2010年
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09/06 土佐の宝物資料館、劣化進む 古文書、美術品 墨や塗料はがれ
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国宝や重要文化財を所蔵する土佐山内家宝物資料館(高知市)で、老朽化や収蔵庫不足による保存環境の悪化が問題となっている。古文書の墨や美術品の塗料がはがれるなど劣化は進んでいる。 資料館は、土佐藩主だった山内家が集めた鎌倉時代から昭和初期までの約6万7千点を保管。国宝「古今和歌集巻第廿(高野切本)」など第一級の文化財も含まれる。現在は、資料全体の重文指定を目指し詳しく調査中で、坂本竜馬が運んだ手紙など珍しい史料も相次いで見つかっている。 しかし、同館はもともと神社併設の資料館。築40年の鉄筋コンクリート建て収蔵庫は結露しやすく、収蔵スペースも少ない。多くの資料を段ボールや紙で包み、通常の3倍近い量を詰め込むため「通気性も最悪に近い」(同館職員)という。それでも古文書など約1万点は入りきらずに別室で保管。国宝などは他館に預けてある。 共同通信より。
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竹久夢二(1884〜1934年)が、交際していた作家・山田順子(1901〜61年)の実家の兄にあてた書簡が発見されたとのこと。二人が投宿していた横手町の消印で、「結婚式について相談したい」という内容。後年、順子との恋愛関係を強く否定している夢二が、実は順子との結婚まで考えていたことを伝える初めての資料。 書簡は1925(大正14)年5月26日の消印がある封書で、差出人は「横手町にて 竹久夢二」。あて名は「本荘町 山田耕一様」。同月に順子の実家を訪れた時のお礼とともに「結婚の儀式様式については その節再度ご意見も承りたく」と、二人の結婚に触れているとのこと。夢二の書簡とともに、同じ日付で順子が母・里にあてた書簡も見つかった。順子の手紙には「秋の頃迄にはどうしても式を上げるそうです」「私もこれで生れた甲斐があったと云ふものです」などと、幸せな気持ちがつづられ、末尾には「ユキ タケヒサ」と記されていた。 秋田魁新報より。
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山口市教委は6日、国宝「瑠璃光寺五重塔」(高さ31.2メートル)の上部に直径約15センチの穴が開いているのが見つかったと発表した。昨年12月にも塔の屋根に直径約20センチほどの穴が発見されており、市教委はムササビによる被害とみて被害防止対策に乗り出すとのこと。 市教委文化財保護課によると、塔頂部の根元「露盤(ろばん)」と、屋根との接続部にあたる「品軒(しなのき)」に穴が開いているのを観光ボランティアガイドが発見し、6月14日、市教委に連絡。7月21日に専門家数人が現地調査したところ、塔周辺からムササビとテンとみられる小動物の体毛が見つかったほか、穴の高さや位置などからムササビが穴を開けた疑いが強まったという。 読売新聞より。
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「高松宮殿下記念世界文化賞」の第22回受賞者が決まったとのこと。 受賞者 絵画部門=エンリコ・カステラーニ(80)〈イタリア〉▽彫刻部門=レベッカ・ホルン(66)〈ドイツ〉▽建築部門=伊東豊雄(69)〈日本〉▽音楽部門=マウリツィオ・ポリーニ(68)〈イタリア〉▽演劇・映像部門=ソフィア・ローレン(75)=〈イタリア〉−の5部門5氏。 若手芸術家を育成する「第14回若手芸術家奨励制度」の対象団体は、アジア委員会の選考により、アジアユースオーケストラ(本部・香港)が選ばれたとのこと。 産経新聞より。
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仏舎利を納める「密観宝珠舎利容器」が、京都国立博物館の調査により、京都市左京区の永観堂(禅林寺)で見つかったとのこと。2頭の竜をあしらった様式で、博物館は「舎利容器の中では希少な作例」としている。 容器は高さ約26センチで、舎利を入れた宝珠を真言宗などで使われる密教法具の五鈷杵で支えており、鎌倉時代から南北朝時代に作られたとみられる。昨年に博物館が行った調査で、永観堂の蔵にあるのが見つかり、その後の調査で制作年代が分かった。同寺はもともと真言宗で、鎌倉中期に浄土宗寺院となった。 京都新聞より。「容器は来年3月26日から京都国立博物館で開かれる特別展「法然 生涯と美術」に出品される」そうです。
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熊本市現代美術館は16日、高知県香南市の展示施設「絵金蔵」から借り受けていた幕末の絵師金蔵(通称絵金、1812〜76年)のびょうぶ5点を作業ミスで変色させたと発表した。いずれも高知県の文化財に指定されている。 5点は7月に香南市の祭りで屋外に展示された後、記念展用として熊本市に届けられた。美術館側が薬剤で殺虫処理をする「薫蒸」を業者に委託したが、その作業によって緑色の顔料が黒や茶に変色した。専門機関の調査で、銅を含む顔料が薬剤と化学反応を起こしたのが原因と判明。完全修復が可能かは不明で、絵金蔵側と対応を検討するという。 共同通信より。
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東京芸術大学は16日、古代遺跡などの壁画を、本物に極めて近い描写や質感で複写する方法を開発し、特許を取得した、と発表した。開発を手掛けたのは、同大学院美術研究科文化財保存学専攻の宮廻正明教授の研究室メンバー。 従来、壁画の複製は専門家が手で描いて製作していたが、長い時間と製作費がかかる上に、壁画特有の質感を表現するのが難しかった。宮廻教授らが取得した特許は、対象となる壁画を写真で撮影し、9億画素ほどのパソコンで解析して精密な色合いを再現したうえで、壁画特有の凹凸感を再現するため、和紙に印画するもの。壁画がある土地の土や砂をかぶせて、特有のざらつき感を出す。この手法なら従来は1〜2年はかかっていた模写作業が、1カ月程度に短縮されるとのこと。 東京新聞より。
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足立美術館は15日、アメリカの日本庭園専門誌による「潮騒ランキング」で、8年連続で日本一に選ばれたと発表した。日本庭園専門誌「数寄屋リビング ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が2003年から実施しているランキング。10年は全国841か所が対象。
読売新聞より。「今年が開館40年の同館では、建設中の新館が10月29日にオープン」とのこと。
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竜安寺(京都市右京区)がかつて所蔵していたふすま絵6面が、115年ぶりに同寺に返還されることが18日、分かった。競売会社のクリスティーズによると、ふすま絵は15日、ニューヨークで開催された同社オークションに出品され、8万6500ドル(約743万円)で落札。落札者は匿名で竜安寺への寄贈を発表したとのこと。 ふすま絵は安土桃山時代の絵師、狩野永徳の次男、孝信(1571〜1618年)の作と伝えられるとのこと。明治初期の廃仏棄釈で財政困難に陥った竜安寺が明治28(1895)年、東本願寺に売却した71面のうちの6面。さらに九州の炭鉱王、伊藤伝右衛門の手に渡り、その後散逸したとのこと。6面については2000年に日本人コレクターが競売に出品。別のコレクターの手に渡っていたという。 産経新聞より。
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戦後の前衛彫刻をリードした彫刻家で武蔵野美術大名誉教授の向井良吉さんが4日、死去したことが19日分かった。92歳。 東京美術学校(現東京芸大)卒。ラバウルから復員後、行動美術協会彫刻部の結成に参加。合金などを使った現代的な感覚にあふれた抽象作品で知られ、過酷な戦争体験を原点とした作品で高く評価された。代表作に高村光太郎賞を受賞した「蟻の城」など。1962年にはイタリアのベネチアビエンナーレに参加した。 共同通信より。
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与謝蕪村(1716〜83)の手紙が、京都市の古美術店で見つかったとのこと。奈良大の永井一彰教授(近世国文学)が鑑定、文面は昭和初期の全集に掲載されたが、手紙は所在不明で、約80年ぶりの発見となった。 手紙は縦15センチ、横35.5センチの和紙。表装して掛け軸にし、木箱に納められていたとのこと。巻き止めに手紙を意味する「蕪村消息」と記されていた。大阪の門人・延年(えんねん)にあてたもので、崩していた体調が回復したことや、評判の歌舞伎役者・浪花ミン子(なにわみんし)を見物しに行きたいなどとつづっている。「三月四日」とあり、年号はないが内容から1776年(安永5年)に出したとみられる。 この手紙は、1933年発刊の「改訂増補蕪村全集」に収録。原本から日付を含めて21行と判明した。木箱のふたの裏には「安達家所蔵」とあったとのこと。 読売新聞より。
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奈良県明日香村の向原寺から36年前に盗まれた仏像が、オークションに出品されていたことが分かり、寺が買い戻したとのこと。金銅製の観音菩薩立像(高さ37.3センチ)で、改めて調査したところ、頭部は約1300年前に制作されたことが判明した。 同寺によると、江戸時代に近くの池から頭部が見つかり像全体を修復したが、1974年9月に本堂から木製の厨子(高さ45センチ、幅25センチ)ごと盗まれたという。 仏教美術を研究する大阪大大学院生の三田覚之さんが今年8月、京都の会社が運営する会員制オークションのカタログに最低価格35万円で出品されているのを発見。連絡を受けた寺が所有者の古美術業者から買い戻した。その後、奈良国立博物館が頭部を鑑定し、飛鳥時代後期(7世紀末〜8世紀初め)の作とみられることがわかった。業者は別のオークションで購入したと説明しており、それ以前の経緯は不明。 朝日新聞より。仏像は25日から向原寺で公開されるとのこと。
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プラド美術館は23日、16世紀フランドルの巨匠ピーテル・ブリューゲル(父)の大作を新たに確認した、と発表した。 「聖マルティヌスのワイン」と題する縦148センチ、横270.5センチの大型のテンペラ画。1565〜68年に制作されたとみられる。スペインの個人が所有していた絵を同館が数カ月間かけて分析し、真作と断定したとのこと。同館は現在この絵を修復しており、購入も検討中という。 同館によると、ブリューゲルの現存作品は晩年の10年余りのものに集中しており、世界でこれまで40点しか確認されていない。同館はすでに、ブリューゲルの代表作の一つ「死の勝利」を所蔵している。 朝日新聞より。
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アフガニスタン中部の世界遺産バーミヤン遺跡で石窟内に残る壁画の保存修復作業を行っている東京文化財研究所は27日までに、2001年に当時のタリバン政権が破壊した東西大仏のうち東大仏(高さ38メートル)脇の天井部分で、6世紀中ごろのものとみられるブッダの顔の壁画を発見した。 遺跡にあるブッダの壁画の大半は、偶像崇拝を禁じるイスラム教徒による9世紀以降の支配で顔を傷つけられたり破壊されたりした。風化によって一部が損傷しているが、当初の彩色が残るブッダの壁画が発見されるのは極めて珍しいとのこと。天井は地上から高さ約20メートルにあるため、破壊を免れたとみられる。 壁画は、「鉄線描」という技法で描かれた立仏や座仏。ブッダの頭髪部分には、アフガン産の宝石ラピスラズリを使って彩色した群青色が残り、風化により朱色の輪郭が失われているものの、ブッダの表情が確認できた。ハスの花や動物などの壁画も見つかったが、風化が進み、輪郭だけが辛うじて残っていた。 共同通信より。
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尾張藩二代藩主の徳川光友(1625〜1700年)が晩年に創建した八事山興正寺の蔵から、光友が寺に寄進した中国・南宋時代(12〜13世紀)製の「彫彩漆」の盆が見つかったとのこと。漆芸が全盛を極めた南宋時代の彫彩漆は世界的にも希少。 盆は高さ2.8センチ、直径18.1センチ。茶、黒、赤、黄、緑の五色の漆を15層に塗り重ねてから、蓮の花文様に彫り込んであるとのこと。箱のふた表に「大納言光友公御寄附」と墨書きされ、寺の記録では蓮花文の香合も一対で寄進されたことが分かっているが、香合は明治初めの記録を最後に所在不明になっているとのこと。徳川美術館の小池富雄氏が数年前、所蔵品を調べた際、僧侶が取り違えて蔵から出し、新発見につながった。 中日新聞より。徳川美術館「尾張徳川家の名宝」展で10月2日から初公開されるとのこと。
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