2010年
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12/03 スペインでピカソ作品など載せたトラック盗難、3億円相当
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ロイターより。
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共同通信より。
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米司法当局は2日、フランス北西部ノルマンディー地方の美術館から1973年に盗まれて行方が分からなくなっていたエドガー・ドガの油絵が発見され、フランスに返還されることになったと発表した。 ニューヨーク市東部管轄の司法当局によると、「Blanchisseuses souffrant des dent (Laundry Women with Toothache)」( 1870〜72年、約15.9センチ×約21.6センチ)と題された作品は、今年10月に競売商サザビーズの出品目録に出るまで所在が不明だった。 国際刑事警察機構(インターポール)と協力し捜査していた米税関当局によると、作品は仏の美術品収集家が父親からのプレゼントとして保有していた。ノルマンディー地方のルアーブルにあるマルロー美術館からの盗品とは知らなかったという。 仏政府はこの作品を国家の文化遺産の1つとし、マルロー美術館には展示のため貸し出していたとのこと。サザビーズの広報担当者によると、出品目録への記載に当たって作品が盗まれたものであることを示す形跡は一切なく、同社の紛失美術品などのデータベースにも記録されていなかった。米司法当局によると、美術品収集家は作品の返還に伴い賠償を求める方針。サザビーズは目録での評価額を35万〜45万米ドルとしていた。 CNNより。
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木村伊兵衛(1901〜74年)が、広島で1947年に撮っていた写真の原画49点とネガフィルムの密着プリント446点の現存が分かったとのこと。広島県立文書館と図書館がそれぞれ所蔵している。木村氏が率いていた文化社メンバー撮影の原画254点も確認された。 一連の原画は、広島市にあった瀬戸内海文庫が県観光協会と49年5月に刊行した写真集「LIVING HIROSHIMA」の制作に使われたプリント。文書館の調査に加え、市の原爆資料館などが関係資料にも当たり各撮影者や撮影場所を特定した。 「LIVING HIROSHIMA」は、被爆の実態と復興を伝えた初の写真集だったが、全編が英文で瀬戸内海文庫が刊行間もなく倒産し、広島でも忘れられた存在となった。同文庫の経営者が79年に一連の資料を県立図書館に寄せ、密着プリントを除き2006年に同文書館へ移管されている。 中国新聞より。
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共同通信より。
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朝日新聞より。
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共同通信より。
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共同通信より。 モナリザ関連記事色々
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北國新聞より。
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北國新聞より。
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米建築家協会(AIA)は、建築界に大きな影響を与えたとして、建築家の槙文彦さんに2011年の金メダルを贈ると発表した。日本の建築家の受賞は丹下健三さん、安藤忠雄さんに続き3人目。槙さんは、代官山ヒルサイドテラスやスパイラル、東京体育館を設計。日本建築学会賞や朝日賞、プリツカー賞などを受けている。
朝日新聞より。
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大阪府は21日、南画の第一人者として知られた故直原玉青氏を含む画家23人から寄贈を受け、管理の不備から所在不明になった所蔵絵画24点のうち8点について、捜索の結果、府公文書館などで発見したと発表した。 府は、貸し出し記録の点検などを怠ったことが原因と説明。計11人を処分した。関係職員やOBらで紛失絵画の相当額(計約550万円)を自主弁済するという。 産経新聞より。
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文化庁の「古墳壁画の保存活用に関する検討会」が24日開かれ、奈良県明日香村のキトラ古墳の石室からはぎ取ったしっくい片について、泥は除去せずに現状を維持して保存する方針を確認した。また、来年度から奈良文化財研究所が石室の構造を詳しく調査することが明らかにされた。 X線調査でも確認できなかった十二支図の「辰」「巳」「申」が泥の下に隠れているとされるしっくい片は非破壊調査を継続するとのこと。 産経新聞より。
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藤原氏とゆかりの深い平等院鳳凰堂(京都府宇治市)の本尊・阿弥陀如来坐像(国宝、平安時代)の台座の中から、聖武天皇の遺品を納めた正倉院の宝物(奈良時代)と同じタイプのガラス玉3個が見つかり、24日、平等院が発表した。聖武天皇の妻は藤原氏出身の光明皇后で、これらのガラス玉は光明皇后の遺品の可能性もあるという。 同じタイプとみられるガラス玉は、花弁形で緑色の2個と、球状で黒っぽい色の1個。いずれも直径1.5センチ前後で中央に穴があいているとのこと。中井泉・東京理科大教授らが蛍光X線などで調査した結果、酸化鉛を70%以上含み、正倉院に納められた奈良時代の国産ガラス玉と同じ成分組成を持つことが判明した。大きさも正倉院のガラス球とほぼ同じとのこと。 産経新聞より。ガラス玉は25日から平等院ミュージアムで公開されるとのこと。
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共同通信より。
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徳川二代将軍秀忠の妻である江(崇源院)の位牌を安置する「宮殿」が東京・目黒の祐天寺で確認されたとのこと。 宮殿は高さ238センチ、幅210センチ、奥行き135センチ。金箔を使い、極彩色の外観で、内部には極楽をイメージした蓮華や飛天が描かれているとのこと。長く徳川家康の宮殿とされていたが、08〜10年の修理の際、屋根組みの柱に「寛永五年」や崇源院様と解釈できる墨書を確認。江の息子、徳川忠長の書状などから、忠長が1628年に造った崇源院宮殿と特定したという。 今回の宮殿と崇源院の位牌はもともと静岡県の宝台院にあり、江戸時代、宮殿は祐天寺に、位牌は増上寺(東京都港区)に移された。位牌は戦時中の空襲で焼失したとされる。 朝日新聞より。宮殿は特別展「江〜姫たちの戦国〜」で展示されるとのこと。江戸東京博物館で1月2日から2月20日まで。
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