2012年
01/01 朝日賞に横尾忠則さんら5氏決まる
2011年度の朝日賞の受賞者5氏が発表された。(敬称略、順不同)
◇横尾忠則(美術家)  ◇冨田勲(作曲家)  ◇上野千鶴子(社会学者)  ◇香取秀俊(東京大教授)  ◇坂口志文(大阪大教授)
朝日新聞より。
日本を代表する建築家で、建築運動「メタボリズム」をリードした菊竹清訓さんが昨年12月、死去していたことが5日、分かった。83歳。
早大卒。竹中工務店などを経て1953年独立。自邸「スカイハウス」(東京)で注目された。有機的に代謝する都市を提唱する思想集団「メタボリズム」を結成。「出雲大社庁の舎」(島根県)で芸術選奨文部大臣賞などを受賞した。日本建築士会連合会名誉会長。代表作に江戸東京博物館、川崎市市民ミュージアムなど。
共同通信より。
リカルド・レゴレッタ氏が12月30日、死去した。80歳。メキシコ土着の温かな色彩感覚を現代建築に生かす建築様式が高く評価されていた。
1931年、メキシコ市生まれ。国立自治大学で建築を学ぶ。メキシコ五輪が開催された68年に手がけた巨大ホテル「カミノ・レアル・ホテル」が出世作。中米や欧州などに100点以上の建築物を手がけた。
産経新聞より。
ブリュッセルのルネ・マグリット美術館から2009年に盗まれたマグリット作の裸婦画「オリンピア」がこのほど犯人側から戻されたとのこと。
マグリット(1898〜1967年)の家を改装した同美術館に09年9月、銃を持った男2人が押し入り絵を盗んだ。300万〜750万ユーロ(2億9千万〜7億4千万円)の価値があるとみられていた。数週間前、犯人側とみられる人物が無条件で返すことを申し出てきたという。犯人側に買い戻しの金を支払ったとの報道もあったが、担当者は否定した。
朝日新聞より。ルネ・マグリット作「オリンピア」について。スクラップ2009年9月25日の続報。
京都市左京区の慈照寺(銀閣寺)の国宝・観音殿(銀閣)創建時の様子を初めて再現した模型を、京都の建築研究者らでつくる建築研究協会(同区)が作製し、7日、同寺に寄贈した。京都府教育委員会の調査結果を基に模型の軒回りには極彩色の文様を施し、壁に黒漆を塗った。
2007〜10年にかけて府教委が実施した銀閣の調査、修理事業によって創建当初は2階の外壁と内部には黒漆が塗られ、軒回りは極彩色の顔料が施されていたことが分かった。
銀閣2階東側の外壁の一部(縦2・5メートル、横2・2メートル、奥行き1・5メートル)を、銀閣と同じヒノキ材を用いて原寸大で再現した。調査結果に忠実に、軒回りに亀甲紋や条帯紋などの文様を赤や青、緑の顔料で描き、外壁部分に漆を塗った。
京都新聞より。
東日本大震災で津波被害を受けた茨城県鹿嶋市の寺院から、室町時代に描かれたとみられる掛け軸が発見され、同市は1日付で市指定文化財に登録したとのこと。
市教委によると、文化財登録を受けたのは、龍蔵院から見つかった仏画「絹本著色 両頭愛染明王像」。制作年代は14世紀末から15世紀初頭のころのものと推定され、縦79センチ、幅47センチ。作者は不明。 全身真紅の愛染明王が斜めを向いた姿で、不動明王と合体した形で描かれている。愛染明王図は正面の構図のものが多く、斜めの構図で描かれたものは珍しいという。
大震災発生時、長栖地区は鹿島港周辺から津波が押し寄せ、床上浸水などの大きな被害を受けた。龍蔵院には既に指定を受けた市指定文化財が6点所蔵されていたため、市は専門機関に海水を浴びた文化財の応急処置を依頼。その際、杉の木箱に納められた掛け軸を発見したという。
掛け軸は傷みがみられるため、市は国などの協力を得て本修復を行う予定。
茨城新聞より。
9日死去したとのこと。87歳。
唐や宋の水墨画にひかれ、80年代から山水画に力を入れた。2000年、建長寺法堂の天井画「雲龍図」を完成させたほか、02年には京都・建仁寺法堂の天井画「双龍図」を奉納。10年には奈良・東大寺本坊のふすま絵全40面も完成させた。
毎日新聞より。
AFPBB Newsより。
米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」は10日までに、2011年の日本庭園ランキングで、安来市古川町の足立美術館を9年連続で1位に選んだ。山陰両県ではほかにも、松江市玉湯町の佳翠苑皆美が10位(前年10位)に入った。
ランキングは03年から発表しており、「建物との調和」「利用者への対応」などが選考基準で、今回は国内850カ所以上の名所旧跡などから選考。2位は前年と同じ京都府の桂離宮、3位には一つ順位を上げた香川県の栗林公園が選ばれた。
山陰中央新報より。1月12日付産経新聞によりますと4位は養浩館庭園(福井県)。
白鳳時代〜平安時代前期(7世紀後半〜9世紀前半)にかけて存在した美濃山廃寺(京都府八幡市)で、塔をまねたとみられるドーム形やひょうたん形の焼き物が見つかり京都府埋蔵文化財調査研究センターが13日、発表した。
続日本紀などによると、764年の恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱後、称徳天皇は世の安寧を願って有力寺院に小型の木製塔「百万塔」を置かせた。センターは「有力寺院には百万塔が配られたが、この寺には配置されなかったため、焼き物で代用したのでは」としている。同センターによると、ひょうたん形の焼き物は出土例がないという。
共同通信より。
山口桂三郎氏(やまぐち・けいざぶろう、本名・昭三郎=しょうざぶろう=美術史家、国際浮世絵学会会長、立正大学名誉教授)17日死去。83歳。
国際浮世絵学会の前身、日本浮世絵協会の設立に携わり、春仙美術館館長なども務めた。著書に「広重」など。
産経新聞より。
清水寺本堂(国宝、京都市東山区)が778年に創建されて以降、応仁の乱などで少なくとも3回焼けたことが地質調査で確認され、京都府埋蔵文化財調査研究センターが19日、発表した。
文献では6回焼けたとされており、同センターは「直近の3回が裏付けられた。争いに巻き込まれた歴史を物語っている」としている。
本堂は急ながけに木柱を組んだ「懸造り」で建てられており、同センターは、昨年10月から本堂の下の計約350平方メートルの土壌を調査。深さ約3メートル、幅約40センチの地層で、表面が焼けた3層の「焼土」を確認した。
共同通信より。
奈良・薬師寺の薬師如来坐像と並ぶ古代金銅仏の傑作、蟹満寺釈迦如来坐像(京都府木津川市、国宝)に初めて科学のメスが入った。小さな寺で約1300年にわたって守られてきた「謎の仏像」。薬師寺の像とほぼ同じ大きさながら、重さは半分しかなく、炭素14年代測定では西暦700年前後に造られたとのデータが明らかになった。
釈迦如来坐像は高さ約2・5メートルの丈六像。金箔がわずかに残り、かつては銅に金を貼り付けた姿だった。
本堂改築を機に、三船温尚・富山大教授(鋳造技術史)や奥健夫・文化庁主任調査官(仏教美術史)らの調査成果によると、像は重さが約2・2トンで、2度にわたって火災を受けたらしいこと、また右手の像内に残った土の炭素14年代測定によって7世紀後半から8世紀半ばにかけて造立された可能性の大きいことが分かった。
大型の金銅仏は材料の銅や金が高価なため、官営の工房でしか製作できなかったと考えられている。現在の蟹満寺には不似合いなほどの巨像で、いつ誰によって造られたか、移されたのならどこにあったかなど多くの説が出されている。
薬師寺像の重さは約4・9トンで、蟹満寺像の倍以上と判明した。三船教授は「有名な山田寺仏頭(ぶっとう)=興福寺蔵、国宝=も蟹満寺と似て肉厚は薄い。薬師寺像の重さがむしろ異常だ」と首をかしげる。  また、奥調査官は「橘(たちばなの)諸兄(もろえ)=684〜757年=が創建した井堤寺(いでじ)跡(京都府井手町)は蟹満寺にも近く、最近の発掘調査で官寺級の遺構が見つかっている。井堤寺の本尊だったとする説は魅力的だ」と話している。
産経新聞より。
岡崎市美術博物館で開催中の「村山槐多の全貌」展(29日まで)に展示中の未完の水彩画「日曜の遊び」(縦1・76メートル、横2・39メートル)。30年前、槐多のいとこにあたる岡崎市出身の画家、山本鼎の関係者宅で見つかった。筆遣いなどから槐多作と判断され、同年に神奈川県立近代美術館で開催された回顧展で紹介された。しかしその後、鼎による同じ構図の下絵が見つかり、大作も鼎作と訂正された。
岡崎市美術博物館の村松和明学芸員は1980年代後半から、二人の画風の比較や紙・顔料の成分、筆跡、書簡などを徹底的に調査。14歳上の鼎はフランス留学中、槐多と頻繁に手紙を交わしていたことなどを踏まえ、2009年の同館紀要で槐多がこの絵の「大部分を手がけた可能性が高い」と発表した。
毎日新聞より。
ルーブル美術館は26日、4月下旬から9月中旬にかけて、東日本大震災で被災した東北3県で所蔵作品の巡回展を開催すると都内で発表した。
展覧会のタイトルは「ルーブル美術館からのメッセージ 出会い」。古代オリエントの彫刻やイスラム美術、近世ヨーロッパ絵画など計24点を展示する。友情や母性愛、恋人や夫婦の愛など、人と人をつなぐ感情や関係性を表現し、希望や信じる力を呼び起こす作品で構成するという。
産経新聞より。展覧会は岩手県立美術館(4月27日〜6月3日)、宮城県美術館(6月9日〜7月22日)、福島県立美術館(7月28日〜9月17日)を巡回予定。
アートデザイナーで映画や舞台衣装、ポスターなどを手掛けた石岡瑛子(いしおか・えいこ)さんが21日死去した。73歳だった。
大阪万博のオープニングポスターやパルコの広告などを手掛けた。80年代から拠点をニューヨークに移し、活躍。マイルス・デイビスさんのアルバムパッケージのデザインでは、87年に日本人女性初のグラミー賞を受賞した。93年にはフランシス・コッポラ監督の映画「ドラキュラ」でアカデミー賞衣装デザイン賞を獲得した。トニー賞最優秀舞台デザイン賞、カンヌ国際映画祭の芸術貢献賞なども受賞している。2002年に紫綬褒章。
産経新聞より。
石川県立美術館が所蔵する久隅守景の絵に、様々なメッセージが秘められていることが、同美術館の村瀬博春・学芸第一課担当課長の研究で分かった。
村瀬さんは、2009年に同館が初の本格的な企画展を開催した際に、館蔵を含む全国の守景の作品群を精査した。すると、様々な絵に思想的なメッセージが込められていることに気付いた。代表作の四季耕作図で守景は、浮世離れした田園の理想郷を描くことがルールの山水画に、現実の世界にいる代官を書き加えた。例のない表現で、当時優れた制度として全国に知られた加賀藩の代官制を宣伝する目的だったと考えられる。
ただし、「恩返し」だけで終わらないのが、守景の真骨頂。「代官を農民や子どもたち民衆より下部にあえて位置して描くことで、治世者は謙虚であるべきという理想的な政治のあり方へのメッセージも込めていた」と村瀬さんはみる。
花鳥風月図でも守景らしさが見いだされた。同館が所蔵する「ウサギ」と「カワセミ」の2枚の絵は、12か月の四季の移ろいをめでるためのセットの一部と考えられていた。だが、全国で徹底的な調査をしても2枚以外にセットと考えられる絵は見つからず、もともと一対だったことが分かった。
「観音さまなどの仏教絵を中心にウサギとカワセミを両脇に並べると、禅の世界観が浮かんできたのです」と村瀬さんは言う。  ウサギが見上げる空にはなにもない。カワセミが冷徹な視線で見つめる先には枯れたハスがある。「見えなくても満月を探すように悟りの境地を探究すべし」「時の無常を意味し、移ろいゆくものに執着するな」との隠された真意が読み取れるという。
村瀬さんの論考は昨年発行された同館の紀要に掲載されている。
読売新聞より。久隅守景について。
松江市の島田1号墳(5世紀後半)で出土した人物埴輪の破片を接合した結果、オールバックのような髪形の男子像だったことが分かり、31日、島根県埋蔵文化財調査センターが発表した。
復元された埴輪は高さ36センチで上半身像とみられる。髪形は左右で束ねる「美豆良(みずら)」で、前頭部から後ろの首筋にかけてオールバックを思わせる。目鼻立ちは、はっきりし、短い襟付きの衣服を着用していた。これらの特徴は蕃上山(ばんじょうやま)古墳(大阪府藤井寺市)の埴輪と似ており、同センターは近畿と出雲地方の豪族に技術面でつながりがあったとみている。
産経新聞より。「2月4日〜3月4日まで和鋼博物館、3月10〜20日まで島根県立八雲立つ風土記の丘で公開」とのこと。






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