2009年
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11/01 奈良「天平の甍」荘厳な姿現る 唐招提寺金堂の大修理完了
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共同通信より。
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共同通信より。
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平等院鳳凰堂の本尊・阿弥陀如来坐像(国宝、高さ約2.8メートル)の内側の全面が酸化鉄を主成分とする赤色顔料のベンガラで彩色されていたことが平等院などの調査でわかった。仏像の内側にベンガラが塗られた例は珍しいという。 阿弥陀如来坐像は、平安時代中期の1053年に、仏師・定朝が制作したヒノキの寄せ木造り。2004〜07年に修理した際、内側が真っ赤に塗られていたことが確認され、東京文化財研究所が木材に付着する成分を蛍光エックス線で分析し、ベンガラと判明したとのこと。赤は太陽や火と結びつき、魔よけになるとされる。 読売新聞。
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共同通信より。何ていうか言葉の使い方が。安全圏といったらいいのか。
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大津市歴史博物館は5日までに、同市の若王寺の本尊内部から、仏像が造られた年代を示す平安時代後期の墨書銘が見つかった、と発表した。滋賀県内では5番目、市内では園城寺(三井寺)の木造不動明王(1014年、重文)に次ぐという。 本尊は木造大日如来座像。高さ92.3センチ、ヒノキ製、一木割り矧ぎ造り。顔の彫りは浅く、表面と内部はすすで覆われていたとのこと。 楽浪文化財修理所(大津市)で修復中、背面材内部を赤外線カメラで撮影し、1080(承暦4年)に造立されたことを示す「承暦肆年庚申歳(じょうりゃくよねんかのえさるのとし)十一月二日」の銘が確認した。他に「奉造立□金色大日如来」「為平癒」「奉安置」ともあり、当初は仏像の表面に金箔が張られていた可能性があり、病が治ることを願って奉納された経緯がうかがえる。 県立近代美術館の梨純次学芸課長は、両腕と脚の部材は後に取り換えられ、手の形は、現在の金剛界ではなく、造立当初は胎蔵界の印を結んでいた可能性を指摘する。 京都新聞より。
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クリスティーズは4日、今月11日にニューヨークで行われる現代美術作品のオークションに、奈良美智さんの絵「ランナウエー・ベイビー」(1995年制作、縦約108センチ、横約118センチ)を出品することを明らかにした。オークションの目玉の一つで、落札予想価格は20万〜30万ドル(約1800万〜約2700万円)。
産経新聞より。
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共同通信より。
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「第61回正倉院展」(12日まで)で展示されている「漆柄香炉箱」のふたに、「●」という文字が刻まれている。どう解読すればいいのか、研究者の意見も定まっていないとのこと。(●は衣ヘンに「勿」) 「漆柄香炉箱」は、併せて展示している「白銅柄香炉」を収納する箱で、縦約34センチ、横約12センチ、高さ9センチ。黒漆を塗った箱のふたの表に「● 神亀六年(729年)七月六日」との銘がある。 「●」の文字は、松嶋順正・元正倉院事務所保存課長が「初」と解読。「初」ならば、法会で初めに用いる柄香炉などの解釈が可能だが、その後、同事務所は見たままの「●」に改めた。だが、これでは意味も不明。奈良国立博物館学芸部の清水健研究員は「解読されれば製作の経緯などが分かるかもしれないが」と話しているとのこと。 読売新聞。
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共同通信より。
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サザビーズが4日に実施した印象派や現代美術品の売上額が、予想されていた1億1530万ドル(約103億円)を大きく上回る、1億8180万ドル(約164億円)だったと発表、美術品市場において景気回復の兆しが見られると喜んでいる。 同日に出品された作品のうち、5点が1000万ドル(約9億円)を超える価格で落札。また、通常は70-90%の落札率が、この日は93.4%という高率を記録したとのこと。 予想よりも高額で落札されたのは、サルバドール・ダリやピカソ、カミーユ・ピサロなどの作品。ダリの作品の落札予想価格は15-20万ドルだったが、187万ドルの値が付いた。ピカソが1969年10月に描いた作品は、800-1200万ドルと予想されており、1039万ドルで落札された。ピサロの作品は200-300万ドルと考えられていたが、793万ドルまで値上がった。 CNN。
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共同通信より。「10年の建築展は8月から11月まで開催予定」とのこと。
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共同通信より。
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共同通信より。
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共同通信より。スクラップ2009年10月7日と同じお寺で続いてます。
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東近江市の妙応寺の「十八羅漢像」が、黄檗宗大本山万福寺(宇治市)の所蔵品の模刻であることが、琵琶湖文化館(大津市)の調査で分かった。江戸前期作の万福寺像は、和様にない異国的表現が日本仏教美術に強い影響を与えた金字塔的な作品の一つとされる。 妙応寺の羅漢像は江戸期作で18体のうち16体が残る。高さ約60−70センチで万福寺像のほぼ2分の1。作者不明。万福寺像と顔の造作に違いはあるが、バランスが酷似し、全体的な造りや色彩、手の形、衣紋などが非常に似通っている。全国に数例伝わる模刻品と比べても忠実な造りという。 京都新聞より。
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共同通信より。
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江戸時代を代表する京都の陶工・尾形乾山(1663〜1743)の工房で作られた京焼や、将軍に宇治茶を献上するのに使われた特別な茶壺など陶磁器の破片約1000点が、大阪市中央区の大坂城下町跡から出土したとのこと。調査にあたった市文化財協会は「当時、町家で使われていた陶磁器のセットが、ほぼ丸ごと見つかった可能性が高い。天下の台所と呼ばれた近世大坂の町人の豊かな暮らしぶりがうかがえる」としている。
読売新聞。
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共同通信より。
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共同通信より。
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共同通信より。
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村山槐多(1896〜1919年)が13歳の時、少年向け雑誌に詩歌や作文を次々に投稿していたのが見つかった。投稿先は実業之日本社の「日本少年」誌で、1909年10月号〜翌年5月号の詩・和歌・狂句・作文欄などに計6編が採用されていたとのこと。東京都内のアマチュア画家が古書店で同誌を買い、掲載されているのに気づいた。 このうち作文では、文芸誌「早稲田文学」を読んでいた時、父親から作家志望なのかと問われ、「えゝまあ」と答えたところ、「今の文士は貧乏だよ」とクギを刺された心の動揺をつづる。その選評では、いっぱしの文学者を気取らず、学問に励むべき年頃だ――とたしなめられているとのこと。 一連の投稿に続く時期、槐多は絵画へ関心を深めたが、その後も詩や小説も書き続け、22歳で没した翌年には、詩文集「槐多の歌へる」が出版されている。 読売新聞。 渋谷区立松濤美術館で開かれる「村山槐多」展(12月1日〜来年1月24日)で紹介される予定とのこと。
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広島城(広島市中区)の旧中堀近くで、1590年代の毛利氏築城当時とみられる金箔を張ったしゃちほこ形の瓦一対が出土したとのこと。しゃちほこ瓦は高さ70〜75センチ、幅30センチ。ひれや牙、目などに金箔、口に朱漆が施され、胴体、上あご、左右の下あごの四つの部位で組み立てる構造。金箔や朱漆がよく残されており、研究者によると、同タイプの瓦がほぼ完全な形で見つかるのは全国初という。 今年2月、天守閣の南東約500メートルの広島合同庁舎建設予定地の発掘調査で、深さ約2メートルの古井戸底部から発見されたとのこと。本丸櫓門(やぐらもん)の上に飾られていたとみられる。 産経新聞より。
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共同通信より。
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