2008年
12/04 源氏物語の注釈本、江戸時代の版木を発見
江戸時代に出版された、源氏物語に登場する語句を解説した注釈本「源語梯(げんごてい)」の版木が見つかり、奈良大が4日発表したとのこと。江戸時代には源氏物語の注釈本が多数出版されたが、版木が見つかったのは初めてという。
版木は2枚あり、いずれも縦約13センチ、横約56センチ、厚さ約2センチの山桜材。表裏を使い、1枚に8ページ分が彫ってあったとのこと。源氏物語に登場する語句をいろは順に並べ「のちのわざ 人の死後の追福なり」などと巻や意味などを説明している。
源語梯の版木は計45枚あったとみられるとのこと。1784年に初版が発行され、同じ版木で1823年にも印刷された。
日経新聞。今年は源氏物語関連の発見がとても多い。
大阪市は4日の市議会で、名画を収集したまま、同市北区の中之島地区に整備する構想が25年にわたり宙に浮いている市立近代美術館(仮称)について、現在の計画を見直したうえで建設する方針を明らかにしたとのこと。来年度に計画をまとめる。一方、同じ敷地に整備構想があった「舞台芸術総合センター」(同)は断念する。
毎日新聞。建物を当初の計画から縮小したり、用地の一部売却や民間資金の導入を考えたりしているようです。
作家で評論家の加藤周一さんが5日、死去した。89歳。
「日本文学史序説」で80年、大佛次郎賞を受賞。芸術、社会、政治評論など多彩な言論活動を展開。
読売新聞。
文化庁は9日、昨年の石室解体に伴って専用の修復施設で管理されている高松塚古墳の国宝壁画「東壁女子群像」について、顔料の科学分析中に機材の先端を誤って接触させ、壁画が長さ3ミリにわたって損傷したと発表した。壁画の保存作業中の損傷事故は、平成14年の西壁男子群像でも発生している。
産経新聞。続報:「高松塚壁画の傷、修復は不可能 文化庁が発表 」(12月10日付日経新聞)
平等院鳳凰堂が大改修された1670年に流出したとされる僧侶姿の雲中供養菩薩像が、約340年ぶりに鳳凰堂に里帰りしたとのこと。
菩薩像は高さ約57センチ、幅約39センチ。作風や構造が平等院のほかの雲中供養菩薩像52体と似ていることから、鳳凰堂から流出したと考えられるとして、文化庁が2004年3月に京都市内の古物商から購入し、保管していたとのこと。
読売新聞。流出話が気になったので紹介。里帰りは特別展開催にあわせたものとのこと。
高松塚古墳の国宝壁画の劣化問題で、文化庁は11日、描線が薄れて見えにくくなっていた四神像の一つ「白虎」について、赤外線カメラを使った調査で、背中の描線の一部などが完全に消失していることがわかったと発表した。カビなどの除去作業中に削り取られた可能性もあるとのこと。肉眼で見えにくくなっている部分のうち、左前脚のつめ部分など十数カ所は、赤外線画像で絵が確認できたという。
白虎を巡っては、1980年代のカビ処理の影響で劣化が進行。文化庁は当時から劣化を認識していたが2004年まで公表していなかった。
日経新聞。
高松塚古墳壁画のうち最も劣化が激しく、輪郭などの描線が薄れて消失した可能性が指摘された四神・白虎(西壁)を調べたところ、実際には描線が残っているとみられる部分が十数カ所あることが報告された。原因不明の白い物質に覆われており、取り除ければ復活する可能性があるという。
奈良文化財研究所の肥塚隆保・埋蔵文化財センター長らが10〜11月、高精度のデジタルカメラや赤外線などで、肉眼では描線が見えない白虎の背中や目、前脚など約30カ所を調査した。このうち左前脚のつめや唇など十数カ所で、白い物質の下に顔料などの存在が確認できたとのこと。一方、背中や目の一部は描線が確認できず、消えた可能性が高いという。
毎日新聞。
千葉県松戸市は17日、青森県から借用し、松戸市立博物館で展示した「三内丸山遺跡」(青森市)出土の縄文生活用具で、国の重要文化財「骨角器箆(へら)」の返却作業中、表面の一部が剥落したと発表した。
骨角器箆は10月11日〜12月7日に「縄文時代の東・西」展で展示。作業員が15日、青森県立美術館内で返却のため保管袋に入れようとした際、表面の一部が2×4ミリほど剥落したという。どの部分から剥落したかは不明。松戸市立博物館は極端にもろくなっていたのが原因としているとのこと。
産経新聞。
ルーブル美術館は18日、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品から、ダ・ヴィンチ自身が描いた可能性があるスケッチを見つけたと発表した。学芸員が研究と修復プログラムのために、同美術館に展示されていた「聖アンナと聖母子」を壁から取り外したところ、偶然見つけたという。
同美術館によると、この学芸員は作品の裏に馬の頭と頭蓋骨の半分のスケッチが描かれていることを発見。その後、美術館で裏面について詳しい調査を行ったところ、そのほかに幼少のイエス・キリストが羊と遊ぶスケッチも見つかり、スケッチは合わせて3つあることが判明した。
18日付ロイター通信。
すべての壁画がはぎ取られたキトラ古墳について、文化庁が、壁画の描かれたはぎ取り前の石室内の状況を原寸大の陶板で復元する方針を決めたことが19日、分かった。来年度に製作し、平成22年に開かれる平城遷都1300年祭にあわせて公開する計画。
壁画は、すでに白虎などが一般公開されているが、同庁は、はぎ取られる前の石室の様子を後世に伝えようと、石室内の質感をリアルに表現できる陶板を使用。石室内の写真を陶板に焼き付けるなどの案が検討されているとのこと。
産経新聞。
エルミタージュ美術館に、美術商、林忠正(1853〜1906)のコレクションが所蔵されていることが分かった。第二次世界大戦後、ソ連軍がドイツ・ベルリン美術館から持ち帰ったもので、大黒屋光太夫(1751〜1828)がロシア滞在中に描いたとみられる日本地図などが含まれていたとのこと。岡山大で21日にあったシンポジウムで、エルミタージュ美術館のアレクセイ・ボゴリューボフ学芸員が明らかにした。エルミタージュ美術館は来夏、コレクションの一部を公開予定。
毎日新聞。
東京・築地にあった松竹セントラル劇場の正面玄関に飾られていたタイル壁画「青春」の下絵とみられる岡本太郎(1911〜96)のパステル画が多治見市で見つかり23日、公開が始まったとのこと。展示許可を得るため岡本太郎記念館(東京)に連絡したところ、「未公開で、現存していることも知られていない作品」と分かった。
多治見市のミスズアート・スタジオの初代社長、故・曽根錦二さんが、タイル壁画(縦345センチ、横620センチ)制作を引き受けた際、下絵としてパステル画(縦71センチ、横108センチ)と油彩画(縦74センチ、横115センチ)を預かったという。1956年に壁画が完成した後は倉庫に保管していた。劇場は99年に閉鎖され、壁画は建物とともに壊された。
錦二さんの孫で現在の社長が、10年前に倉庫でパステル画を発見、5年前には油彩画も見つけた。2作品とも状態が悪かったため、同記念館が修復。色彩が定着したパステル画だけ展示した。油彩画は、写真パネルを展示している。
毎日新聞。岐阜県現代陶芸美術館で来年3月まで公開されているそうです。
朝日新聞より。






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