2010年
11/02 完成は没後5年後 秀吉像に慶長年間銘文
西方寺(京都市)が所蔵する木像「豊臣秀吉公座像」に慶長年間の銘文があり、秀吉の死後数年で作られたことが1日までに分かった。
像は高さ81センチ、ヒノキ材、寄せ木造り。今春、解体修理を依頼された楽浪文化財修理所が、脚部に慶派の流れをくむ仏師の名とともに「慶長四年六月廿八日」の朱書きを確認。後頭部内部にも「慶長八年六月中旬」の銘を見つけたとのこと。秀吉は慶長3(1598)年8月に没しており、翌年に制作を始め、4年かけて完成したことが分かる。寺の意向で、修理後に木像の表面に彩色を施した。
大阪城天守閣の北川央研究副主幹(織豊期政治史)によると、制作年が確定できる等身大の秀吉像は存在が確認されていない。
京都新聞より。等身大の秀吉像自体も徳川家に壊されるなどして全国に数体しか残ってないそうです。
共同通信より。
共同通信より。
共同通信より。
江戸時代の学僧・書家で茶道の大成者の1人、松花堂昭乗が暮らした宿坊「瀧本坊(たきのもとぼう)」の遺構が京都府八幡市の石清水八幡宮境内で見つかり、4日、同市教委が発表した。合わせて崖の斜面から張り出した「懸造り」の茶室「閑雲軒(かんうんけん)」とみられる建物の礎石も発見されたとのこと。地面から床までの高さは6メートル以上で、茶室としては類例のない構造だった可能性が高いという。
発掘調査では閑雲軒の床を支えていたとみられる3基の礎石が確認されたとのこと。崖面からは約8メートルせり出しており、長い柱で床を支える「空中茶室」だったことが分かった。このほかに、書院跡(東西約6.4メートル、南北約21メートル)や漆喰の池跡なども確認されたとのこと。
産経新聞より。
共同通信より。「来年3月12日から開催するMIHO MUSEUMの特別展で公開される」とのこと。 
朝日新聞より。
北國新聞より。
共同通信より。
東大寺(奈良市)の国宝・鎮壇具(8世紀)の金鈿荘大刀2本の東京国立博物館によるエックス線調査が9日行われ、このうち花喰鳥平文(はなくいどりひょうもん)のある大刀(64.8センチ)から肉眼では見えない精密な文様が浮かび上がったとのこと。
鎮壇具のほかの大刀2本が正倉院宝物だった「陽寶劔(ようのほうけん)」「陰寶劔(いんのほうけん)」であることが先月、判明したことを受けた緊急調査。銘文は見つからなかったが、大刀の鞘を帯にかけるひもを通す「帯執(おびとり)金具(足金物(あしかなもの))」に描かれた唐草文様がはっきりと映し出された。
読売新聞より。
9日のサザビーズの現代アートオークションで、アンディ・ウォーホルのコカ・コーラの瓶をあしらった作品が3530万ドル(約28億8000万円)で競り落とされたとのこと。
この作品は2000万−2500万ドルの値が付くと見られていたが、予想を大きく上回った。また、マーク・ロスコの1955年の作品が2240万ドルで落札された。
時事通信より。オークションでは90%以上が落札されたとのこと。
共同通信より。
サントリー文化財団は10日、第32回サントリー学芸賞を発表した。受賞者と作品は次の通り。
【政治・経済部門】倉田徹・金沢大准教授「中国返還後の香港」(名大出版会)▽瀧井一博・国際日本文化研究センター准教授「伊藤博文」(中央公論新社)
【芸術・文学部門】石原あえか・慶大教授「科学する詩人 ゲーテ」(慶大出版会)▽北河大次郎・文化財保存修復研究国際センタープロジェクトマネージャー「近代都市パリの誕生」(河出書房新社)▽古田亮・東京芸大准教授「俵屋宗達」(平凡社)
【社会・風俗部門】米田綱路・図書新聞スタッフライター「モスクワの孤独」(現代書館)
【思想・歴史部門】田中久美子・東大准教授「記号と再帰」(東大出版会)
朝日新聞より。
共同通信より。
福島県の諸橋近代美術館は11日までに、ニューヨークで行われたクリスティーズのオークションでシャガールの油彩画「テルトル広場」(1953〜54年)を落札したとのこと。同美術館が所蔵するシャガールの作品は2点目。
シャガールが66歳のときの作品で、前妻との死別を乗り越え再婚した新婦ヴァヴァとの愛と希望を描いた。大きさは縦75.9センチ、横94.6センチ。
福島民報より。作品は同館で2011年4月20日から開催の企画展「シャガールとデュフィ」で公開予定とのこと。
平等院鳳凰堂(京都府宇治市)にある国宝の本尊付近で2004年に見つかった織物片の両面に金箔を張った紙の糸が織り込まれていることが分かった。平等院が11日、発表した。
織物片は04年からの「平成の大修理」の際、本尊・阿弥陀如来坐像の台座(直径約2.7メートル)内部のすき間から、ガラス玉などとともに発見された。日本女子大の小笠原小枝教授(染織史)らが調査していた。
長さ8センチ、幅1センチの織物など約10片があり、紙の両面に漆と金箔をはって細く裁断した「金糸」が確認された。986年に宋から持ち帰ったとされる絹織物に織り方が近いことなどから、10〜12世紀の間に宋で作られた後、輸入されたと推定されるとのこと。縫い糸や折り曲げられた形跡があり、装束などを仕立てた後に余った布で作ったお守りのようなものと考えられるという。
小笠原教授は「身分の高い平安貴族が使っていた緻密できらびやかな織物だったと考えられる」と指摘。国内では修禅寺(静岡県伊豆市)の本尊内にあった袋と、円覚寺(神奈川県鎌倉市)に伝わる袈裟から、両面に金箔がはられた金糸が見つかった例があり、平等院が3例目になる。
朝日新聞より。
共同通信より。
共同通信より。
岡本太郎さんが昭和27年に制作し、大阪・難波の高島屋大阪店の大食堂に一時期設置されていたタイル画「ダンス」が修復され、来年3月に再公開されることが16日、明らかになった。
「ダンス」は縦2.4メートル、横3.5メートル。約5万7千枚のタイルを使って描かれた作品。大食堂が昭和44年に閉鎖されたことに伴い別館に移され保管されていた。現在、愛知県で修復されているとのこと。
産経新聞より。「来年3月の高島屋大阪店新装グランドオープンにあわせて、修復した壁画を設置」とのこと。再公開は記念行事「TARO100祭」の一環。 岡本太郎関連:「生誕100年 岡本太郎展」(東京国立近代美術館で2011年3月8日(火)〜 5月8日(日)開催)
共同通信より。
京都市東山区の高台寺で19日、国の重要文化財の梵鐘が老朽化のため約400年ぶりに新しい梵鐘に付け替えられたとのこと。
重文の梵鐘は、高さ2メートル、口径1.1メートル、重さ2トン。寺の創建と同じ1606(慶長11)年に鋳造された。豊臣秀吉の正室ねねの兄、木下家定が寄進したと伝わる。大正時代に鐘楼が火災に遭い落下したが、その後も毎日夕方に時鐘としてつかれていた。
寺によると、この1、2年で音が悪くなり、鐘をついた後の残響も短くなったため、ほぼ同じ大きさの鐘を新調したとのこと。
京都新聞より。
共同通信より。
足利義満(1358〜1408)が創建した「鹿苑院」の遺構が、同志社大の今出川キャンパス(京都市上京区)で見つかったとのこと。建物は江戸時代の古地図に記されていたが、研究者は「存在が初めて裏付けられた」と説明する。同大が24日、発表した。
同大によると、鹿苑院は大学に隣接する相国寺の塔頭として、義満が1383(永徳3)年に創建した。義満の禅の修行場に使われ、当時の有力な禅寺「京都五山」(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)を統括する役割も担ったとされる。
今回、建物の柱を支える「根固石」を6カ所で確認。それぞれ拳大の石が直径約1メートルの円状に敷き詰められており、鹿苑院の仏堂跡とみられる。周辺からは、器の底に「鹿」と書かれた瀬戸焼も見つかった。その形から14世紀末ごろの製作とみられ、鹿苑院の創建時期とも一致。鹿苑院が当時からこの地にあった可能性が高まったという。
朝日新聞より。
北國新聞より。
共同通信より。
聖武天皇の皇后で、仏教を広めた光明皇后が作らせた奈良時代の写経の原本の一部が大阪府内の個人宅で見つかり、寄贈を受けた大阪大総合学術博物館が26日、発表した。
見つかったのは、仏教の全経典を写した「光明皇后発願一切経」の一部で、「出曜経」第4巻の末尾2枚。天平14(742)年に作られ、縦約27センチ、横約44センチの和紙に経文などが書き写されている。昭和37年以降、所在不明だった。
正倉院所蔵の出曜経・第6巻と比較した結果、書写した官吏の筆跡や光明皇后の願文の日付、紙材などが一致したことから、同第4巻の原本と判明したとのこと。
産経新聞より。
共同通信より。
ピカソの遺産管理団体は29日、これまで存在さえ知られていなかったピカソの作品多数が見つかったことを明らかにした。
見つかったのはキュビズムのコラージュ、デッサン、リトグラフ、水彩画など、1900〜32年に制作された作品271点。フランス南部に住む元電気技師のピエール・ルゲネック氏が保有していたが、同氏が今年1月、パリにあるピカソの遺産管理団体に真贋の鑑定を求めてきたという。
同氏が持ち込んだ作品をピカソの遺族と遺産管理団体が調べた結果、すべて真作だったことが判明。ピカソの息子のクロード・ピカソ氏と5人の相続人は、同氏が作品を盗んだと判断して9月に同氏を告訴した。作品は当局が10月にルゲネック氏の自宅から押収した。
遺産管理団体はルゲネック氏を告訴した理由について、同氏が作品を保有することになった経緯について筋の通った説明がなかったためだとしている。リベラシオン紙によると、ルゲネック氏は現役時代に3年間、電気技師としてピカソのために働いたことがあるという。
CNNより。






topback