2003年7月
▼木・竹・漆の三分野の工芸作品を特集。これらの多彩な作品の数々を、地域ごとに異なる技法や材質などの特色から捉える。そして、それらを存分に生かした伝統的な手法による制作活動の中で、優れた技量や独自の造形によって高い評価を受けてきた作家の展覧会出品作にも注目し、伝統の継承に作家が果たした役割をも紹介する(同展チラシより)。大正〜昭和の作品が展示されています。 ▼竹工芸を目当てに訪問。大きな作品が多かったです。印象的だったのは、竹弘斎による、竹の根を編みこみ、ごつごつした風合いを出した花籠。竹工近代化の原動力となった飯塚琅カン斎の籠は、様々な編目が繊細に重ねられており、技が光る一品でした。 ▼展示は花籠と花瓶が中心でしたが、中身が空なのが少々味気ないような。花が生けてあった方がより引き立つと思うけれど、作品として存在している限り叶わぬことなのかも。 ▼漆工は、各地に伝わる独特の技法に焦点をあてた展示。技法の説明書きを横目に、作品を見比べてみました。言われてみると違うような。て、心許ない。(07/06) |
▼昭和10年代の洋画家26名による、地平線を描いた幻想的な絵画約80点を紹介し、それらをシュルレアリスムなど西洋美術との影響関係から論じるのではなく、描かれた内容や構図の分析を通して当時の画家たちの問題意識を探り、あわせて画家と社会との関係という、今日にも通じるテーマについても考察する。(同展チラシより) ▼「会場では何点かの作品に、またカタログではほとんどすべての作品に解釈を付けています。けれども、これはあくまでひとつの解釈です。いずれの作品も、直接的なメッセージを発してはいません。むしろ象徴的な表現によって、見る者のさまざまな解釈を待っているのです」(フロアガイドより抜粋) ▼上記の文は予防線かな?という感じの解説が付いています。少々私的で踏み込み気味のような。時代背景など、事実を教えてくれるのはすごーく有り難いのですが、作品の世界に解釈を加えられてもねえ。それって、作品と鑑賞者の間に薄いにしろ厚いにしろ壁を作ってしまうわけで。特に、会場内での壁おっ立て状態は萎えるのですよ。加えて、人によっては「美術館の人が不安な気持を表した作品と言ってるのだから、そうに違いない」と、自分の感受性で受け止めることを放棄する可能性もなきにしもあらずだと思うし。 ▼展覧会のコンセプト、それに合った作品のセレクト、作品自体の質など、全体的にはいい感じなので、ちょっとしたことが勿体無く思えてならないのでした。 ▼印象に残ったのは、早瀬龍江、伊藤久三郎、大塚耕二の作品。早瀬龍江は、隅から隅まで描き込み、ちょっと面白くて独特な世界を作り上げています。財布に鮮魚。伊藤久三郎は…ヘタウマだか何だかわからない絵。何なのでしょう。水っぽい画面と色合いが妙。大塚耕二の作品は、印刷物では平板さが目立ちますが、実際に見ると違ってました。 |
▼「日々」、「SELF AND OTHERS」、「見慣れた街の中で」の3つの写真集からの作品を中心に、その作品世界の深みと広がりをあらためて見つめ直す。(同展チラシより) ▼「SELF AND OTHERS」は、被写体となった人々のまっすぐな視線と、撮影者・牛腸茂雄の他者に対する視線が静かに交差しています。交差点に立つのは鑑賞者で、その立ち位置は何の変哲もないのだけれど、すごく惹かれるものがあります。 ▼「日々」は、哀愁を帯びた動物たちと失われた風景が印象的。「見慣れた街の中で」は、スライドによる展示でした。 ▼どの作品にも、作者の存在や周囲へ向けた眼差しが感じられます。あと、1970年代から80年代初頭の街並み、人々の顔や服装などを振り返ることもできます。ある程度の年代の方は当時を懐かしんだり、そうでない方は新鮮に見えたり。(07/06) |
▼日本画は、あっさり目の作品が目に付きました。森田恒友「平野冊」、岸田劉生によるコロコロした「人参図」なんてのがありました。それと、速水御舟「茶わんと果実」における、ごくごくシンプルな構成に心奪われました。文字通り、茶わんの傍らに果実が転がっているだけ。果実の表面が、なぜか金属っぽいのですが。ところで、桜の花びら舞う、川合玉堂の「行く春」は、少々季節外れでは?確かに春は行ったが夏に突入してる。 ▼洋画は、古賀春江「海」、再び劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」など、馴染みの作品多し。いつもそこにある、変わらないからこその安心感があります。話は違いますが、藤島武二「アルチショ」は、絵具が生々しく見えます。特に紫の花の部分が。タイトルは近代日本ですが、ルソー、カンディンスキー、ベーコン他、海外の作品もあります。 ▼彫刻も御馴染み。高村光太郎「手」は、見るたび真似して自分の指先を折ってみる。マヌケ。しかし、今回は近くに人がいたため断念。 ▼「写真の中の人間像 肖像−自己と他者」 ▼特集展示:長谷川利行 |
▼「那智瀧図」、円山応挙「大瀑布図」、葛飾北斎、横尾忠則他、様々な作家から生み出された様々な滝が美術界には存在しています。で、こちらの滝は映像作品です。 ▼会場の正面と左右の壁に、滝が映し出されています。正面は落下する水、左右は上昇する水。そこへ、徐々に大きくなっていく水流の音響が重なります。作者は生命や宇宙、重力などの自然の見えない力、関係性などをテーマにしているとのこと。上昇する滝は、重力に関する意味付けがあるのかもしれません。 ▼中央に立つと、滝に囲まれ身をゆだねられる感じ。うだるように暑い日は、涼をとれる空間となることでしょう。多分。私が行ったときはそれ程暑くなかったので、何ともいえんですが。(07/17) |
▼染色作家・繁田真樹子の作品展示。金魚をモチーフにした浴衣や下駄、巾着袋、風呂敷が見られます。金魚尽くしです。 ▼雲や緑の間を、たくさんの金魚たちが泳いでいます。きれいで淡い色彩とデザインが可愛らしい浴衣です。実際に着ると、袖や裾が揺れるたび金魚もゆらゆら漂っているように見えるのだろうなぁ。 ▼金魚好きな方におすすめです。ショップには金魚グッズが並んでますし。あと、生金魚も泳いでます。(07/17) |
▼明治以降、日本が急速に近代化できた下地は、江戸時代のモノづくり、科学技術にあった。当時の逸品・珍品の展示により、大名をはじめ、江戸時代の庶民の驚くべき好奇心と文化を探る。 ▼分野は、測量、天文、医学、本草学、鉱山技術などなど。展示品は、からくり人形、カメラ、望遠鏡、エレキテル、蒸気車模型などなど。点数がものすごく多く、いい意味で雑多な展示です。あらゆる分野に好奇心が向かっていたことが、よく表れています。 ▼展示品は、本来動くが会場ではピクリともしないもの、どのように使用されていたのか少々謎なものが多く見受けられます。でも、大丈夫。当時の図説、錦絵、引札などによって、不足分や疑問点は補完・説明されています。 ▼妙に楽しめたのは、医学関係の展示。解剖図は、「興味本位でバラしたり内臓引きずり出してないか?ハァハァしながら図を制作してないか?」と見えるものから、科学的知識の欲求と理論的思考に基いていると思われる「解剖存真図」までよりどりみどり。「解剖存真図」は、顔の筋肉を克明に描写しています。 ▼その他、沢山の博物図譜や「鳥獣魚貝類窮理説」、トンボの羽の色まで綺麗に残った日本最古の昆虫標本が見られたりと、収穫のある展覧会でした。多彩な展示なので、どなたでも、どこかしらに興味を持ったりハマれるのではないかと思います。(07/18) |
▼天明屋が毎月連載している雑誌「BURST」と「GETON!」に掲載された原画および未発表作品を中心に展示。 ▼室町時代の絵師・雪舟は「画聖」、江戸時代の葛飾北斎は「画狂老人」、幕末から明治の河鍋暁斎は「画鬼」。そして、平成の天明屋尚は、自称「画強」なのだそうです。本気と書いてマジなのか、そうでないのかは不明。 ▼雑誌掲載と思われる作品は、族の皆様を日本美術テイストでコーディネート。あちらこちらで交配し、毛色が混ざりきった日本の美意識が息づく族世界(本当か?)。そのためか、違和感ゼロな仕上がりとなっております。夜露死苦。 ▼「武闘派」、暴力的表現ということになっているようですが、そういう感じはあまり…。全体を通して、平らでツルンとした印象でした。それがいいと思う人もいるだろうし、ツルツルの表面に爪が立たなくてすべってしまう人もいるだろうなぁと。どこかしら引っ掛かる部分が欲しいと思ったです。(07/26) |
▼「自然」あるいは「室内」をモチーフとした作品約20点を介し、自然のイメージを室内に取り込む人間の行為について考える。(同展チラシより) ▼自然から断片を盗み出し、生み出された作品を展示。室内には、切り取られた風景、花、風たちが存在しています。 ▼野外展示も2点あり。安田千絵は、清涼な杉木立に、所蔵品である「烏鷺図屏風(長谷川等伯)」を写真パネルにし配置。展示室内には盗まれた自然。ここでは、自然の中に盗まれた美術館。さかさまが面白いなーと思ったのですが、解説には「屏風の鳥たちが戸外へ連れ出されたことにより、再び自然に解き放たれた」と書いてありましたとさ。 ▼展示テーマの中に、キーワードが散らばっている所が肝。「自然」「取り込む」「盗む」「室内」「屋外」とか、つらつら考えながら作品を見て歩き。これが結構楽しい。あと、自然がモチーフの作品、それらを取り巻く美術館という「室内」、美術館の外に広がる豊かな自然。入れ子状態のような感覚を面白がってみたりもして。(07/27) |
▼国内外問わず、幅広い時代にまたがるコレクション。主力は近〜現代か。 ▼訪問時、目に付いたのは女性像。ピカソ「シルヴェット」、エルンスト「入る、出る(エリュアール邸のドア)」他、何点も見受けられました。そういえば皆、肌もあらわ。全裸や半裸が多い多い。その中で、最もお近づきになりたかったのは、藤田嗣治による着衣の女性像。服といっても、かなりの透け感。少々肩を落としながら立つ姿、肩から背中にかけての丸いラインと腕のラインに惹かれました。 ▼そして、名物(?)といっていいのが、マーク・ロスコの作品を並べた「ロスコ・ルーム」。作品に囲まれながら、椅子に座るひととき。ずっと味わっていたい空間と時間。 ▼ここまでは館内のお楽しみ。外に出ると、四季折々の花が咲き、深い緑をたたえた庭が待っています。そう、こちらの美術館は、作品と風景両方楽しめるのです。コレクションと庭における符合も興味深い所。尾形光琳「柳に水鳥」に住む鳥たちと池に浮かぶ鳥たち、モネの「睡蓮」を再現したかのような睡蓮の群れ。どちらも美しい。(07/27) |
▼日本の大衆文化にみられる「かわいい」に対するこだわりと、自分の少女時代の思い出とを交錯させる試み。現実を空想と追憶の世界におきかえながら、自己の内面と世界との交わりを描く、ジェニー・ワトソンの世界を紹介する。(同展チラシより) ▼テーマだけではなく、作風も少女時代に回帰しています。小さな子が、おえかき帳に描いた「だいすきなどうぶつ」や「おんなのこ」みたいな。とはいっても、少女/かわいいの裏に効かせたスパイス(毒?)やモティーフの扱い方は、大きなお姉さんしているのでした。 ▼布地に描かれた作品がマチ針でとめられていたり、タイトルパネルの書き文字や色・形に拘っていたり。雑貨屋のディスプレイ風味な展示方法が、作品と合っていました。(07/27) |
▼「メキシコの女性シュルレアリストたち」の方が、展示内容に近いかも。フリーダ・カーロがメインというより、5人の画家と2人の写真家が一堂に会した展覧会です。カティ・オルナとローラ・アルバレス・ブラボによる写真に、フリーダを撮影した作品が多い辺り、メイン感が出ている気もしますが。 ▼フリーダ・カーロは、「これぞ!!」みたいな決め打ち作品は少なめですが、「!」位の良質さは充分保っています。作品には彼女の人生が投影されている、というより根を生やし息づいていました。あと強い意志も。しかし、「足の素描」には苦痛や悲しみ、弱さが色濃く出ていたような。 ▼他の展覧会で出会ったら正直キツいかも、といった作品もなきにしもあらずでした。が、メキシコ・女性・シュルレアリストといったテーマの中であれば、キツさを差異として見られたりして。テーマ、作品共に堪能しました。(07/27) - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - |