11/06-12/25 上野の森美術館
▼「戦争」「進化」「生命」という3つのテーマに沿った展示。
▼まず目に付くのは、会田誠による「ザク[戦争画RETURNS番外編]」。ザク山盛りです。よく描いてある。作者にとってのガンダムは、描く為の良い機会。それはそれで清々しいのかも。でかさで目に付く「コアファイター 1/1SCALE」は、脱出が元ネタ。付随の映像は、心象風景を表しているらしい。が、しかしこれがまた。そりゃ、ある意味電波ユンユンだったりするけど、安っぽいアシッド系(なのか?)ではないと思うのです。コアファイターだけ眺めてろってことか。印象深かったのは、横山豊蘭の「最終防衛ライン ア・バオア・クー」。ア・バオア・クーでの無数の戦いや死、感情の波打つ様やなんかが、書によって表現されています。元の映像と、独自の解釈が見事に凝縮。それでいて端正な佇まいだったりして。「光る宇宙 ニュータイプ・へんたいかな」も、様々な要素が入っておりなかなか。切箔などが撒かれた料紙に、言霊が浮かぶ。空間が効果的。同作者によるガンダム筆は、意味不明が炸裂してましたが。ジオング筆は、「足は付いていない」 「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのです」 どころではなくて、生えてるよ。毛。田中功起「アムロとアムロたち」は、アムロの個室を再現。しかし今そこに部屋の主はなく、壁にアムロと同年代の少年たちが映し出されているだけ。からっぽの部屋は、ガンダムそしてアムロの世界から、少年たちの世界へと踏み出す為の装置。あるいは繋ぐ為の装置。のように思える。ガンダムでありながら、そこに留まっていない所が良いなと。対して「ピキピキーン(劇場版)」は、取り出して立体化してあってベタ。が、反応せずにはいられない勢い。最高です。
▼ということで、アーティストにより「ガンダム」という作品との距離感、自我の混ぜ込みぶりが違って見える所が面白かったです。
▼「書の至宝−日本と中国」に向け試走。意味不明。
伝世尊寺経尹筆「西園寺実氏夫人願文」(仏教の美術―平安〜室町 11/22〜12/25)は、夫人である貞子が自らの死後の冥福を祈った時に捧げたとのこと。草花や鳥、蝶(多分)が散りばめられていますが、シックな装い。鎌倉時代・弘安5年(1282)・10月8日
「金光明経巻第二(目無経)」(宮廷の美術―平安〜室町 11/22〜12/25)は、描きかけの絵巻の上に写経がのっかっています。絵画と書の線が交錯し、不協和音を奏でているような。目無経のいわれである、のっぺらぼう人物は正直恐怖。何度見てもその印象はぬぐいきれず。鎌倉時代・12世紀
以前は書といえば字、字といえば読むものという、あてどもない使命感に燃える日々だったのですが。ふと気付いたことがあり、固定観念から解放されつつあります。その割には解説丸写しで、書にあまり触れてない点が自分でも気になります。その辺は追々。そうそう、料紙は綺麗だったりしますね。
▼気になった作品:「餓鬼草紙」(仏教の美術―平安〜室町 11/22〜12/25):描写の細かさが興味深い。出産の生々しさと見守る女の不気味な笑顔。ごみが散らばる道端。排泄。墓地に転がる遺体や白骨。棺桶をあさり死体を喰らう犬。そこへ、骨と皮の身体に膨れた腹を抱えた餓鬼たちが絡み付く。単純に見て飽きない。細かさでいえば、「洛中洛外図屏風(舟木本)」(屏風と襖絵―安土桃山・江戸 12/6〜2006/1/15)も特筆の品。密度極めて高し。平安〜鎌倉時代・12世紀、江戸時代・17世紀/車輪の共演:「片輪車蒔絵螺鈿手箱」(宮廷の美術―平安〜室町 11/22〜12/25)の流水車輪が、「駿牛図巻断簡」(同)の表装に出現。平安時代・12世紀、鎌倉時代・13世紀/二代高嵩谷筆「英一蝶像」(書画の展開―安土桃山・江戸 12/6〜2006/1/15):晩年の肖像とのこと。立膝。英一蝶の外見が知れたのは個人的収穫。身の丈高く色白。目の大きなあばた面。江戸時代・19世紀/鶴:「書画の展開―安土桃山・江戸」にて複数確認。年越しの展示らしくて良し。酒井抱一筆「寿老・布袋・鶴図」は時を経て、川端龍子の元で再生を遂げました。江戸時代・18世紀
▼東博の本館にいると、知らない人から声を掛けられることがあります。話の内容は解説9割に質問1割。こちらが顔を向けた瞬間、本題に突入します。抱一についてとか、是真の漆絵とか、屏風の形態とか色々説明を受けました。他所ではあまりないので、本館に磁場みたいなものが存在するのかも。
12/08-2006/03/26 資生堂ギャラリー
▼[Part1 今村源] 12/08-12/25 会場は、パイプから生まれた泡に覆われています。日常にあるものと、増殖と、空間が化学反応。摩訶不思議なミニ世界がそこに。体感系が心地良く、寝転んでみたくなりました。
今年は「5人によるリレー個展」とのことだけど、一人であって一人でないような。
▼[Part2 田中信行] 2006/01/05-01/22 漆を使用した3点を展示。それぞれ質感が異なります。プレート系の作品は、連なる山のようでもあり波のようでもあり。周回するごとに形が変わっていくのが面白い。花のような曲線を描く、削ぎ落とした美しさの作品も。そして最も印象深かったのが、「inner side-outer side」。つややかな表面に反射する光や映し出された自分が、曲線に包まれ漆に溶け込んでいく。自分と向き合うと同時に、違う自分を覗き込むようでもある。今までになかった感覚。この作品は本当にすごい。また味わいたい。形も美しいです。根来入ってる。
▼[Part4 中村政人] 2006/02/16-03/05 [Part3 金沢健一]は終了日を忘れ、見られませんでした。駄目すぎ。中村政人は中途に訪問したら中途でした。ライブ。やっぱり家を建てる人は違う。
12/07-2006/01/29 HOUSE OF SHISEIDO
▼写真の中の薔薇は、瑞々しい輝きを含んでいたり、色が変わり朽ちかけになっていたりします。ちょっと肉っぽかったりもする。「石内 都は、身体、母親の遺品などを被写体とし、心の奥底に刻まれ、幾重にも重ねられた「時間の記憶」を表現してきました」(同展チラシより)というのが、薔薇に置き換わった気もしないでもない。けれどもその表現は浮き上がることなく、花弁の奥に秘められているようであり。つーても、本当の所はわかりませんが。