馬を愛した男

干支にちなみまして、今回のお題は馬でございます。

優美な姿形、澄んだ瞳、豊かなたてがみ、疾走時の躍動感…馬はその魅力で、多くの芸術家をトリコじかけの明け暮れ(根本敬)にしてきました。芸術家たちは、馬という創造の源泉に触れるたび、絵画、彫刻、物語など、作品という形でそれらを残してきたのでした。

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テオドール・ジェリコー(1791-1824)。フランスロマン主義絵画の先駆者である彼もまた、馬に魅せられたひとりでした。

彼は、少年時代から馬好きで、毎日のように乗りまわして遊んでいたといいます。

時が経ち、画家になってからは、大好きな馬を自らの筆で愛でるようになり、数多くの馬たちを絵画の中に生み出すようになりました。
競馬も好きだったようで、イギリスにて「メデュース号の筏*1」の巡回展を開催中、エプソム競馬場に通いつめたというエピソードが残されています。展覧会と馬。何だかわかりませんが、一石二鳥。この出来事は、「エプソムの競馬」という作品にみることができます。

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ジェリコーは、それ以前の芸術家が殆ど触れることのなかった、人間の極限状況を探求する画家でした。
「メデュース号の筏」を描くために病院や死体収容所を訪ね、死が間近に迫る重病人の表情や死人を観察し、写生。さらには死体の手や足を持ち帰り、腐敗していくさまを写生したともいわれています。

このような、絵画に対する激しい情熱や探究心は、題材が馬であっても変わらなかったのでしょうか。もしそうであったとしたら、情熱、探究心に、幼少時から注ぎ続けた馬への愛が加わる三重苦、もとい感情の三重奏になるわけで。そんな状況を勝手に想像するたび、なぜか脳内にはアブノーマルな情景が浮かんでは消えていくのでした。妄想たくましすぎ。いや、本当の所、ジェリコーの瞳に馬はどのように写っていたのだろうか。教えてお馬さん。

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ジェリコーは、馬から落ちた怪我がもとで32歳の生涯を閉じました。皮肉なことに、最期まで馬絡みな人生なのでした。(2002/01/18記)

*1:当時、実際に起こった船の難破をテーマにした代表作。
1816年6月、メデュース号が航行中、座礁。400人の乗組員に対して、救命ボートは250人分しかなく、船長や将校たちがわれさきにボートに乗ってしまった。乗りきれなかった兵士や船員たちは、大きな筏を作り12日間大海をさまよった。食料は底をつき、多くの人が飢えて死に、死者の肉を食べる人間も出たという。救助されたときは、わずか15人の生存者だった。

「白馬の頭部」 「競馬」

「ジェリコー・マゼッパ伝説」(1993年・仏)

題名通り、ジェリコーが主人公の映画。監督であるバルタバスは、騎馬オペラ「ジンガロ劇団」の主催者でもあります。ジェリコーとバルタバス。古今の馬フェチによるガチンコ勝負が、狂い咲きの様相を見せる怪作、じゃなかった意欲作です。

作中では、ジェリコーの馬への異常な愛情と、美への情熱が交錯しまくり。鬼気迫ってます。映像の方は、文句なしの美しさです

リンク

所蔵先と画像が見られる http://www.artcyclopedia.com/artists/gericault_theodore.html

美の巨人たち ジェリコー http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/041113.htm

日本で開催されたジェリコー展 http://www.momak.go.jp/year_j/s62/0540.html
1987年10月31日〜12月20日:神奈川県立近代美術館 1988年2月2日〜3月21日:京都国立近代美術館

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