02/05-03/13 静岡県立美術館
会場を見ると、「若冲と蘆雪と京の画家たち」でもいける感じ。若冲の8点出品に次ぎ、蘆雪が5点。ある程度の数を楽しめるし、何より蘆雪独自の存在感があるので。「大原女」の逸脱した、ほのかな淫らさ。「鷲・熊図」に見られる奇怪な岩、鷲や熊の行き過ぎな表現がやみつきなど。若冲の方は「樹花鳥獣図屏風」に久々に出逢ったり、見たけれど認識が甘かった「水墨游」を焼き付けたり。どの作品もじっくり見られてよかったです。関連では、売茶翁「茶道具図」の展示あり。
その他興味深かったのは、円山応挙と石田幽汀の「群鶴図屏風」対比。鶴の密集度では押され気味です。応挙。しかし、調和や空間、描写部門にて盛り返す。それから、富士山の絵が多い辺りに静岡を感じました。細密を極めた、原在中「富士三保松原図」とか。この作品は、描写というより記録に近い。描くという意味において、組替えが行われている予感。(03/03)
02/16-03/27 京都国立博物館
その内書きたいです。(03/25)
大津市・義仲寺は、その名の通り木曽義仲ゆかりのお寺。でも、よしなかではなく、ぎちゅうじと読みます。
境内には義仲の御墓があります。かつては巴御膳が草庵を結び、供養を行ったりしていたそうです。
加えて、松尾芭蕉がたびたび訪れ、宿としていたことも。芭蕉没後は遺言により、御墓が建てられました。近頃は、芭蕉のお寺〜俳句関係というイメージの方が強い。らしいです。そういえば、境内には句碑が点在していたし。義仲頑張れ…そういう問題ではありませんが。
本題。義仲寺には、若冲筆「花卉図天井画」が存在しているらしい。天井画は翁堂という建物内にあるらしい。ということで、訪問したのでした。
翁堂内部の正面には松尾芭蕉坐像がいらっしゃいます。左右に丈艸居士、去来先生の木造、側面に蝶夢法師胸像を安置。すみません、案内を丸写ししてしまいました。
中を覗き込みつつ見上げると、そこには天井画が。全15面。結構剥落しております。開放状態がたたってのことでしょうか。しかし、そのおかげで見られるわけで。微妙な感情。
花卉図は若冲最晩年の大仕事、石峰寺観音堂の天井画として描かれたとみられているそう。明治の初めに観音堂が壊された際、古美術商の手に渡り、めぐりめぐって現在、義仲寺と信行寺(非公開)に残っている模様。→「安政6年(1859)、大津柴屋町の魚屋通六が義仲寺に寄進」(大津市歴史博物館公式サイトより。2021年2月15日加筆)
義仲寺花卉図は、円の外側が木目のままとなっておりますが、信行寺の方は群青に塗ってあるらしい。後から塗られたのか。それとも、根本から別の作品なのか。となると、上記の前提も覆ってしまいますが。
石峰寺観音堂がルーツならば、解体時点で元の姿が失われている状態。配置に規則その他を見出せないのは、そのためでしょうか。適当に並べた感あり。でも、実は確固としたものがあったりして。
図の様子は、茎のしなり、弧を描くように散る花に若冲魂が注入されている気がしました。細かな描写は、もはや確認の術なし。大きめの葉にはやはり穴が開いていたのだろうか、なんて想像を逞しくしてみました。(05/15)
義仲寺:東海道本線(琵琶湖線)膳所駅・石山坂本線京阪膳所駅から徒歩 9時〜17時(11月〜2月は16時まで) 月休
*1義仲公墓。
*2芭蕉翁墓。ちなみに芭蕉は、義仲の御墓を「木曽塚」と呼んでいたらしい。
*3翁堂を粘着質に眺めるの図。写っていませんが、手前には池があります。
*4暗すぎで何もかもが不明な写真。壁上部にかかっているのは、三十六俳人の画像とのことです。
余談。池には亀がたくさん。並んで甲羅干しをしていたり、水中でじたばたしていたり。のどかです。お寺全体の様子も、のどかというか。街中にさり気なく溶け込むといった風情で、小ぢんまりとしていました。