東京都写真美術館「写真はものの見方をどのように変えてきたか 再生」(2005年7月23日〜9月11日)にて。「自らの「現実」を求めて 報道と記録の行方」に展示。
水辺に馬2頭と裸の男2人。1頭は喉を潤し、もう1頭は体を洗ってもらっています。馬と人との束の間のやすらぎを撮影したのかも。画面の端に、すすきの白いシルエットが挿入されています。1940年。
東京都写真美術館「写真はものの見方をどのように変えてきたか 再生」(2005年7月23日〜9月11日)にて。「自らの「現実」を求めて 報道と記録の行方」に展示。
ひなびた風景の中を馬の列が進む。草むらや幅の狭い道、馬の蹄の間には戦争が刻まれており、行く先には戦場と軍馬としての使命が待ち構えている。構図は、広重の「御馬献上行列図」を反転させたような感じ。列が円弧を描いています。1937年。
東京都写真美術館「写真はものの見方をどのように変えてきたか 再生」(2005年7月23日〜9月11日)にて。「閉ざされた自由 アマチュア写真家の生き方」に展示。
男と馬。切り抜かれたクローズアップ。1935年頃。
上賀茂神社で行われていた騎射の一つ「笠懸(かさがけ)」が再現された。鎌倉武士などが実戦を想定して行った騎馬訓練といい、疾走する馬上から的を狙う熟練の技が披露された。
笠懸は、日本書紀にも登場する伝統的弓馬術。神事色の強い流鏑馬(やぶさめ)と異なり、鎧兜(よろいかぶと)を着けた馬上の敵や地面に伏せた敵の顔面を想定した的を狙うため、平安後期から鎌倉時代に盛んになった。
上賀茂神社では、建保2(1214)年、後鳥羽上皇の行幸の際に行われたとの記録が残る。室町期以降は京都で途絶えた古儀を復活させようと、同神社が、伝統的な騎射を継承する「武田流弓馬道」(神奈川県)に奉納を呼びかけた。
境内の芝生に設けられた長さ180メートルの馬場の両側に大小5つの的を掲げ、烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)姿の射手9人が次々と疾走する馬上から弓を放った。中でも、弓を馬の頭越しに構えるため、特に難しいとされる右側地面近くの小的が見事に射抜かれると、大勢の見物客から大きな拍手が贈られた。
2005年9月4日付京都新聞より。過剰な引用が我ながら何とも言えず。ええと、笠懸は犬追物、流鏑馬とともに馬上の三ツ物といわれます。
2005年9月2日付読売新聞夕刊・金曜コラムに掲載。
馬と人との関わりや歴史についての記事。馬具のひとつであるハミの話題が中心。5000年以上も前に発明され使用が始まった、金属性のハミが紀元前1500年ごろまでに使用されるようになりその後基本的な機能は変わらず現在まで使用され続けている、意匠としてブランド品に使用されることも多いなど。
東京国立近代美術館常設展「所蔵作品展 近代日本の美術」(2005年7月26日〜10月2日)にて。「戦時と「戦後」の美術」に展示。
うなだれ歩を進める馬。その体からは肉が削げ落ち、骨が露わとなっています。暗く沈んだ色彩と粗い筆致は、過去と現在の表出。かも。馬の瞳に未来は写っているのだろうか。1936年 油彩 キャンバス
東京国立博物館常設展にて。「書画の展開 ―安土桃山・江戸」(2005年8月2日〜9月11日)に展示。
場面は船着場。舟にて出発を待つ人々と、搭乗をせかされる馬1頭の図。獅子を被った人、猿まわし、掛軸を広げる人までいて、雑多な雰囲気。表情豊かな描写は、英一蝶の面目躍如といったところ。馬の方はというと、尻っぱねをして抵抗。乗るのがいやなのか。せかされたのが気に入らないのか。毛色は鹿毛。(に見える)江戸時代・18世紀
東京国立博物館常設展「宮廷の美術 ―平安〜室町」(2005年7/20〜8/28)にて。
厩に鹿毛(っぽい)馬1頭。といっても断簡なので。クロウリウとあった。鎌倉時代・13世紀
東京国立博物館常設展「浮世絵と衣装 ―江戸 浮世絵」(2005年7/12〜8/7)にて。
富士山を抜け、円をかくように行列が進む。「御馬献上」にあたると思われる黒い駿馬2頭の後には、大勢の人々と荷物を背に乗せた馬たちが続く。荷物持ちは大変だ。
広重は天保3年(1832)、幕府が朝廷に馬を献上する「八朔御馬献上」に同行したと言われていますが、その辺りのエピソードが思い出される作品。江戸時代・19世紀
東京国立近代美術館「所蔵作品展 近代日本の美術」(2005年6月7日〜7月18日)にて。特集陳列「絵の中の歴史」に展示。
『宇治川の先陣争い』に取材した作品。梶原景季が馬の腹帯を確認している所を描いている。と、思う。下向いて馬の腹辺りを覗いてるし。1942年 彩色 絹本
東京国立近代美術館「所蔵作品展 近代日本の美術」(2005年6月7日〜7月18日)にて。特集陳列「絵の中の歴史」に展示。
馬に騎乗し出陣の図。駆ける馬の脚先は、色彩も線も略されています。飛ばされた笠とともに、疾走感を表しているのかも。甲冑の描写は大変細かい。1942年 彩色 絹本
東京国立近代美術館「所蔵作品展 近代日本の美術」(2005年6月7日〜7月18日)にて。「昭和戦前期の美術 日本画・洋画の成熟」に展示。
馬を題材にすることが多い坂本繁二郎の作品。画面全体が、光や水、空気、大地、空などを含んだかのような色彩に満たされています。馬も滑らかに溶け込んでいる。1937年 油彩 キャンバス
東京国立近代美術館「所蔵作品展 近代日本の美術」(2005年6月7日〜7月18日)にて。「昭和戦前期の美術 日本画・洋画の成熟」に展示。
馬4頭がくんずほぐれつ。具象に抽象をまぶしたような作風で、面の組み合わせにより馬体を形成しています。日本画・屏風を採用しつつ、旧来のジャンルやイメージからの脱却を試みているのかも。
隣りに、福田豊四郎「海女」が展示されていました。馬が海女3人に置き換わったような構図。似通った作品を並べているのでしょうか。1939年 彩色 紙本
東京国立博物館「遣唐使と唐の美術」(2005年7月20日〜9月11日)にて。「唐の美術」に展示。
西方の胡人が猟犬を抱えて馬に乗る姿。らしい。いや、猟犬がイタチに見えていたもので。駄目すぎ。胡人はイイ顔のヒゲ親父。
彩色が残っており、馬の毛色が確認出来ます。全体は茶色、おそらく鹿毛か栗毛。首から肩にかけて白い部分があり、中には茶色の斑点入り*1。斑点入りの馬で最も古いのは中国産であるらしいのですが、もしやそれにあたるのか。馬体はがっしり系で、首も脚も胸前も太く広い。唐時代 8世紀 西安市文物保護考古所蔵
*1:現在でいう「アパルーサ」を変化させたような見た目。
東京国立博物館「遣唐使と唐の美術」(2005年7月20日〜9月11日)にて。「唐の美術」に展示。
朱色が僅かに残る陶俑が4頭。それぞれ違った格好をしています。口元が微かにニヤけて見えたり、斜め下に顔を向けてたり、脚を噛むような仕草をしていたり、フレーメンしていたり。豊かな表現。馬体は全頭逞しい。胸や尻が広く、四肢が結構開いています。
ところで、たてがみ部分に筋が入っているのは何故。たてがみパーツが脱落したのでしょうか。それとも筋で表現しているのでしょうか。あと、尾が無いような。取れたのか。唐時代 8世紀 陝西省考古研究所蔵
東京国立博物館「遣唐使と唐の美術」(7月20日〜9月11日)にて。「唐の美術」に展示。
青地に斑模様、茶色の鞍、緑の鞍敷と色鮮やか。たてがみが短く立っており、「モウコノウマ」を彷彿とさせます。馬体は逞しい。唐時代 8世紀 洛陽博物館蔵 三彩馬は、東博・東洋館からの出張組もいました。大きくて茶色い。
森アーツセンターギャラリー「フィリップス・コレクション展 アートの教科書 ルノワール、ゴッホ、セザンヌ…」(2005年6月17日〜9月4日)にて。新古典主義とロマン主義に展示。
オリエンタル風味。男が連銭芦毛の馬に騎乗しながら、栗毛の馬をつかまえています。2頭の馬を同時に御す男と、脚を少々バタつかせつつ歩む馬たち。まさに「あがる」瞬間を描いた一品。栗毛馬のイヤイヤ素振りが秀逸。また、栗毛馬のたてがみが金髪のように描かれているため、トウショウファルコに見えないこともない。かも。
国立西洋美術館「ドレスデン国立美術館展[世界の鏡]」(2005年6月28日〜9月19日)にて。
フリードリヒ・アウグスト2世がポーランド王に選ばれ、クラコフの戴冠式で使用したもの。トルコ石、ルビー、珊瑚がちりばめられた豪華版。そしてちょっと西洋風チャグチャグ馬コ。しかし、顔の上にふさ付きの飾りは、馬にとっては迷惑なだけと思われ。豚に真珠。馬にトルコ石。1720年以前
国立西洋美術館「ドレスデン国立美術館展[世界の鏡]」(2005年6月28日〜9月19日)にて。
美術総監督ルプラ男爵の注文制作。ルイ14世の騎馬像を模しているとのこと。というか、祖はカピトリーノ広場の「マルクス・アウレリウス騎馬像」?台座の下部には、人物彫像がしがみついています。1715年以前 あと、へ(…以下略)な騎馬肖像画がありました。
東京国立博物館常設展「西アジア・エジプトの美術」(2005年4月19日〜2006年3月12日)にて。
若干のくびれはあるが、基本的に土管胴体。顔は長いから馬だろ、と推測される位の作り。原始の香り。馬体に描かれた、複雑な幾何学模様が、原始具合に拍車をかけます。首部分のみ、立体感・カーブ度合いが馬を微妙に再現。イラン 鉄器時代・前1千年紀
東京国立博物館常設展「西アジア・エジプトの美術」(2005年4月19日〜2006年3月12日)にて。
鏡板部分が馬形になっています。この轡を装着すると、馬の口元に2頭の馬がいることに。馬・馬・馬のサンドイッチ。挟まれてる。
馬形は、頭部から脚の先まで大変リアル。線の装飾もなかなかの凝りよう。制作年代と写実っぷりが、アンバランスなイメージを抱かせつつ魅力的。て、何?
実用方面においても、口があたる部分にイタイタが仕込まれていたり。まっすぐ走らないと、お仕置き!しかし口向き対策って、こんなに古い時代からあるんだな。イラン、ルリスタン地方 前2千年紀末〜前1千年紀初頭
ブリヂストン美術館「印象派と20世紀の巨匠たち ―モネ、ルノワールからピカソまで」(2005年1月25日〜7月10日)にて。「ピカソの絵画を中心に」に展示。
立ち上がろうとする白馬。投げ出したままの後ろ脚が妙に気になる。画風は、制作年を反映。類似図像あり。1923年
ブリヂストン美術館「印象派と20世紀の巨匠たち ―モネ、ルノワールからピカソまで」(2005年1月25日〜7月10日)にて。「19世紀末から20世紀初頭のさまざまな動き」に展示。
馬と騎手を後方から捉えた、大胆な構図。あまり見る機会のない角度と瞬間。画面の中に、写真の眼と絵画の眼が混在した印象があったり。騎手はちょっとモンキー乗り。馬の筋肉が、躍動感をもった線で、細やかに表されています。1899年
三鷹市美術ギャラリー「クールベ美術館展」(2005年4月16日〜6月5日)にて。「初期〜パリ・コミューンまで」に展示。
「オルナン、市帰りのフラジェの農民たち」(1850〜55年 ブザンソン美術館)の中央部分を切り取ったかのような光景。馬に跨った二人の猟師。犬2匹がついて歩いています。
馬2頭は、どちらも鹿毛っぽい。右側の馬は、顔がダイナガリバーもしくはノーザンテースト似。馬の顔も、「オルナン、市帰り〜」系統。
東京国立博物館 日本の博物学シリーズ 特集陳列「上野の山と東京国立博物館」(2005年5月10日〜6月19日)にて。
寛永寺での流鏑馬の図。文化14年(1817)
東京国立博物館 日本の博物学シリーズ 特集陳列「上野の山と東京国立博物館」(2005年5月10日〜6月19日)にて。
不忍池に沿った馬場で、レースの真っ最中。馬群を斜め後ろから捉えた構図。埒添いの提灯、観客が鈴なりの木製和風スタンドが時代を反映。
騎手たちの勝負服は、現在のデザインとあまり変わらず。騎乗法は、モンキー乗りなわけがない。夜明け前という感じ。明治17年(1884)
*1:日本の競馬 文久1年(1861)、横浜山下町で外国人による競馬が開催される。明治13年(1880)以降は、春秋2回の根岸競馬を開催。これに倣い、東京九段、三田育種場、戸山学校、上野不忍池など、円形馬場で競馬が行われた。解説を写しました。 *2:楊洲周延による不忍競馬浮世絵は複数あり、想像図だったらしい。
東京国立博物館常設展「武士の装い ―平安〜江戸」(2005年4/19〜6/19)にて。
目前に連れて来られた馬を眺めるの図。眺めるというより吟味に近い雰囲気も。馬は、鹿毛もしくは栗毛。立ち上がっている。前胸、頸部分に強固なデフォルメあり。画面中には、遠近感のねじれが生じており、馬が小型化しています。ミニチュアホースということでよろしく。嘘。肝は人物だし、別に構わないのかな。そういう問題なのか?安土桃山時代・16世紀
*1:伝ということで、肖像の主には諸説あるらしい。家紋から名和長年、太刀に施される梅鉢文や画中に馬を馴らす家来の姿が描かれる意味から大坪流馬術の名手斎藤好玄(1500-72)、等伯と甲斐武田家の関係から武田家の臣。以上、解説丸写し。
東京国立博物館常設展「北東アジアの考古遺物 朝鮮の考古・金工」(2005年3月15日〜9月19日)にて。
「死者の霊魂を冥界に運ぶ乗り物(馬)を表現した墓への副葬品」らしい。粘土色。高坏の上に馬。馬体やハミ、鞍などの造形が丁寧で、完成度が高い。脚がひょろひょろで頼りないのは御愛嬌。尻部分に穴が開いており、水などが入れられるようになっています。伝韓国慶尚南道昌寧郡出土 三国時代(新羅)・5世紀
東京国立博物館常設展「北東アジアの考古遺物 朝鮮の考古・金工」(2005年3月15日〜9月19日)にて。
上記の馬と同じく容器。高坏の上に馬で、やはり尻部分に穴が開けられている。しかし、作りはシンプルというか凝り性にあらずな感じ。馬面が付いているから、馬なんだなという。三国時代(新羅)・5〜6世紀
東京国立博物館常設展「北東アジアの考古遺物 朝鮮の考古・金工」(2005年3月15日〜9月19日)にて。
作者は小道迷子。と、いっても違和感ゼロな顔の作り。呑気。胴体は土管状、薄茶色の肌。土偶はあともう1頭います。三国時代(新羅)・5〜6世紀
国立西洋美術館常設展にて。
栗毛もしくは鹿毛馬1頭と、藁掃除をする牧夫が1人。掃除をしている所を見ると、朝の情景か。右端の出入口と小窓から入る光も、心なしか白く清新な感じがします。馬は首を伸ばし、上部の藁?を物色中。えーと、首の一部にくい込みを確認。よく見ると、首輪でつながれてる?首輪の先には鎖らしきものが。犬仕様なのか?1873年
京都国立博物館「曾我蕭白 -無頼という愉悦-」(2005年4月12日〜5月15日)にて。
野馬を捕らえようとする図。輪っかを馬の首にかけたはいいが、ロデオ状態に突入していたり。馬は全4頭。黒系2頭に白系2頭。表情が必死。口元がフルフル。
逃げ惑い疾走する馬の形は、少々デフォルメされているような。スピード感を増幅させるための表現かも。もと小襖 1幅
*1:牧野に放った野馬を取り込み、捕らえ、選別し、馬具を装着し、乗りこなすまでの様子を表す。蕭白作品は、場面の一部を抽出した感じか。
京都国立博物館「曾我蕭白 -無頼という愉悦-」(2005年4月12日〜5月15日)にて。
剥落が多いですが、残った部分は黒々。青毛馬か。馬体は結構立派で、鬼気迫る顔の持ち主。瞳孔が開いてる感があり、目元が赤く縁取られています。神馬なのに。神馬だから?宝暦12年(1762)夏、33歳の作。蕭白自身が奉納したとみられる。らしいです。兵庫・加茂神社
京都国立博物館「曾我蕭白 -無頼という愉悦-」(2005年4月12日〜5月15日)にて。
金地の世界に15頭が躍ります。略して略して辿り着いた、墨の痕跡が馬たちの命。6曲1双 プライスコレクション
京都国立博物館「曾我蕭白 -無頼という愉悦-」(2005年4月12日〜5月15日)にて。
佇む水墨の馬1頭。斜め後ろからの描写。哀愁を帯びつつも、ちょっとカモシカシルエット。後ろ向き馬は、「黄石公張良図屏風」(4曲1隻 東京国立博物館)にもいます。1幅
京都国立博物館「曾我蕭白 -無頼という愉悦-」(2005年4月12日〜5月15日)にて。
飼葉をつけてもらっているの図。前がきをしてる所が細かい。後からなぞったかのような線が不思議な一品。口元がなぜか山水化しており、こちらも不思議。「人間万事塞翁が馬」が元。宝暦9年(1759)頃 6曲1双 三重県立美術館
京都国立博物館「曾我蕭白 -無頼という愉悦-」(2005年4月12日〜5月15日)にて。
梶原景季と磨墨、佐々木高綱と生食。馬も勇壮で、少々デコ入ってる。口元がフルフルでなぜか青い。川へ落ちる描写が秀逸。明和元年(1764)頃 6曲1隻
京都国立博物館「曾我蕭白 -無頼という愉悦-」(2005年4月12日〜5月15日)にて。
黒馬。馬具が大変凝っており、尻にも胸元にも装着。各1幅
蕭白馬は、たてがみ・尻尾共にたわわ。それと、口を割った表情が良いです。
うらわ美術館「山寺後藤美術館所蔵 ヨーロッパ絵画名作展 −宮廷絵画からバルビゾン派へ−」(2005年4月29日〜6月26日)にて。
荷車装着の白馬と、2人の農婦。農婦たちは、荷車上の容器に水を汲み入れ中。人馬共、水に浸かりなかなか大変そう。馬は心なしか斜め目線で、後ろをチラ見。恨めし気。重たいからさーその辺でやめといてくれないかなー。
「競馬会」を前に、出走する馬の組み合わせを決める「足汰式(あしぞろえしき)」が1日、上賀茂神社境内で行われ、12頭の馬が境内を元気よく疾走した。
競馬会は天下泰平を祈願して1093(寛治7)年に始まったとされ、京都市の無形民俗文化財に登録されている。
騎手は乗尻と呼ばれ、代々、社家の出身者が担う。足汰式では、乗尻が使うむちや馬の足を境内の川で清める神事が行われた後、馬の歯を見て健康状態を確認した。
この後、12頭の馬が1頭ずつ馬場を走り、乗尻がむちの作法などを披露。最後に2頭ずつ左右に分かれ、直線約150メートルの馬場を全力で疾走した。
2005年5月1日付京都新聞より。競馬会は5日午後2時ごろから行われるとのこと。
横浜美術館「ルーヴル美術館展 19世紀フランス絵画 新古典主義からロマン主義へ」(2005年4月9日〜7月18日)にて。「動物画」コーナーに展示。
人物部分は描きかけという感じで、色も付いていない状態。白馬部分は色付き。トモ部分にあるのは傷か。タイトルにある馬具は、鞍と鐙共に独特な形状。やはり、地域や年代によって違いが出るのだと思われます。1800〜10年頃
横浜美術館「ルーヴル美術館展 19世紀フランス絵画 新古典主義からロマン主義へ」にて。「動物画」コーナーに展示。
馬の肖像画。「華麗なる馬たち 馬と人間の美術史・バロックから近代まで」(1998年4月4日〜5月26日:東京都庭園美術館)に出展されたことあり。1810/12年頃
横浜美術館「ルーヴル美術館展 19世紀フランス絵画 新古典主義からロマン主義へ」にて。「動物画」コーナーに展示。
脚元が少々チャカついており、口元から歯を見せている。イレてるのかも。尾離れが良い点から、アラブと推測されます。
愛知県美術館「自然をめぐる千年の旅−山水から風景へ−」(2005年3月11日〜5月8日 3月11日〜4月10日のみ展示)にて。「動植物へのまなざし」コーナーに展示。
つながれた状態の馬を描いています。りりしい顔立ち、弾むような逞しい馬体、毛流れの丁寧な描写が印象的。気になるのは、球節部分から伸びる距毛。とても長く目立っています。あえて強調しているのか、それとも実際に長かったのか。「足利尊氏の愛馬の肖像画ともいうべきもの」とのことですが、たてがみからも馬の立ち位置が見てとれます。髷のようにきっちりと結われており、手入れは万全。室町時代 16世紀 京都国立博物館蔵
府中市美術館常設展「描かれた武蔵野・東京」(2005年3月12日〜4月17日)にて。紙本木版 明治14〜20年(1881〜87)頃
府中市美術館常設展「描かれた武蔵野・東京」(2005年3月12日〜4月17日)にて。
晴天の東京競馬場。画面の明るさは、太陽の光と競馬場の新しさ*2から来ているのかも。油彩のような肌合い。
描かれた場所は謎。手前の柵部分は馬場というには狭い気がするし、後ろの建物もスタンドなのか厩舎なのか判然としない(スタンドの可能性が高いかも)。昔の建物だから、こじんまりなのでしょうか。今は面影もない情景です。紙 水彩 昭和9年(1934)頃
*1:フランス留学中から競馬ファンだったのだそう。 *2:目黒競馬場(1907年開設)が移転したもの。1933年開設。
府中市美術館常設展「描かれた武蔵野・東京」(2005年3月12日〜4月17日)にて。
芦毛馬と栗毛もしくは鹿毛馬が競う。場所は府中らしい。キャンバス 油彩 昭和14年(1939)
目黒区美術館「川村清雄」を知っていますか? 初公開・加島コレクション展(2005年2月16日〜4月10日)にて。
書籍の為の口絵類と思われるとのこと。トンボや寸法指示らしきものが付いています。下絵もあり。画題は三国志より。劉備玄徳が、的蘆*1に乗り檀渓を飛び越えるの図。
馬の描写は、本来の動きをとことん無視。両前脚をまっすぐに伸ばし、両後脚を曲げながら跳躍を決めています。目に見える事実より、デザイン性を重視した結果と思われ。顔は白目や歯を剥き出し、凶馬の称号に恥じない表情。鼻白は定説にのっとった形か。油彩・板
*1:主人に災いをなす凶馬とされていたが、劉備玄徳を乗せ、檀渓の急流を泳いで対岸に飛び上がり、危機を救い名馬と讃えられた。額には白い部分が流れ、口に達しているとのこと。『相馬経』より
目黒区美術館常設展「所蔵作品選―かたち」にて。
展示名通り、四角や丸といった「かたち」で構成された作品。場面は装蹄。多分。1936年
十日町市の市立図書館「十日町情報館」が、新潟中越地震による歴史資料の散逸を防ぐため、古文書の一時預かりや寄託、寄贈を市民に呼びかけたところ、これまでに9件、約4万点の申し出があった。
同市と隣接する小千谷市の方からは、1500年代の安土桃山時代の文書2000点が寄贈された。馬が病気になった場合の治療法や薬についての秘伝書も含まれているという。幕府や藩以外に、馬の治療法についての秘伝書が伝わったのは非常に珍しいという。
2005年1月24日付毎日新聞より。
東京国立博物館常設展「屏風と襖絵―安土桃山・江戸」(〜2005年2/13)にて。
馬に比べ、松などの木々や植物が巨大。比率が少々ミステリアス。馬の鼻と口元が、皺の寄った花びらみたいになってたりするのは、表情を出そうとした結果でしょうか。出走馬が多く、毛色も斑やら芦毛やら豊富。
東京国立博物館常設展「書画の展開―安土桃山・江戸」(〜2005年2/13)にて。
頭から尾っぽの先まで、装飾の限りを尽くしています。巻末に説明(?)付き。厚塗りの肌に記憶ありと思ったら、以前見た「駿牛図巻」と同じ作者でした。
たばこと塩の博物館にて。ショップに絵はがきあり。
たばこ製品「ピーコック」のポスター。馬がくわえたばこで「うまい」と一言。うまい〜馬いで、ほんのり脱力。
馬の背中には、蝙蝠を想起させるような翼がついています。でもって毛色は鹿毛もしくは黒鹿毛、顔には流星。ペガサス?ペガサス風味?貴方は誰?バカ図像が素敵です。村井兄弟商会製 明治35年(1902)頃
京都国立博物館常設展にて。いつ行っても同じ場所にいます。そのためか見かけると、京博来たモードに切り替わり。パブロフの犬もとい馬か。
黒・白一対の陶製馬俑。「黒は金鹿毛(きんしかげ)、白は連銭白栗毛(れんせんしろくりげ)と呼ばれる珍らしい種類の毛並をあらわしている」と、収蔵品DBを丸写し。2頭とも細部まで凝った作りで、色彩も美しい。唐時代(8世紀)
2000年頃、馬の博物館にて採取。600円*1。展示品のレプリカです。モデル馬に比べ、細工が簡略化されており。でも可愛いです。
右上に乗っかっているのは、馬を守るといわれている猿です。猿は、生ける状態で厩につながれたり、厩で踊らされてみたり、骨状態でやはり厩に祀られたりもしますね。
*1:当時の価格。現在も販売しているかは不明