体修理が進む薬師寺東塔(奈良市)で、心柱の頂部に納められていた仏舎利容器が取り出され、同寺が7日、報道陣に公開した。 容器はハスのつぼみをかたどった木製で、高さ約10センチ。中央の3段の棚に赤い玉など入れ、水晶製の板をはめて外から見える構造。 容器は昭和の修理で確認されていたが、今回、奈良国立博物館の内藤栄学芸部長補佐が初めて鑑定し、江戸時代のものとみられることが分かった。 容器は明治の年号を記した木箱に入っており、心柱の頂部に切り抜いた空間にあった。明治の修理の際に納められたらしい。 共同通信より。
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木喰上人(1718〜1810)が彫った木喰仏「愛染明王」が、南魚沼市内の個人宅から新たに見つかった。今後、同市の指定文化財に登録される方針。木喰仏は、全国で約620体が見つかっている。南魚沼市内で発見された木喰仏は22体目。 長岡市の県歴史博物館で撮影した赤外線写真から愛染明王の背中に、木喰が墨で書いた文字が読み取れた。木喰仏は木喰の署名や制作日が書かれていることも特徴の一つ。周辺地域で同時期に彫られた木喰仏がいくつも発見されていることや、筆跡、彫り跡などから本物と断定した。 同館によると、愛染明王は木喰が88歳のころの作品で1805年8月19日に彫られた。高さ45センチ。個人宅には本家から分家したときに伝わったというが、詳しい経緯は分かっていない。 毎日新聞より。
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国際交流基金に入った連絡によると、バングラデシュで開催中の、34カ国が参加する現代美術の国際展「第15回アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ」で8日までに、日本の現代美術作家、小泉明郎さんの映像作品「Theatre Dreams of a Beautiful Afternoon」が最優秀賞を受賞した。
共同通信より。
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萩焼陶芸家で人間国宝の三輪寿雪氏が11日、死去した。102歳。 萩焼三輪窯9代雪堂の三男。1927年に旧制萩中学卒業後、実兄の10代休雪(後に休和)に師事した。67年に兄が隠居し11代休雪を襲名、2003年に長男龍作氏へ休雪を譲り陶号を寿雪に改めた後も精力的に作陶を続けた。柔らかみのある「休雪白」に定評があり、赤みを帯びた「紅萩」を追究するなど伝統の中に新しい作域を開拓。萩焼振興に大きな役割を果たした。 共同通信より。
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「文化庁メディア芸術祭」の今年度受賞作が13日、東京都港区の国立新美術館で発表され、アニメ部門の大賞に、漫画家としても活躍する大友克洋監督の短編作品「火要鎮(ひのようじん)」が選ばれた。マンガ部門の大賞は、フランスのブノワ・ペータースさんとベルギーのフランソワ・スクイテンさんの「闇の国々」(訳・古永真一、原正人)が海外作品として同部門で初受賞、アート部門はスイスのパフォーマンス集団「コッドアクト」の「ペンデュラムクワィア」、エンターテインメント部門は女性3人組テクノユニット、パフュームの「グローバルサイトプロジェクト」が選ばれた。 同芸術祭は今回で16回目。世界72カ国・地域から過去最多となる3503作品の応募があった。 |
国重要文化財で、立山信仰にまつわる最古の銅像として知られる「銅造男神立像(どうぞうだんしんりゅうぞう)」を作ったのは、これまで定説となっていた立山山麓の寺院ではなく、現在の富山市内の寺院だったことが分かった。銅像を所蔵する立山博物館(立山町芦峅寺)が17日、マイクロスコープを使って像の表面に彫られている文字を読み取った。銅像が製造された鎌倉時代初期には、立山信仰が平野部にまで広がっていたことが裏付けられた。 1230(寛喜2)年に作られた男神立像は、日本の山神の姿を表す代表的な像とされ、1991年には大英博物館の企画展に出品された。胴体部分や台座には文字が刻まれており、中世の立山信仰を知る貴重な史料とされる。ただ、1文字が5〜15ミリ角と小さい上、風化も進んでいることから、判読できない部分が多かった。 この銘文を正確に読み取るため、立山博物館は元興寺文化財研究所(奈良市)に、像の表面の拡大画像の撮影を依頼。像を作った寺院の名を刻んだという台座部分を約40倍に拡大して見たところ、これまで伝えられていた「大田寺(だいでんじ)」(同町上末)ではなく、「ちっ大寺(ちったじ)」と記されていたことが判明した。 ちっ大寺は現在の富山市奥田にあったとされ、調査に当たった同博物館の加藤基樹学芸員は「中世の立山信仰が山間部だけでなく、平野部の寺院にまでネットワークを広げていた可能性が高い」とみている。今回の調査では、胴体部分と台座に刻まれている多数の僧侶の名前も明らかになった。 北日本新聞より。
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5回目となる次回は2014年8〜11月を予定し、アーティスティック・ディレクター(芸術監督)は美術家の森村泰昌さんが務める。主会場は横浜美術館と新港ふ頭の展示施設。今後テーマや参加作家を決定するとのこと。
読売新聞より。
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長野県塩尻市が所蔵するいわさきちひろ(1918〜74年)の絵が、ちひろが晩年に描いたパステル画の原画であることが、安曇野ちひろ美術館(同県松川村)の調査で分かった。ちひろは計約9450点の作品を残したが、大半は水彩で、パステル画は100点程度しかなかったという。 今回判明した原画は、余分な線や背景を描き込まず晩年の画法に近いという。 原画は縦35.7センチ、横24センチ。05年ごろから塩尻市保健福祉センター1階の柱に飾られ、額の裏に「贈呈 塩尻市児童館 一九七一年四月十六日 いわさきちひろ」と署名があった。児童館は68年に開館し、99年に移転。跡地に同センターができた際に引き継がれたらしい。贈呈の経緯は不明だが、当時、ちひろのいとこが市内の現JR塩尻駅長を務めていたという。 毎日新聞より。
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諏訪市の仏法紹隆寺が所蔵する県宝「不動明王立像」の調査で、エックス線撮影により、像内に二つの納入物がある可能性が高いことが二十二日、分かった。鎌倉時代初期の仏師運慶の作と言われる木像だが、まだ画像を解析中で、現段階では判明していない。 仏法紹隆寺がこの秋、神奈川県の鎌倉国宝館で開かれた特別展に不動明王立像を出展、主催者側に調査を依頼していた。像内にはこれまで、運慶の作品に見られる月輪形の木札が一つあるとされてきたが、調査にかかわった同県立金沢文庫の学芸員は取材に「月輪形とは違うへら状の形をした大小二つの物体があるように見える。それが何か検討しないといけない」と話した。正式な調査結果は近く発表される見通し。 中日新聞より。
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24日午後7時半ごろ、岡山市の金山寺から出火。国指定重要文化財の木造瓦ぶき平屋の本堂約165平方メートルと、木造平屋の倉庫約13平方メートルを全焼し、午後10時すぎに鎮火したとのこと。本堂から南約50メートルの護摩堂(県指定重要文化財)、北に約150メートルの三重塔(同)への延焼は確認されていない。 同寺は金山(499メートル)の南側中腹にあり、岡山市消防局によると、付近住民から「本堂が燃えている」と119番があった。松原住職は「本堂ではろうそくの火を一日中絶やさず燃やしていた」と話しているといい、岡山西署は出火原因などを調べる。 山陽新聞より。
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