2010年
10/01 奈良・正倉院で「開封の儀」 宝物の点検、調査
共同通信より。正倉院展:奈良国立博物館で2010年10月23日〜11月11日開催。
菩薩像の両腕の部分が復元され、平等院(京都府宇治市)で2日から公開された。長らく右腕が欠け、左腕は何も握っていない姿だったが、平等院は、平安時代のオリジナルは両腕で弓矢を射る格好だったと判断した。
平等院によると、52体ある雲中供養菩薩像(国宝)の1体。背中にうっすら「愛」という墨書があり、密教の「金剛愛菩薩」とみられている。教えの中で悟りの妨げとなる煩悩を受け入れる心が悟りにつながると諭し、化身の「愛染明王」は縁結びの仏として知られる。
今回の調査で、愛菩薩像は明治時代に両腕がいったん修理されたことが判明したが、その後、何らかの原因で右腕のひじから先の部分が欠損したとみられている。平等院は、「腕の曲がる角度が不自然」という仏像彫刻家の見立てや3次元の画像解析などから、オリジナルは右腕に矢を、左腕に弓を持っていたと判断した。
朝日新聞より。菩薩像は来年1月14日まで平等院境内の「ミュージアム鳳翔館」で展示されるとのこと。
題は「松鶴図屏風」で四曲一双。墨と淡彩で松の巨木と鶴を描いた。明和7年(1770年)の署名があるとのこと。
展覧会「円山応挙-空間の創造」の企画が持ち上がった頃、所蔵者から三井記念美術館の学芸員に情報が寄せられ、印が現存する応挙の印と一致した。
絵の描かれていない両脇の部分には、1889年、この絵を鑑賞した当時の南画家らの墨書が張られていた(現在は裏面に添付)。それによると、もともと応挙が滋賀県内の寺に描いた襖絵だったという。
読売新聞より。見つかった「松鶴図屏風」は三井記念美術館公式サイト「円山応挙-空間の創造」展に掲載されていました。同展で初公開されるとのこと。展示期間は9日から11月7日まで。展覧会は2010年11月28日まで。
19世紀イタリアの画家ジョバンニ・ボルディーニ(1842〜1931)が描いた肖像画が、約70年にわたり訪れる人のなかったパリ市内のアパートで見つかり、このほど210万ユーロ(約2億4000万円)で競り落とされた。AFP通信が4日伝えた。
この肖像画は1898年、当時24歳だった舞台女優を描いた作品。女優の孫娘が死去したのを受けて、遺産処分のため孫娘が所有するアパートを6月に訪れた競売担当者が居間に飾ってあるのを発見、ボルディーニの作品と鑑定されたとのこと。
孫娘は第2次世界大戦前に南仏へ転居し、その後も管理費を支払い続けていたが、誰も部屋を訪れることはなかった。
時事通信より。
共同通信より。
共同通信より。手紙は逸翁美術館で9日から公開されるとのこと。
共同通信より。
共同通信より。
文化審議会(西原鈴子会長)は15日、徳川家康を祭る全国の東照宮のうち最初に造営が始められた久能山東照宮本殿(静岡市)を国宝に、日蓮の荼毘所跡と伝わる地に立つ池上本門寺宝塔(東京都大田区)、1895年に平安宮の大極殿院を模して造られた平安神宮(京都市)、松尾芭蕉の生誕300年を記念して1942年に建設された俳聖殿(三重県伊賀市)、中国風の建築様式を採り入れた真言宗寺院である清水寺本堂(長崎市)など7件の建造物を新たに重要文化財に指定するよう、高木義明文部科学相に答申した。また、街並みを保存する「重要伝統的建造物群保存地区」として奈良県五條市の一部を指定するよう答申した。
答申された他の新指定は次の通り。  【重要文化財】旧吉田家住宅(千葉県柏市)▽高室家住宅(甲府市)▽河本家住宅(鳥取県琴浦町)
朝日新聞より。
共同通信より。
共同通信より。
共同通信より。
共同通信より。
愛知県南知多町の円増寺所蔵の法華経典を名古屋市博物館が赤外線撮影したところ、源平の争乱で焼けた東大寺の再興時に「資金面などで協力した人たちに、約束通りの官位が与えられていない」との不満がうかがえる手紙が浮かび上がったとのこと。
経典は紺色の紙に金字で写経した装飾経で計8巻。鎌倉時代中期の1252(建長4)年、伊勢神宮に奉納したとの記述があるが、その後の来歴は不明となっている。
手紙はこのうち第1巻の1枚目と5枚目の紙から発見。用済み後、紺色に染めて写経紙に再利用されていた。1180(治承4)年の平氏の南都焼き打ちに遭った東大寺の再興に関し、工事担当の僧から朝廷か鎌倉幕府の要人にあてたもので、1223(貞応2)年の執筆とみられるとのこと。
焼き打ちの翌年から半世紀にわたる東大寺再興には、官位官職と引き換えに寄付を募る「成功」で資金や労力を工面したことが知られているが、その実態は分かっていない。
手紙は、再興が進んでも、なかなか官位が与えられていないと指摘。「このままでは工事が滞る原因になる」として、リストに従い、特に七重塔建設などに資金面で功績があった者や柱絵の絵師に最優先で進めるよう、手続きの早期履行を促している。
中日新聞より。
奈良・東大寺の大仏の足元から明治期に出土し、「東大寺金堂鎮壇具」として国宝に指定された金銀荘大刀2振りが、約1250年にわたって行方が分からなかった正倉院宝物の大刀「陽寳劔(ようほうけん)」「陰寳劔(いんほうけん)」だったことが、元興寺文化財研究所の調査でわかり、研究所と東大寺が25日、発表した。
「陽寳劔」「陰寳劔」は東大寺を創建した聖武天皇の遺愛品で、妻の光明皇后が大仏に献納した後に正倉院から持ち出され、行方不明となっていた。
大刀は1907(明治40)年、大仏が座る蓮華座と須弥壇の境目付近の深さ約45センチの土中から見つかった。鉄製で、大仏殿(金堂)の永続を願って埋められた「鎮壇具」と判断され、近くに埋まっていた別の大刀などと一緒に1930年に国宝に指定された。
東大寺は今年度から金堂鎮壇具の保存修理を研究所に依頼。X線調査で、長さ98.3センチの大刀(鉄製)の刀身の根元近くに1辺約1.5センチの楷書で「陽劔(ようけん)」、97.5センチの大刀(同)には「陰劔(いんけん)」と象眼が施されていたことが分かった。
「陽寳劔」「陰寳劔」は756(天平勝宝8)年に光明皇后が大仏に献納した品々の目録「国家珍宝帳」の刀剣類のトップに記されている。そこに書かれた長さや構造が今回の大刀と一致した。
珍宝帳には「除物」の付箋があり、別の正倉院文書から759(天平宝字3)年12月26日に持ち出されたことがわかっていた。こうした「除物」と呼ばれる品は武具や箱など七つあるが、存在が確認されたのは初めて。
鎮壇具は仏堂の建立などに先だって埋めるのが通例。しかし、東大寺の大仏殿は、聖武天皇が存命中の751(天平勝宝3)年にほぼ完成していたのに対し、大刀が埋められたのは759年以降とみられることから、研究所は鎮壇具とは別の意味を持つ可能性が大きいとみている。
また、金堂鎮壇具のX線調査の結果、別の銀荘大刀1振り(長さ62.4センチ)の刀身から、北斗七星の文様が見つかった。邪気を払う意味を持つ刀とみられるが、除物にはなく、ほかの正倉院の文書にも該当する大刀の記述が見つからないという。
朝日新聞より。
政府は26日、建築家の安藤忠雄氏、演出家の蜷川幸雄氏ら7人に文化勲章を贈ることを決めた。文化功労者には元プロ野球選手の王貞治氏、俳優の吉永小百合氏ら17人が選ばれた。
ほかの文化勲章受賞者は原子核物理学の有馬朗人、今年のノーベル化学賞に決まった北海道大名誉教授の鈴木章と米パデュー大特別教授の根岸英一、服飾デザイナーの三宅一生、日本中世史の脇田晴子の各氏。鈴木・根岸の両氏は文化功労者にも選ばれた。
文化功労者はほかに、指揮者の大野和士、歌舞伎俳優の市川猿之助、環境リスク管理学の中西準子、日本近世文学の中野三敏、詩人の中村稔、漫画家の水木しげる、京都大iPS細胞研究所長の山中伸弥の各氏らも選ばれた。
朝日新聞より。
共同通信より。
山梨県立博物館で開催中の特別展「甲斐源氏 列島を駆ける武士団」に展示されている、韮崎・願成寺所蔵の重要文化財「阿弥陀如来及両脇侍像」の台座部分が一部破損していることが、29日分かった。
同館によると、運搬業者が寺から博物館に運ぶ際、蓮弁の葉1枚に亀裂が入った。仏像は展示を継続、閉幕後に修復するという。
山梨日日新聞より。






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