『即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。−ΑΩ−』 漫画:納都花丸/原作:藤孝剛志・成瀬ちさと

アース・スターコミックス既刊10巻

『即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。−ΑΩ−』1巻P.72より

高校の修学旅行中バスの中で寝ていた高遠夜霧は、クラスメイトの壇ノ浦知千佳に起こされて目を覚ました。 すると――そこは異世界で、目の前にはドラゴンが迫ってきていた!彼らのクラスを召喚したのはこの世界で絶大な権力をふるう《賢者》の一人で、 クラスメイト全員が《ギフト》と呼ばれる能力を受け取れるはずだったが、二人を含む何人かは運悪くこれを受け取れず、足手まといとして切り捨てられたのだった。 いきなり大ピンチの主人公! と思いきや、実は夜霧は元々この世界の基準では計れないほどの《即死能力》を持っていて―――公式サイトより)

 今回紹介する作品は、『即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。−ΑΩ−』です。 本作は原作小説もヒットしテレビアニメ化もされており、十分に有名作品とは思うのですが、それでも未読の方も多いでしょう。
 異世界ものに苦手意識を持っている方も多いと思いますが、実は本作にはそれらの作品が苦手意識を持たれる要素はほとんど入っておらず、 異世界ものが苦手な方でも楽しめる作品となっています(※「異世界もの」とは、主人公が異世界に行って活躍する作品だとお考えください)。 本作のタイトルから悪印象を受ける方は多いと思いますが、食わず嫌いをせず読んでみていただきたい作品です。 この記事ではなるべくネタバレを避けつつ、本作の面白さを説明します。

第一章:意図的に誤解を招こうとしている本作タイトル

 異世界ものが近年人気となっていますが、それらに対しては、異世界で得た能力を用いて主人公が活躍するなど展開がワンパターンだ、 といった否定的な声もあります。
 そして本作についても、タイトルからそういうネガティブな印象を受ける方も多いと思います……が、読むとすぐにそれが誤解だと分かります。 本作タイトルには少なくとも五つの点で読者に内容をミスリードをさせる仕掛けが施されており、誰もがそのギャップに驚かされるはずです。 この章では、それらのミスリードのうち二つについて解説します。 なお、本コミカライズを担当された納都花丸様も「これコミカライズのお話が来たときに原作を拝読して(略)」と、このギャップに感銘を受けコミカライズの仕事を受けた旨語られています。

 まず本作タイトルからは、主人公である夜霧は異世界に行って即死能力を得たのだろうと誰しも思うでしょう。 それが、昨今流行りの異世界ものの常識です……が、それこそが本作タイトルに仕組まれたミスリードの一つです。 冒頭で引用した作品概要のとおり、夜霧の即死能力は異世界で得たものではなく、現代日本にいた時から持っているものです。 異世界ものは数あれどこういう設定は稀有であり、また異世界に行って能力をもらうワンパターンな作品かと侮っていた読者は驚かされます。
 例えば電撃オンラインの公式ブログですら、本作のアニメ化を報じる際には「異世界で得たのはすべての敵を即死させる力!? 『即死チート』がアニメ化決定」と明らかに誤った記事を掲載し、納都様からも「最初の一文で最初の一話すら全く読んでないことがわかるんですが、記事出す前にライターもデスクも編集長も誰も競合他社の商材の知識入れないの…?会社の広報ですよね? ちょっとガッカリです…」と呆れられていました(その記事は後日訂正されました)。 このエピソードは、大手出版社の公式ブログですら疑うことが出来なかった異世界ものの常識を変えた本作の凄さを示すものと言えるでしょう。

 また、異世界ものの多くは主人公が得た能力で様々な敵と戦うバトルものであり、タイトルからは本作もそうだろうと誰しも思うでしょう。 しかし、それも仕組まれたミスリードであり、本作はバトルものではありません。 では、バトルものでないなら本作のジャンルは何なのかというと、重要なものはホラー、SF、コメディーだと思っています。これらの面白さが高レベルで混在しているのが、本作の魅力なのです。

第二章:ホラー作品としての本作

 タイトルのとおり、主人公である夜霧はどんな敵だろうが即死させる能力を持っており、バトルになりません。本作のキャッチコピー「本当に最強なら、戦いにすらならない!」は誇張ではなく、本作にはバトルものとしての魅力はあまりありません(低頻度ながら脇役同士のバトルはあり、魅力的です)。 しかし、バトルにならないほど夜霧が強いことにより、本作はホラー作品として魅力的となっています。 夜霧は、激しいバトルによって読者を楽しませる存在ではなく、ホラー作品の理不尽な怪物が主人公になったような、どんな強者にも無慈悲な死を与える存在です。 本作の面白さの一つは、夜霧がバトルにより敵を倒すことではなく、物語が進むにつれて夜霧の恐ろしさが明かされていくところにあるのです。

 本作は、基本的に夜霧たちが召喚された異世界を舞台として物語が進み、時折日本にいた頃の夜霧を描写する過去編が挿入されます。 異世界編では夜霧のあまりの強さにヒロインからツッコミが頻繁に入るためコメディ色が強く、一見ホラーとは思えないかも知れません。 それに対し、ツッコミ不在の過去編は隠しようのないホラーであり、幼い夜霧が引き起こす惨劇に読者は震えあがります。 また、異世界編でも夜霧の恐ろしさは徐々に明示されるようになっていき、特に夜霧に挑んだ未来改変能力者の末路には多くの読者が恐怖を覚えます。

 この、バトルものとしか思えないタイトル・設定から実はホラーという構造は、本作の発明とも言えるのではないでしょうか。 この作品の概要を聞いた人は、「そんなに主人公が強いならバトルはつまらないものになるのではないか」と思うかも知れません。 しかし、そもそも本作の魅力はホラーなのですから、バトルがないことにより面白さが損なわれるわけではなく、むしろ夜霧の得体の知れなさが強化されています。 例えば「リング」に貞子との肉体的なバトルがあったら、恐らく作品の魅力が損なわれるでしょう。

 そして、夜霧が強すぎてバトルが成立しないことから、この作品には更なる魅力が生まれています。 バトルものなら強敵との戦闘シーンには相当なページ数をかける必要がありますが、本作ならバトルは不要のため物語が高速で進むのです。 これについて原作者の藤孝様は原作小説1巻のあとがきで「結局最終的には勝つんだし、途中のまどろっこしい戦闘シーンとかいらないんじゃね? という割り切りのもとに書かれております。」と書かれています。

 このストーリー展開の速さは、上記のとおり夜霧が異世界に行く前から即死能力を持っていることにも由来するでしょう。 例えば、異世界ものには主人公が殺人等に葛藤する作品が多数あります。 現代日本人が葛藤なしで殺人等を行うようになるのは不自然ですから、そういうエピソードは必要ではあるでしょう。 しかし、様々な作品で書き尽くされてきた葛藤を新たに魅力的に書くことは難しく、多くの場合この葛藤は「作品が面白くなるわけでもないが、ないと不自然なため入れざるを得ないエピソード」となっています。 それに対して夜霧は元から人を殺す存在なのですから、いちいち葛藤せずに物語を進めることができます。

第三章:SF作品としての本作

 ここまで読んできて、「そんなに夜霧が恐ろしい存在なら、彼が元々いた世界はどうなっていたのか?」という疑問が浮かぶでしょう。 そこに本作のSF的な面白さがあります。
 本作は、原作者である藤孝様のコメント等から、無敵の能力とはどういうものかという思考を起点として創作された作品であると思われます。 そして本作はその起点から「無敵の能力が存在する世界で、人々はどのような価値観を持ち、どのような社会を構築するか」「無敵の能力の持ち主は、その世界においてどのような存在か」等について考え抜いて書かれていると思われ、 その土台はSF的です。
 物語が進むと、元の世界で人々が夜霧をどう扱ってきたか等も徐々に明らかになっていきます。

 読む前や読み始め直後は本作について雑な設定というイメージを持っていたが実際にはそうではなかった、といった感想も少なくありません。 第一章で述べたミスリードを誘うタイトル以外にも、夜霧の能力があまりにも強すぎることなどから、初めはそういった印象を受けやすいのは理解できます。 しかし、物語が進むにつれて本作が夜霧を軸に一貫した世界観を持っていることが明らかになっていき、読者は驚かされます。 上で夜霧は殺人に葛藤しないと書きましたが、当初彼の言動の異質さに違和感を覚えた読者も、物語が進むにつれて彼の行動指針を理解できる構成となっています。

 SF作品とは何かについては一家言ある方も多いと聞き、本作をSFだとすることには反発もあるかも知れません。 しかし私は少なくとも本作をSFとしても楽しんでいますし、同様の感想も何度か見ています。 本作内には古典SF作品を効果的に引用している箇所もあり、藤孝様は本作をSF的文脈も意識して書かれていると考えられます。 なお、本作をSF作品とするならジャンルはワイドスクリーン・バロックでしょう。

 登場人物たちの思考や言動についても、無敵の能力が存在する世界で人間はどう振舞うか丁寧に考えられており、読んでいくとその論理性にたびたび驚かされます。 私が本作で最も好きなのは(単行本10巻までの時点で)、単行本8巻の二宮諒子の激怒エピソードで、無敵の存在に対しての意外かつ説得力のある思考に感嘆しました。
 また、夜霧がヒロインを守るために人を殺すことについての彼女の台詞「助けられといて助けられ方に文句言うほど野暮な女じゃないですよ!」(単行本4巻)の論理は、多くの作品で見習って欲しいとすら思ってしまいます。

第四章:コメディ作品としての本作

 本作はまた、コメディ作品としても魅力的です。むしろ、本作が最も評価されているのはコメディ要素かも知れません。 本作には優れたツッコミ、独特な言葉選びやテンポの良さから生まれる面白さがあります。

 特にヒロインがことあるごとに夜霧のあまりの強さに対して入れる的確なツッコミは、 彼の恐ろしさに混乱しかける読者を正気に引き戻す役割を持っており、この作品に不可欠なものとなっています。
 狂気を描くには、正気について熟知していなければなりません。 夜霧の強さ等はあまりにも常軌を逸しているため、時には作者の正気を疑う読者もいるようですが、そこにヒロインが矢継ぎ早にツッコミを入れるため読者は作者の価値観がおかしなものでないことに納得できるのです。

 また、兄を溺愛する女神の狂気をコミカルに表現した台詞「お兄様を〇〇〇〇!」(単行本6巻)等、本作には印象的な名台詞がいくつもあります(伏字部分の実際の台詞は、作品を読んでご確認ください)。

 更に、上で書いたとおり本作にはバトルも葛藤もほぼないため物語が高速で進行し、それが独特の面白さを生み出しています。
 本作には夜霧以外にも、普通の作品でなら主人公となれるであろう強力な能力者が多数登場します。 そういった能力者の多くはその強さゆえに増長しており、次々と夜霧に挑み、そして即死していきます。 このテンポは他に類を見ないもので、いかにも強そうな敵が登場し仰々しく語り始めると読者はこの後に何が起きるかを察し、笑ってしまうのです。 このコントのような戦闘は、本作に唯一無二の面白さを与えています。

第五章:本作のオリジナリティゆえの面白さ

 第一章で私は、本作のアニメ化に際して誤った記事を掲載した電撃オンライン公式ブログについて言及しました。 このエピソードから同ブログはアニメ化前には本作を軽視していたようにも思えたのですが、アニメ版の放送開始後は各話ごとに丁寧な感想記事を掲載していました。 その最終回記事にはこうあります。

 “あらゆるものを即死させる最強の主人公”に似たような設定のアイディアを思いついたとしても、それを形にするのは間違いなく大変です。夜霧のような主人公が他の作品にほぼ存在しないのは、おそらくそういうことだと思うんです。

(略)

 これはオタクあるあるだと思うのですが、たくさん作品に触れれば触れるほど、“新鮮さ”を感じられる機会が減っていく悩みがあったので、「他で見たことがない」という感覚をいだけたのは結構久しぶりでした。

『即死チート』最終話感想:最後の最後まで最強だった夜霧のブレのなさ。久しぶりに“新しい”と思える感覚を思い出させてくれた作品(ネタバレあり)

 『「他で見たことがない」という感覚』というのはそのとおりで、バトルものと思わせて実はホラーであること、ハイテンポゆえに可能なコメディであること、主人公が一貫して圧倒的最強であること等、本作には稀有なオリジナリティがあります。そして、拙稿「創作物の面白さ/つまらなさとは何か」で述べたとおり、オリジナリティは創作物の面白さにおいて最も重要な要素です。
 本作の原作者である藤孝様の前著「姉ちゃんは中二病」には、主人公とその姉が俺tueeeについて語り合うシーンがあります(※「俺tueee」とは、主人公が圧倒的な力で敵を倒すバトルだとお考えください)。

「全然だめ! 最初はね、俺tueeeで始まっても絶対に最後までその調子では行けないわ! 結局同格のライバルがあらわれたり、格上のボスが出てきたり、葛藤したり、困難に直面したりするのよ!(略)」

「そりゃ……ずっと強いままなんてメリハリなくてつまんないんじゃねーの?」

 出てくる敵は全て瞬殺。どんな問題もあっさり解決して、悩みもしない完璧超人が主人公であれば、その物語は実に平坦なものになるだろう。

「そう! そう思っちゃうのよ! 物語作家って人たちは! けどね! 私はそんなものを求めてないの! とにかく終始俺tueeeしてくれ! って思うわけよ! そしてこれは決して少数派の意見ではないわ!」

藤孝剛志・An2A「姉ちゃんは中二病」(ホビージャパン)4巻P.116より

 これは作中の登場人物の台詞ではありますが、終始俺tueeeする作品が魅力的だというのは藤孝様の考えの代弁なのではないかと思えます。 正直なところ私は「姉ちゃんは中二病」を読んだ当時、出てくる敵を全て瞬殺する物語を書ききりそしてヒットさせるのは困難だろう、と思っていました。 しかし、藤孝様は即死チートによって終始俺tueeeするヒット作を生み出されました。
 作家の丘野優様やイラストレーターの瀬之本久史様は、それぞれ「即死チートはやれる時やれっていうならここまでやったれ的なハジケと勢いと皮肉みたいなとこに面白さあると思うので(略)」、 「熊本にいる知り合いのアニオタの中では即死チートのウケが良いですw(略)」等、即死チートについて独自の魅力を語られています(なお、瀬之本様の感想はアニメ版へのものです)。

 また本作は、既存の異世界ものやファンタジー作品等のパロディとなっており、それらへの皮肉やアンチテーゼとしても楽しむことができます。
 例えば、私は異世界ものを読んでいて登場人物が能力を得て容易に増長する展開に違和感を覚えたことが何度かあります。同様の経験を持つ方は多いのではないでしょうか。 そういった増長への皮肉とも言えるのが、努力によって得た技術以外の能力を無効化することができる賢者アオイの台詞です。 彼女は、『ひょいっともらった力なんだ「ひょいっとなくなることがあるかもしれないって思ったことないの?」』(単行本4巻より)と言って能力を奪い、増長したキャラクターを倒します。
 この例のように本作は、多くの既存作品で踏襲されている要素を色々と皮肉っており、この点でも独自の魅力を持っています。

第六章:まとめ

 ここまで本作について、原作小説に由来する面白さを説明してきましたが、漫画版の面白さには無論コミカライズ担当の納都花丸様の力によるところも大きいと考えています。 原作小説にも挿絵はありますが、漫画版ではキャラクターたちの様々な表情やアクションが加わり、視覚面での魅力を増しています。
 また、原作小説の時点でも上記のとおりストーリー展開が速い作品ではありますが、漫画版では説明を取捨選択し、更にテンポのよい作品となっています。

 本作は、原作とコミカライズ担当の力が噛みあって生み出された稀有な魅力を持った作品なのですが、いかにも安っぽいタイトルで敬遠している方も多いのではないでしょうか。 タイトルで食わず嫌いせず、是非多くの方に読んでいただきたい作品です。
 なお、私は第一章で「 本作タイトルには少なくとも五つの点で読者に内容をミスリードをさせる仕掛けが施されており〜」と書き、それらのうち二つについて解説しました。 残りのミスリードはどうなったのかと気にされている方もいると思いますが、この記事ではネタバレ防止のため他のミスリードについては解説していません (むしろそれらのミスリードを強化するような記載もしています)。 他のミスリードについては、是非皆さんが本作を読んで「そうか、タイトルから〇〇と思っていたけどミスリードだった!」と楽しんで頂きたいと思います。

 本作については、ゲス顔様のYouTube動画「【なろう系漫画レビュー】#57『即死チートが最強すぎて、異世界のやつらがまるで相手にならないんですが。-ΑΩ-』【なろうコミック短見録】」は的確に魅力を紹介されています。 この記事を読んでもまだ本作を読もうか迷っていてネタバレが気にならない方は、是非ご覧ください。

 また、ここまでも言及してきたとおり、本作はアニメ化もされています。 アニメ版は漫画版をベースにしつつ、さらに設定の説明や心理描写等を大幅に省略し高速で物語が進む作品となっており、私が視聴した中ではここ5年ほどで最も面白いアニメでした。 アニメ作品は大体4話程度が漫画単行本1巻分のストーリーに相当するものが多いと思うのですが、即死チートではアニメ1話がほぼ漫画単行本1巻分のハイペースとなっています。
 ただ、アニメ版には描写等を省略し過ぎて理解困難となっている箇所もいくつかあり、本作の論理性・合理性による魅力は一部損なわれたようには思っています。 例えば、第1話で夜霧のクラスメイト達が好戦的となった理由は原作小説や漫画版ではすぐに説明があるのにアニメ版では終盤まで説明されないため、ご都合主義的と感じている視聴者を何度か目にしました。 また、上述した私が本作で最も好きな二宮諒子の激怒エピソードもアニメ版では丸々カットされています。
 そういった問題はあるものの、アニメ版が説明の省略によりテンポのよい作品となっているのは間違いなく、非常に面白いアニメだったと私は考えています。 私はそれでもやはり本シリーズは漫画版や原作小説の方が面白いと思っていますが、この記事を読んで本作のことが気になった方は、アニメ版から入るのもよいと思います。

2024年9月1日掲載

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