菱川師宣ゆかりの地・千葉県安房郡鋸南町(安房国保田)にあります。海沿い。うちからだと熱海より遠くて吃驚です。師宣の作品や資料に加え、後につづく絵師たちの作品他を展示。「見返り美人」もいらっしゃいますが、複製です。彼女は今、東博に。

建物の外には、これまた「見返り美人」の銅像あり。さらに外へ外へと進むと、「師宣誕生地」や「師宣のお墓」(別願院)にあたります。師宣三昧。

近くの「水仙ロード」に立ち寄った所、すっかり時期外れで花はまばら。歩いてる人もなく、そこはかとない寂しさにおそわれました。足を伸ばしロープウェーに乗ると、ある意味有名な日本寺に辿り着きますが、寂しいうえに疲れたのでパスしました。(02/13)

01/12-02/27 東京国立近代美術館

▼戦後の美術を新たな枠組みで問い直す。てな感じでしょうか。痕跡と名付けられたイメージが、表面、行為、身体、物質、破壊、転写、時間、思考へと散らばり、再び収束するというか。多彩な作品は多彩なままそれぞれの個性を放っているのだけど、散漫に陥らず、不思議に喉ごしよく見られたりします。

▼作品自体も、面白い(と言っていいのやら)ものが多かったです。
アナ・メンディエッタは、レイプ現場の再現や、血液らしきものを身体になすりつけたりのパフォーマンスなど。これらは女子学生のレイプ殺人に衝撃を受けたことから、発せられているらしい。それは事実なのだろうけど、衝撃が開眼のきっかけともなっているのでは?血液の赤色、苦痛に対する嗜好が頭をもたげたとか。作品は他に、道端に血と臓物らしきものを撒き、通行人の反応を記録したりするのもありました。遠巻きに眺める人が大部分な中、片付けてるおじさんがいて意味不明に和む。
血つながりでは、鋭い飛沫が印象的なヘルマン・ニッチ。ウィーン・アクショニズムの人だそうです。ウィーン・アクショニズム系では、オットー・ミュールも参加。全裸の緊縛女性に絵具や食品をあびせかけ責めてみたり、糞尿・吐瀉物・ゴミの色と形状を保つ絵画をこしらえたりしています。塗りたくり。解説中に本人の言葉が紹介されていましたが、それの訳者が秋田昌美。どこかと何かがつながってすっきり爽やか。この辺りの作品は、作品としてどうよという問いもそこそこに、生理的部分に訴えてくる感じ。質より生理、質より性とか。
ルドルフ・シュワルツコグラーは、包帯ぐるぐる巻きでミイラ状態のまま、紐で縛りつけた鶏の死骸を犬の散歩よろしく引っ張ってみたり。傍らには電球や鏡、病室や刑務所を思わせる部屋。不健康なコンストラクテッド・フォトといいましょうか。
ところで、アナ・メンディエッタ、オットー・ミュール、ルドルフ・シュワルツコグラーのその後が壮絶なのは、偶然なのでしょうか。ヘルマン・ニッチのその後は、チェックし忘れました。(02/18) こういう展覧会は、構成などに重きをおいて見るべきなのかも。と、思いつつも、作家や作品のことばかり。

2004年12月25日〜2月27日
夜間開館を利用。時間の都合で、急いで見ることになってしまいました。 気になった作品 ラブリー:木島桜谷「しぐれ」(1907)…鹿たちのつぶらな瞳。高村光太郎「兎」(1899頃)…17歳頃の制作。今年度の新収蔵品。これまでは個人蔵で、数十年間一般に公開されることがなかったそう。小ささが兎の可愛らしさを表しているよう。 相手が悪かった:渡辺省亭「雪中鴛鴦之図」(1909)…見た瞬間、動植綵絵の「雪中鴛鴦図」が浮かびました。省亭版は胡粉が控え目など思う所ありなのですが、それよりなによりへ(略という。勝手に比べたのがいけませんでした。 肌が魅力:小杉放菴「椿」(1937)…日本画部門。擦れてかすれたような肌合い。猫がアメリカンショートヘア風。

「新版画」の世界−伝統的木版画の再生より:伊東深水「泥上船」(1917)…伊東深水のデザイン感覚という、個人的には存在さえも気にしなかったものに出会ってしまいました。構図、配色共にぴたりと決まっており、だてに伊東深水やってなかったんだなーと(失礼)。小原祥邨(古邨)「孔雀」「鴬二羽と紅梅」…花鳥ものが好きなので、こちらもなかなかいける口。しかし、版画を超えた平板さが少々気になります。作者の意向か、そういう風にしか刷れなかったのかは不明。

その先へ:宮脇愛子「スクロール・ペインティング」…巻物。中には、細やかな描線が漂っています。ひび割れた土、細胞分裂、増殖する網目など、好きなように想像してみる。少ししか見ることができなかったけれど、先には何が。

河野鷹思のグラフィック・デザイン 1月12日〜2月27日
映画や商品のポスター、雑誌の表紙など充実した展示。約100点あるそうで、ちょっとした回顧展のよう。 作品は、手のぬくもりや動きが透けて写る感じ。漢字や平仮名の描き文字にも味わいがあります。でも、アルファベットは字体にあまり変化がないような。時代的に「こういうもの、こうあるもの」だったのか。と、見たままに根拠もなく書いておりますが。(02/18)

02/19-03/13 東京国立博物館 表慶館

▼1998年にシチリア島沖で漁船の網に掛かり、奇跡的に発見された古代ギリシャのブロンズ像《踊るサテュロス》を展示。

▼中に入ると、写真パネルがあります。様々なアングルで撮影されたサテュロスが複数。対面に向けての助走でしょうか。
現れた像は、肉付き良好で逞しく大きい。ついでに足の親指も太い。瑞々しさと筋肉の比率が、思っていたのとは少し違っていました(違う=良くないということではなく)。髪のゆるやかな流れ、身体のひねりにより生ずる躍動感が肝。臀部付近のへこみまで表現されていたり。全方位からの鑑賞可能です。(02/27) 「サテュロスに触れてみましょう」コーナーもあり。ほぼ原寸大のレプリカ(上半身のみ)、縮小サイズなど各種。原寸大では胸板を持ち上げてみたり、鼻をつまんだり、「マンダム」をしてみたりと戯れてきました。申し訳ない。

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巡回:03/25-09/25 愛知万博イタリア・パビリオン

特集陳列 健康と医学 2月15日〜3月27日 前回の「旅と温泉」に続き、「健康と医学」へ。骨休み、健康第一。てことで、養生書が並びます。興味があったのは、食物に関するノウハウ。食い合わせとか。「麻疹食物善悪鏡」(文久2年・1862)は、右を悪の食物、左を善とし、番付形式で示しています。大毒は魚。デザイン面で感心したのは、近江屋安兵衛作「懐中持薬入」(19世紀) 。台紙に、小さな紙袋が複数ついています。薬を入れて折りたたみ、使用する模様。小型の匙付き。構造を叩き込んだので、そのうち自作で再現してみようかと。

特集陳列「梅」 2月8日〜2月27日
梅図像を用いた絵画、工芸品等を集める。 絵画では、尾形光琳「竹梅図屏風」が際立っていました。まっすぐな竹と折れ曲がる梅の対比が見事。金地に墨がそれらを生かしております。梅:山椒の粒。岸駒「月梅図」は、筆捌きが独特。置いて走らせているというか。月の居場所が不思議。梅:月とシンクロ。佐竹義躬「紅梅椿図」は、小田野直武に学んだということが赤裸々な、色彩に絵肌。しかし、全体的に硬いです。梅:枝の強度が過ぎ、人工的な何かへ突入。あと、狩野松栄は、穏やかな人柄が窺える絵を描くものだと、見るたび思います。「梅に小禽図」はごく普通ですが、気が休まる効果あり。永徳に関する箇条書きには含まれない項を、松栄は持ちえているというか。そして、その逆もあるという。梅:小鳥の休憩所。 「梅枝蒔絵鞍鐙」は、前回の東博で見た「紅白梅図屏風」を移植した感じ。どちらも梅花で埋まってる。鐙の中にはよろよろと枝が伸びています。ところで、鞍や鐙はテーマを設けた展示によくかり出されるような。それだけ、図像に幅があるということでしょうか。

書画の展開 ―安土桃山・江戸 2月15日〜3月27日
久隅守景「山水図」:畳跡が付いている、ある意味珍品。久隅守景は、屏風部屋でも「山水図」が見られます。 源g「潘妃之図」:応挙の残り香漂う作品。かなり濃厚で、遠くから匂い立つ程。 林十江「蝦蟇図」:不定形な蝦蟇、その上をふわりと舞う妙に流麗な蝶。謎めく画風がここにも溶け出す。 三井親和「唐詩屏風」:勢いや迫力のある、誰にでもわかりやすく優れた書だと思いました。

中国の絵画 琴棋書画−文人の楽しみ− 2月1日〜3月21日
袁樹「小倉山房図巻」清時代・乾隆28年(1763):「『隋園食単』の著者で食通として知られた清の袁枚の邸宅「隋園」の庭園を描いた」そう。とりどりの樹木、花壇、水面に浮かぶ蓮の花など、邸内の様子が克明に描かれています。非常に面白い絵。絵の中の花壇というのが珍奇なのかも。

蒔絵。今回は日本を離れ、朝鮮のものを。 2月15日〜4月10日
「菊花螺鈿経箱」(高麗時代・13世紀):高麗時代の螺鈿の典型的作風らしいです。他を知らないので何ともかんとも。モチーフを規則的に散りばめており、少々ヴィトン風。 「牡丹唐草螺鈿箱」(朝鮮時代・17〜18世紀):こちらは繊細な作り。べっぴんさん。花部分から細く伸びた茎のしなりまで、優美に表現されています。螺鈿はモザイク状になっています。 「葡萄螺鈿衣裳箱」(朝鮮時代・17〜18世紀):こちらもモザイク状ですが、結構大胆。ざくざくと切り取られた折り紙を想起。大型の葡萄の葉で埋まる間に、幾何学の子供が隠れています。(02/27)






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